2-3
ギャラリーカフェを後にした黒木は、陰鬱とした気分で帰宅した。これから担当の編集者とオンラインで打ち合わせがある。この前の企画会議の結果が知らされるはずだが、どうせ碌な結果ではないだろう。
着替えもせず、パソコンの前に座りヘッドセットを装着する。全身黒のフェイクレザーで身を包んだこの姿で打ち合わせに望むのは、自分を鼓舞するためと、編集者に対する抗議でもあった。
パソコンの電源を入れて待機していると、定刻を五分ほど過ぎた所でビデオ電話ツールの通知が点滅した。お疲れ様です、と形ばかりの挨拶をする。
「企画会議なんだけどね、残念ながら通らなかったよ」
「そうですか」
ある程度は予想できていたことだ。あまり感情を出さないように対応する。
「でも、君を指名した新しい仕事があるんだ」
「新しい仕事、ですか……」
「原作付きの読み切り作品の作画担当だ」
作画担当の仕事はこれで二回目だ。絵を評価されているというのはわかる。だが、ストーリーに関われないというのは不満だった。
「……あまり嬉しそうじゃないね」
「いえ、絵を評価していただけるのは、ありがたいです」
「気持ちはわかるよ。君のやりたいこととは違っているというのも、理解しているつもりだ」
言葉の上ではこちらに寄り添うように聞こえるが、内心面倒に思っているであろうことは薄々感じ取れる。
「この前終わった漫画があっただろう。映画化もされた。編集部としては、ああいう路線の作品を作って欲しいという方針だ。これは君だけじゃなくて、他の漫画家にも言っていることだ」
「……そうですか」
「君がやりたい方向はわかるよ。でも、それだけにこだわることはないんじゃないか。画力を評価されているのは確かなんだし、ホラーの他にも画風を生かせるジャンルはあると思うんだ。一度名前が売れた後にホラーを描いた方が意外性も出るし、一度方向性を変えてみないか?」
「……少し、考えさせてください」
なんの実りもない打ち合わせが終わり、パソコンの前で大きな溜息をつく。マスクを外し、煙草を取り出して火を点けた。
日に日にフラストレーションが溜まっていく。どいつもこいつも流行の二番煎じのような作品を作れとしか言わない。それでは自分の伝えたいことを描けないし、自分がやる意味もないというのに。
しかし、正直焦りもある。高円寺を拠点とし、政府からも補助を受けている以上、そう遠くない未来に結果を出さなければならない。なまじデビューしているだけに尚更制約は厳しい。だが、政府の補助を受けているからこそ、ただの流行り物を出したのでは意味が無い。もっと自分の武器を研がなければ。編集部の固い頭を打ち砕くほどの武器を。
苛立ちと共に、煙草を吸う速度も速くなっていく。煙草を灰皿に押しつけた時、スマートフォンの画面にSNSの通知が表示された。メッセージを受信したようだ。端末を手に取ってよく見ると、見慣れないアイコンが表示されていた。黒背景の中に、緑色の眼が一つ、爛々と輝いている。世間的には悪趣味だろうが、個人的には嫌いではない。
ファンメールだろうか、と思いつつメッセージに目を通す。そこにはごく簡潔な、二文の言葉が表示されていた。
『死のモデルはご入り用ではありませんか? きっと、「彼女」も喜びますよ』
彼女、が誰を指しているのか、不思議と黒木は迷わなかった。いや、一人の顔しか思い浮かばなかった。
恋は再び高円寺を訪れていた。
懐かしい店の内装は、記憶の中のものと何も変わっていなかった。安心したような、様々なことを思い出して気分が沈むような、名状しがたい気分だ。
柔らかいソファに腰掛けて、イヤホンをつけて蘇芳と通話を始めた。
「まず、お前と
相変わらず不機嫌そうな蘇芳の声がイヤホンから流れる。
「身内じゃないわ。でも、因縁がある」
「煮え切らねえな」
「強いて言うなら……宿敵、が一番近いかもね」
「つまり?」
「そいつがあたしの名字を名乗ってるのは、あたしに対する嫌がらせってこと」
蘇芳がなにか言うより早く、恋は捲くし立てた。
「それより、そいつがその店で一体何をしていたかわかったの? どうせまともに経営してたわけじゃないんでしょ」
「……まあいい。お察しの通りだ。店での利益は、黄衣の王っていうカルト集団に流れてた」
「新興宗教ってこと?」
自分でも自覚するほど険のある口調になってしまった。
「そうだ。三ツ門町が歌舞伎の二の舞を避けるために暴力団を締め出して作られたのは知ってるだろ。だが結局、奴らの代わりにそういう宗教団体とか、暴力団にもなれねえチンケなチンピラ集団が入り込んじまってるのさ」
そういえば、蘇芳と初めて出会った時に、カルト宗教の対応で手一杯だ、というような旨の発言をしていたことを思い出す。この不安定な世の中だ。カルト宗教が雨後の筍のように現れていても不思議はない。
「そうは言っても、その片須冷とやらがあの女をバラバラにしたかは怪しいぜ」
「証拠が無いってこと?」
「証拠も何も、あの死体は人間にやられたとは到底思えねえんだよ。熊にでも喰い殺されたんじゃなきゃ、説明がつかねえ」
「詳しく教えて」
蘇芳が言うには、遺体の全体像は目も当てられない悲惨なものだったという。手足は喰い千切られたかのように歪に裂かれ、全身の肉は随所が削がれて骨が露出していた。なにより、妊娠していたと思われる腹は執拗に損壊され、内臓はほぼ空に、子宮も恐らく胎児ごと抉り取られたのだろうと思われているという、聞くだけで身の毛がよだつ。気分が悪くなった。
「確かに、それは片須冷本人がやったわけではないと思う」
冷がやったなら、もっと上手くやる。それこそ死体も残さないはずだ。
「そうだよな……これじゃ奴が見つかった所で、殺人が立証できるかも怪しいぜ」
「そこは頑張ってとしか言いようがないわね、昇進したんでしょ」
蘇芳があの交番勤務から、赤霧特区警察署配属になったという話は恋も聞いていた。
「ああ。カルト集団の資金源を見つけたなんてお手柄だ、とか言われてるが、実際はお前に脅されて、必死に草の根分けて嗅ぎ回ってただけだ。素直に喜べねえよ」
「あんたは失言を帳消しにできて、収入も増える。良いことだらけじゃない。それじゃあ、またなにかわかったらよろしく」
「あ、ちょっと待て! お前、妙なことするんじゃ……」
蘇芳が言いかけていたが、構わずに切る。何を言われたところで、恋は止まるわけにはいけない。聞くだけ無駄だ。大きく煙を吐き出した。甘いチョコレートキャラメルの香りが、鼻に抜けていく。
あの夜から三年。今まで全く音沙汰も無く、影さえも踏めなかった冷の存在。何故今になって、こんなに上手く手懸かりが掴めたのか。完全なる偶然とは、到底思えない。しかし、偶然でなければ仕組まれているということになる。冷がそこまで考えているとすれば、何故今になって自分の存在を顕示してきたのか。
まさか、挑戦されている?
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