第一幕 ゴシックロリィタの女
1-1
三ツ
歓楽街とはいえ人影もすっかりまばらになった午前二時。タクシーでも拾って帰ろうと曲がり角を曲がった先に、その女はしゃがみこんでいた。
ショートジャケットのラッパ袖からはレースの姫袖が覗き、黒と白のフリルがふんだんにあしらわれたフィッシュテールスカートの裾が路上に接地して広がっている様は、まるで御伽噺のドラゴンの尾のようでもあった。
彼女と向かい合う形で座り込んでいる女性が、露出は多いが歓楽街でよく見られる一般的な服装であるため、余計に彼女の出で立ちの奇異さが目立つ。なにせあらゆるファストファッションに駆逐されてしまい、ほぼ姿を消したものと思っていたゴシックロリィタだ。それも安価な模倣物ではないことは、繊細なレースやしっかりとした縫製で留められたフリルが雄弁に物語っていた。
「何か?」
それはこちらの台詞だ、と言いかけたのを、緑川は飲み込んだ。なにせ、街を騒がせる噂の人物が偶然とはいえ手の届く位置にいるのだ。機嫌を損ねてネタを逃がしてしまうなど、新人のライターでもやらない失態だ。
「すみません、じろじろと見てしまって。こんな時間に女性二人で蹲っているなんて、なにかお困りなのかと思って」
「そうね、困っているわ。貴方、手伝ってくれると助かるのだけれど」
言葉とは裏腹に、見てないで手伝え、さもなくば去れ、という威圧感がひしひしと感じられる。それは一貫して彼女が無愛想だから、というだけではないように思えた。
「程度によりますが、できることなら」
「有り難いわ。ついてきて」
ゴシックロリィタの女はすっと立ち上がると、未だ蹲っている女性の手を取って立ち上がらせた。一方、女性は怖々といったように緑川を見る。目が真っ赤だ。瞼が腫れている。なにかトラブルに巻き込まれて、この女に助けを求めて来たのだろうか。
「一体、どこへ?」
底の厚いヒールを鳴らしてつかつかと歩く彼女を追いながら、緑川は尋ねる。
「警察。男がいれば少しはお巡りも話を聞いてくれるかも」
「警察に? なにかトラブルでも?」
「この娘の友達と連絡がつかないの。ただ、家出するには不自然な状況でね」
女は後ろを着いて歩く女性を振り返りながら言う。
「でも、この街で女が一人消息不明になったって、まともに取り合ってくれないに決まってるでしょ」
それはそうですね、と頷く。
東京経済対策特区の花形である三ツ門町は、かつての歌舞伎町の反省を元に構成された。だが、結局はそのコピーにしかなれなかった。もし彼女が若者達の困り事を解決して回っているというのが本当なら、歌舞伎町においては映画館の横に姿を現していたことだろう。
言葉通り、彼女は三ツ門町の交番に向かった。
「貴方が先陣を切って。女と男、どちらが前に立ってるかで相手方の印象も変わるから」
「確かに。理にかなった提案だ」
見知らぬ人間を捕まえて話を聞き出そうとするならば、女性が先に立った方が相手の警戒も和らぐ。だが今は逆に相手にプレッシャーを与えなければならない場面だ。三ツ門町の警官が女性に対してどういった態度を取るか、緑川もよく知っている。
引き戸になっている交番の扉を開ける。どこか錆びているのか、自転車の急ブレーキをかけたような耳障りな音が響いた。
デスクの前に置かれたパイプ椅子に凭れかかるように座っていた警官が顔を上げる。
「こんな時間にうろうろしてんじゃねえぞ。今何時だと思ってんだ」
応対した警官はじろりと一行を見る。制帽からは緩くパーマがかかった髪が覗いている。大凡警官らしくない髪型だが、この街に勤務させられている警官ならこんなものだろう。
「知人がトラブルに巻き込まれているかもしれないんです。相談に乗ってもらえませんか」
緑川はゴシックロリィタの女に後ろに隠れるようにして立っている女性に、さあ、と説明するよう促した。
たどたどしく語り始めた彼女の様子から、派手な化粧と露出の多い服装のせいで大人びて見えていただけで、まだ二十歳にもなっていないだろうということが推測された。そうして傍から話を聞いていると、ようやく少し状況がわかってきた。
彼女は始終おどおどとしていて説明も要領を得なかったが、とどのつまりはこの繁華街で知り合った友人が、カフェで働いている店員に入れあげ、散々金品を貢いだ挙げ句に「妊娠した」と告げてから連絡が取れない。まさかその店員に口封じをされたのではないか──確かに、繁華街にはよくある話だ。
おそらくカフェというのも、その皮を被ったホストクラブみたいなものだろう。歌舞伎町がまだ廃墟でなかった頃は、嫌というほどありふれていた話であった。この街で同じ事が再現されても、何も不思議ではない。女が自分に目をつけた理由がわかった。確かにこれはまともに取り合ってもらえるかも怪しい。
もし身籠もった女が父親になるべき男に「消された」のであれば由々しき事態だ。だが、この街ではあまりにも多くの人間が現れ、そして消えていく。その全てが「消された」わけではない以上、全ての人間を追うことなど物理的に不可能だし、それをするにはあまりにも人間が消えることが「当たり前」になりすぎてしまった。ましてや名目上は客と店員だ。客側が入れあげていたとあれば「民事不介入」という伝家の宝刀も思う存分に振るえる。
「それで、その男が殺しをやったっていう証拠は?」
案の定、警官は心底面倒そうに顔を顰め、吐き捨てるように言う。それに対し、少女が消え入りそうな声で、ありません、と告げた途端、彼はほら見たことかと言わんばかりに捲し立ててきた。
「全部あんたの妄想だろ? そもそも、妊娠したって話も本当かどうか怪しいもんだ。大方、金を稼げなくなったか家に連れ戻されるかしたのを、格好つけてフカしたんじゃねえのか」
「でも、消息を絶ったのは事実でしょう」
女がすかさず口を挟む。
「お巡りさんが言うように、金銭トラブルがあったと仮定する。もし本人の意に沿わない形で、どこか劣悪な環境で働かされているとしたら? それはもう人身売買になる。この街ではそういうことがあってもおかしくない。警察ならそういう前提で考えて物を言うべきじゃないの」
心なしか、警察なら、の部分をやや強調して言ったように聞こえた。気のせいでなければ、そこにはたっぷりと皮肉と非難が含まれていることだろう。対する警官も馬鹿ではないのか、そのことに気づいたようで更に眉間の皺を深くした。
「そうだとしても、そんな馬鹿な女がこの街には多すぎるんだよ。そんなのいちいち一人一人調べてる暇も人手も、こっちにはねえんだ。ただでさえ薬だの金の横流しだのやってる連中だらけで、しかも胴元が頭のおかしいカルト集団と来た。こんなことになるなら、まだ暴力団の方がマシだっての……」
後半の部分は思わず愚痴を溢した、といったような調子だった。自分でも詮無いことを言ったと思ったのか、とにかく、と警官は続ける。
「殺人の証拠がない以上、こっちは民事不介入の原則がある。あんたらの相手なんかしてらんねえんだよ。わかったらとっとと帰れ、それとあんただ」
警官は女の方を指差す。
「あんた、最近噂になってる女だろ。正義の味方気取ってるのか知らねえが、いい歳してそんな奇天烈な格好してないでさっさと身を固めたらどうなんだ。そしたらこんな街をうろついてるガキ共なんぞに関わる気も失せるだろ」
それはいくらなんでも失礼だろう、と緑川が割って入ろうとした時、女から表情が一瞬で消え去るのが視界の端に映った。
「もういい、この子の友達はあたしが見つける。お巡り、あんた、官名は」
「
「顔と名前、覚えたから」
女は少女の手を引き、引き戸を壊れるのではないかという勢いで乱暴に開くと、またヒールの音を響かせて出て行ってしまった。慌ててその後を追う。
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