第158話 新しい名前


 あまりよく眠れないまま朝になった。


 目を閉じると、何度も唇が触れる、啄むような口づけを思い出してしまう。


 ザクロと違い、クララはきっちりと言いつけを守って休息に入り、誰も邪魔をしなかったせいだ。


「んぐっ」


 ベッドの中で布団をかぶって悶絶する。


 認めよう。


 私は初めて生殖行為を見越したうえで誰かを意識するようになっているのだ。


 いや、公爵家の跡取り息子と結婚した時点で、できる限り子供が望まれるのは仕方ない。男が子供を産めないというハンデを女がカバーしてやるのが人間という動物だ。


 そして、そのリスクを背負ってもいいと思える相手ができた。


 ただ、私には知識が足りないのだ。こうなったら本屋に行って夜伽が載っている小説を買ってくるか……。いや、フィクションはファンタジーだ、下手に信じると痛い目を見る。ならば医学書か……。まだそちらの方がマシな気がしてきた。


「リラ様、おはようございます。レオン様がお越しですが、お通しはもう少し後の方がよろしいですか」


 クララが起こしに来た。


「……そうね。後で、朝食の……もう昼食の席で話しましょうと伝えてもらえる?」


「はい。あ、ビオラ様とラナン様がお昼を一緒にしたいと先ほど連絡が来ていました。後、報告をしておきたいことがあるので、顔だけ見れないかとレオン様が伝えて欲しいと言われておりました」


 うっ、面倒くさい。


「……はぁ、少し待てとレオン様には言って。身だしなみだけ最低限に整えるから」


「はい。かしこまりました」


 クララが出ていくのを見ながらベッドを出る。


 最低限の化粧と寝巻から部屋義に着替える。途中からクララにも手伝ってもらい手早く身だしなみを整えてからレオンを呼び入れてもらう。


「おはようございます。……リラ」


「うっ」


 と、なるような満面の笑顔で入ってきたレオンが私の名前を呼ぶ。昨日、呼び名について願い出があり、受け入れた。


 リラ嬢ではなくリラ殿と呼べと言ったが、とても律儀に守ってくれていた。敬称や話し言葉は敬いだけでなく、相手と距離を取りたい時にも便利なのだ。レオンは敬いがなくなったからではなく、距離を縮めたいからこその申し出だ。だから、許可した。


「おはようございます。もうすぐ昼ですが……」


 寝坊したのは誰のせいだと思っているのか。


「押しかけてすみません。今朝方確認し、正式にリラ・ライラックと私レオン・ソレイユの婚姻が承認されたので報告に。今日をもって、リラ・ライラック・ソレイユと名乗っていただけるようになりました」


「……ライラックの名前も残るので?」


 普通は結婚して輿入れした女性の家名は消える。離婚して実家が受け入れないと家名なしとなる。


「王妃様の計らいで、ハッピー・ライラックと呼ばれていたリラの幸運が、今後も残るようにと特別に。普通はこういうことはもっと長く議論されて承認されるのですが、王妃様とリリアン様が特例として認められたそうです」


 自分で言うのもなんだが、本当に、リリアン様そして王妃様からは大事にされている。


 リリアン様は純粋に私に対する好意だが、王妃様は感情論だけでなく、色々と考えた末だろう。


「伯爵位授与の際、ソレイユの名を付ける訳にはいかないからですか。それに、結婚した女性個人へ新たに爵位を与えるというのもかなり異例ですから、事前に功績への箔付けでもしたかったのでしょう」


「結婚をせかすためだけで、爵位はなかったこととなるかもしれませんね」


 レオンが誰と結婚をするのか、それは国としても注視すべきことだった。後ろ盾のない私は、本来公爵家に嫁げるようなものではないが、王族としてはその方が都合がよかったからこそ推し進めていたのだろう。


 ただ、ルビアナ国の王になぜか気に入られ、新しいマービュリアの王にも貸しを作ることになっている。これは一種の後ろ盾になってしまう。だから本来は結婚を阻止したいのではないだろうか。だから伯爵位を与えて結婚を阻止するのだと思った。


 眠れなかったのは口づけの余韻と、王宮は、私たちの結婚書類を受理しないのではないかと考えていたのだ。おじい様の考えは法的には可能でも、法律よりも王族の方が強い。


 結婚をしたからと、褒美として押し付けられる爵位もなくなったのなら話は楽だ。


「いえ、確認に行った際、マリウス殿下から正式な書簡を渡されました」


 爵位が与えられないのではという希望はレオンが差し出した書類で打ち消された。


「……ライラック男爵領の管理ですか」


 元ライラック男爵領とされていないのは、兄とされていた人が男爵家から除名されたからだ。


 そして、ライラック家の血を継ぐとされる唯一の人間が私なので、次の管理方針が決まるまで、一時管理をするようにという命だ。管理と言っても国が選定した管理官が今は面倒を見ているので、とりあえず早急に水を溜めてくれというものだ。


「貯水池に水を溜めるのは、まあ、領地の人が飢えても困るので引き受けます。ほぼ空でしょうから、できるだけ早く向かいたいと思っています」


「魔力切れを起こしたことを考えれば、数日滞在して、何度かに分けて水を溜めるようにお願いします。あんな姿は見たくありませんから」


 完全な魔力切れを起こす前に倒れるので、そこまで危険はないのだが、まあ、心配させるので言うことは聞こう。


「時間的には、飛行船を使いたいのですが」


「いやです」


 馬車で数日かかる。飛行船なら一日とかからない。それくらいは知っている。


「それに、飛行船は高いですから」


 私的なことに使って払える額ではない。


「……俺も一緒に乗るから」


「だから余計にヤなんです」


「………ライラック領の臨時の管理をできる者たちを何人か送る必要があります。ソレイユ家の関係者になってしまいますが、利益などの関係については早急にシーモア卿に書類作成を依頼します」


「……恩を売って何を求めるおつもりですかっ」


「一緒にライラック領に行きたいですが、行き来に使う時間が俺にはありません」


「なら、私だけ先に馬車で向かいます」


「いえ、時間がないのはリラも一緒ですよ」


 子供を諭すようないい方に腹が立つ。





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