6.ひとつになれたら

 帰りたくない。誰かと一緒にいて、こんな気持ちにさせられるのは久し振りだ。

 右手にショッピングモールの紙袋を、左手に星野君の手を握り、聡美は思う。

 彼に楽しんでもらうつもりで行った小動物カフェで、大はしゃぎしていたのはむしろ聡美の方だった。以前にも行った事のある場所だったのに、彼が一緒だとそのリアクションを見られるのがいちいち楽しくて、聡美は声を上げて笑ったりした。

 そこはショッピングモールの中に入っている店だったので、カフェを出たあとは、ふたりでモール内を歩き回った。

 買い物をたくさんしてしまったのも聡美の方で、星野君はほどんど何も買わなかった。あまりお小遣いを貰っていないのだそうだ。聡美が何かプレゼントしようとすると、即座に『いいです、大丈夫です』と断られた。

 結果、聡美はひとりで紙袋2つ分の買い物をしてしまった。星野君は『ひとつ持ちます』と言って、より重い方を持ってくれた。殊勝しゅしょうな子だ。

 ショッピングモールを出たあと、何となく駅まで戻る気がしなくて、ふたりはあてもなく歩き続けた。

 他愛もない話をしているうちに、いつのまにか賑やかな街を離れ、ビルの立ち並ぶオフィス街へと移動していた。

 休日のこの辺りは人気が少ない。人混みが苦手だったらしい星野君は、先程までより柔らかい表情をしている。

 そろそろどこかで腰を下ろしたいな、と考えていると、遊具のない小さな公園が見えてきた。休憩をとる事にし、並んでベンチに座る。

「星野君、疲れてない?」

「いえ、全然。楽しくてあっという間でした」

「本当? 良かった。私ひとりで買い物に熱中してて、星野君楽しめてなかったんじゃないかって心配だったの」

「そんな事ないです。先生が好きな物とか、色々分かって楽しかったですよ」

 聡美はくすぐったい気持ちになった。彼は案外冷静に、聡美の様子を観察していた様だ。

 確かに聡美は、自分の好きな物ばかり漁っていた。洋服や生活雑貨、果てはガチャガチャのストラップまで。

「ありがとう、私に付き合ってくれて。星野君には興味のない物ばっかりだったんじゃない?」

「うーん、まぁ、僕が普段買う様な物とは違いましたけど。でも、だから良かったんです。僕の知らない先生の事を知れたから」

 丸い目を細めて笑う彼の横顔が、少し大人っぽく見える。そんな事を思ってくれていたなんてと、軽い衝撃を受けた。

 聡美と彼は、まだお互いに未知の部分が多い。聡美とすれば、星野君の事は積極的に知っていきたいのだが、自分に関する情報はむしろ隠しておきたかった。理解されない事や幻滅されかねない事も、きっとあるだろうから。

 でもこんな風に、『先生の事を知れたから』なんて微笑まれると、素直に嬉しいと感じてしまう。自分をもっと知ってほしいという欲が湧いてしまう。

 自分の全てをさらけ出した上で愛してほしいと願うのは、わがままだろうか。

「先生」

 声を掛けられ、ふっと顔を上げる。彼の瞳は、まっすぐに聡美を捉えていた。まるで、心の底まで見透かされているかの様だった。

 聡美は慌てて目を逸らした。耳の奥で、血管が脈打つ音が聞こえる気がした。

「僕、どうしたら先生を幸せに出来ますか」

 予想もしていなかった問いに、混乱が深まる。

「私は、今のままで充分幸せだよ」

 何気なく答えたつもりが、嘘っぽく響いてしまう。本当に今のままでいいのに。

 彼は何も言わなかった。聡美は顔を俯けたまま、宙ぶらりんの沈黙から抜け出せなかった。

 突然、彼の腕に包み込まれたかと思うと、そのままキスをされていた。こんな場所で、とか考える暇もなく、一瞬でそうなってしまった。

 彼の体は熱っぽかった。このままくっついていたら溶け合えそうだ。

 どろどろに溶け合って、ひとつの生き物になってみたい。本気でそう思えた。

 けれどそれは、どろどろに溶け合うというのには程遠い、あっさりした触れ合いにすぎなかった。

 すぐに聡美から離れた彼は、「すみません」と小さな声で謝った。

「その、き、急にしたくなっちゃって」

 口ごもりながら身を縮こまらせる彼は、やっぱりいつもの星野君だった。聡美は安心して微笑んでしまう。

「ありがとう。ちゃんとどきどきしたよ」と、彼の目を見て伝えた。




「ミズグチ先生」

 閑散とした放課後の廊下を歩いていると、よく通る声に呼び止められた。

 明らかに生徒のものではないと分かる、渋い声質だ。それに、“ミズチ”ではなく“ミズチ”と、微妙に誤った呼び方をしてくる。

 振り返ると予想通り、学年主任の男性教師が立っていた。

「お話があるんだが、今時間いいかな」

「はい、大丈夫です」

 返事をしながら、聡美は不穏な気配を感じ取った。彼は苦虫を噛み潰した様な顔をしている。

「ここじゃ何だから、場所を変えようか」

 そう言って引き返そうとする彼に、「どういったお話でしょうか?」と尋ねる。

 敵意の籠った視線が返ってきた。

「あなたと、1年2組の星野君の事ですよ。あとは、言わなくても分かってもらえるでしょうな」

 とうとう、この時がきてしまった。それでも聡美は、まだ足掻こうとしていた。

「私と星野君が何か?」

「何か、って……言っとくが、言い逃れは出来ませんよ。僕がこの目で見たんだから。昨日、人気のない公園で彼と会っていたでしょう。しかも……」

 聡美は思わず舌打ちしそうになった。よりによって学年主任に見られていたなんて、運が悪い。そういえばこの人、休日のオフィス街を散歩するのが趣味って言ってたっけ。

 何にせよ、もう仕方がない。諦めがつくと、案外さっぱりした気持ちになった。

「ああ、その事ですか」と、何でもない事の様に言ってのける。

「その事ですか、だって?」

 彼はギロリと睨みつけてきた。いちいちオウム返しの多い人だ。聡美は面白くなって微笑んだ。

 不安や恐怖なんて、ちっとも感じない。自分には、星野君がいるのだから。



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