第160話 ライラック男爵領


 春前にと思っていたが、本当に、今すぐにでも、水を溜めて欲しいという要請が来たため、結婚した三日後にはライラック領へ向かうことになった。


 正直に言って、ちょっと期待していた。高所で怯えたリラがまた抱き着いてくれることを。


「……なんで、この飛行船は平気なんですか?」


 窓の外を平然と眺めているリラを見て、喜ぶべきだが、ものすごく悲しい。


「このサイズなら……何とかなるなと」


 何とかなるとはどういう意味だろうかと思う。


 小さい飛行船の方が揺れて怖いというのならばわかるが、リラは小型の飛行船は平気らしい。


 大型の飛行船でも海上に出れば平気だったりと、単純な高所恐怖症ではないのか。


 機関部と操縦室がこのタイプでは一緒なので、そこで説明をしたり、飛行船の研究員に軽く紹介したりして到着までの時間を過ごした。


「ビオラお義母様から、研究所も見学にも来るようにと言われました」


「ああ、婚約者の立場では機密の関係で招待できませんでした。リラ殿……リラが嫌でなければ、一緒に行きましょうか。ただ……」


 リラを研究所へ連れていくことの懸念が二つあった。


「その……母が研究所では爵位よりも実績を重視していて、それと、ずば抜けて優秀なものは、発想が秀逸な結果人間性が欠如している者もおります。リラを明らかに侮辱しない限りは、下手に罰すら与えられません。ご不快な思いをするかもしれませんが……」


「その程度のことは問題ありません。実際に携わることは少なそうですが、何も知らないという訳にもいきませんから」


 リラは、基本的にその家のために努力する人だ。だからこそ心配だ。


 もう一つの心配は……実際に行く時に話した方がいいだろう。


「あ、見えてきましたね」


 リラが窓から下を見下ろして言う。


 高度は十分だというのに、本当にちっとも怖がっていない。いいことだ。いいことなのだが……とてつもなく残念だ。


 前回ライラック領を訪ねた時は、屋敷から離れた場所に降りたが、今回は屋敷とそう遠くない場所へ着陸させた。領主の顔色を伺う必要はないからだ。


「ずっとこのサイズなら、いつでも乗りますわ」


「これは半日程度の短距離用ですし、あまり荷物が運べないですから」


 国内の移動はほぼこの型で事足りる。年に一度でいいから、リラから積極的に抱き着いてくれるチャンスが欲しい……。


「お待ちしておりました。レオン様。そしてリラ様」


 迎えに出ていたのは国から臨時で領地を任されているものだ。今日はソレイユ家からも何人か人を連れてきている。後のことを思えば、国任せにはできない。


 リラの伝手で人を雇ってもいいのだが、以前のアルフレッド男爵はリラを冷遇していた。その下にいた使用人も碌なものが残っていないだろうと考えてのことだ。


「急な要請に応えていただきありがとうございます。その……以前の領主はリラ殿が貯水池の管理をしていたといい、こちらでも調べたのですがどうにも方法が分からず」


 リラが直接溜めているが、公表すべきではないことだ。リラが先代から方法を教えられていたというほうがまだいい。


「そんなに、酷い状況ですか?」


 リラの問いに男は頷いた。


「底が見えている状況です。明日の水にも困っていますので、申し訳ありませんがこのまま向かっていただいても……」


 馬車は既に準備されていた。


「……わかりました。レオン様の方で馬車の従者を選んでください。あまり知られない方がいいですから」


 リラに言われて頷く。今は人前なので敬称は仕方ない。


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