4.例えば彼の、こういう素敵さ

 星野君の両親に挨拶したいと、提案したのは聡美だった。

 もちろん、交際を認めてもらえるという確信があった訳ではない。むしろ、認められなくて当然だと思っていた。

 それでも、聡美は彼の両親に会いたかった。彼を生み育てた大切な人達に、隠れてこそこそしていたくなかった。

 星野君は聡美の提案を受け入れ、母親に話を通してくれた。ある日曜の昼下がり、聡美は彼の母親と会う為、星野家を訪れた。

「ごめんなさいね、夫に会わせられなくて」

 聡美に紅茶の入ったカップを出してすぐ、彼女は言った。詫びる気持ちなど籠っていなさそうな口ぶりで。

 通されたのは、応接間らしき小洒落こじゃれた部屋だった。壁に掛けられた油絵が、どこか不気味に感じられる。

「休日だっていうのに、どうしても抜けられない仕事があるらしくて。まったく、いつもこうなんだから」

 後半はほぼひとり言の様な響きだった。自身の分の紅茶をひと口飲み、カップを持ったままぼんやりとそれを眺めている。かと思うと、思い出したかの様に、聡美に目を向けた。

 向かい合わせに置かれたソファーの、一方には彼女が、もう一方には聡美と星野君が座っている。しかし彼女は、息子の方をちらとも見ない。

 ベリーショートの髪に、ばっちりメイクされた端正な顔立ち。スーパーモデルみたいに隙のない美人だ。

 彼女をひと目見た瞬間から、聡美は異様な緊張感に襲われていた。

「どうぞ、遠慮なく飲んで下さいね」

 指ひとつ動かさずにいる聡美を見かねたのか、彼女はそう言い放った。聡美は改めて礼を言い、唇を湿らせる程度に紅茶を飲んだ。

 気まずい沈黙が場を支配している。彼女は無言で、聡美を見つめ続けていた。

 促されているのだ、と聡美は悟った。観念し、自分から口を開く。

「本日はお時間を作っていただき、ありがとうございます。せっかくの休日ですのに、お邪魔して申し訳ありません」

「構いませんよ、ちっとも。それくらい大切なお話なんでしょう?」

 こちらが何を話しに来たのか、彼女は既に知っている筈だ。星野君が、ある程度は事前に説明したと言っていた。

 それでも、聡美はそれを口にするのが怖かった。

「はい。涼真君との交際を認めていただきたく、ご挨拶に参りました」

 彼女の表情は変わらなかった。

 聡美が次に言うべき事を考えていると、予期せぬ言葉が降ってきた。

「うちの子の何が良いの?」

 感情の不明な声だった。

 返答に窮する聡美を見て、彼女は小さく首を振る。

「別に、試すつもりなんてないのよ。ただ単に疑問なの。あなたの様な大人の女性が、この子と真剣に付き合おうなんて考える事が」

 彼女の態度に、敵意は見受けられない。

 正直に答えた方がいい、と聡美は直感的に思う。けれど、何と答えれば良いのだろう。

 彼の優しいところが好きなんです。あるいは誠実なところ、だろうか。それとも、可愛らしいところ?

 違う。そんな言葉では表しきれない。

「素敵な生き物だから」

 結局、聡美はそう言うしかなかった。

 彼女は訳が分からないという様に眉をひそめる。当然の反応だ。

「涼真君は私にとって、男性としてというより、生き物としてとても素敵なんです」

 そう補足しながらも、聡美は混乱していた。自分は何を喋っているのだろう。

「よく分からないけれど」と、彼女は言った。

「あなたの中で、この子を選ぶ明確な理由があるのなら、それについて意見するつもりはないわ。恋愛なんてしょせん、当人同士の問題だもの」

 華奢な指をカップの持ち手に絡ませ、彼女は息を吐く。

「ただ、親として言っておきたいのは、この子は本当にただの子供だという事よ。何の責任能力も持たない未熟者。大人になるまであなたと付き合い続け、将来あなたを幸せにする保障なんてないわ。それを分かった上で、交際しているという事ね?」

 もちろんだ、と聡美は思う。

 星野君に対し、責任だとか将来だとかを押しつけるつもりは毛頭ない。あくまでも今、一緒にいたいだけなのだ。常に現在の事しか頭にない、ヤモリの様な単純さで。

「はい、それは」

「僕は先生を幸せにします」

 聡美の返答を遮り、星野君がきっぱりした口調で断じた。

 思わず、彼の横顔を凝視する。先日、美容院で前髪を切ったばかりの彼の目は、何物にも邪魔される事なく光っている。

「馬鹿らしい」

 母親が呆れ返った様に呟く。

「あなたみたいな子供が、何を根拠にそんな事を言えるの? そもそも、何が彼女の幸せなのかも分かっていないくせに」

 彼女の意見はもっともだ。それでも、聡美は星野君の言葉に強く惹かれていた。

 彼の事は絶対に信用出来る。何の根拠もないのに、そう思えた。

 膝の上で固く握りしめられた彼の手は、やはり震えている。

「こういうところが素敵なんです」

 聡美は彼女に向かって、微笑んでみせた。彼女は虚をつかれたという様に目を見開き、けれどすぐに、つまらなそうな顔をした。

「もういいわ。勝手にしてちょうだい。私は知らない」

 その声は、言葉に反してさほど冷たくは響かなかった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る