第156話 ビオラ・ソレイユお義母様



 レオンの行動は、ちょっと引くほど速かった。


 私を置いて先に公爵家へ戻った。腕の怪我で馬に乗れないので、乗り心地を犠牲にした早い馬車で先に行きますと颯爽と走り去った。王宮のいい馬車で私がついたときには既に公爵様から署名を得ていた。


 それに私もサインしたらすぐにシーモア卿のところへ行ってしまった。


 おじい様からは、前回の婚約の時のように、困ったことがあればまずは相談するようにと怒られたが、まさか同日にレオンがやってくるとは思うまい。


「レオンったら、新妻を置いてどこかへ行ってしまうなんて」


 レオンの母二人が、孫を眺めながら茶を飲んでいる。そんなお二人を公爵様が愛でている。


 そんな中に取り残していったレオンを少しばかり恨む。今ここは、完全にアウェイだ。


「レオンさんから事情は聞きましたけど、しばらくは婚約時と同じ関係性でいると伺いましたわ。本当でしたら、公爵領に連れて行ったりしてから婚姻だというのに」


 第一夫人が孫を抱きながら言う。


「王妃様主催で結婚式を開いてくださるとは聞いています。それまでは、体調や体系の管理を第一に考えたほうがいいでしょう」


 続く言葉からするに、急な結婚で勘繰られるのは婚約中に妊娠したからというものだ。そこまで珍しい事ではないが、外国に行っていた間にできた子ではと勘繰られると、色々と面倒が起きる可能性がある。どこかからルビアナ国の王からの求婚が漏れれば、不義の子と噂されるかもしれない。


 公爵家に嫁ぐ以上、私の血を継ぐ子供が爵位を継ぐ可能性は十分にある。汚点を付けるなということか。


「婚約者用の部屋ですが……」


 第一夫人が赤子を膝に乗せたまま、茶を一口飲む。


 書類上は結婚ということになれば、これまでの立場から変わる。


 今までは、結婚することはなかったが、婚約期間から一変したという話を耳にしたことはある。


 馬小屋へとは流石に言われないだろうが、レオンが用意した部屋はかなりいい部屋だった。流石に、あそこよりも低い場になるだろう。


「夫婦となったからと夫婦用の部屋に強制するのはどうかと悩んでいます。わたくし自身、お義母様の手前ダンデリオン様と夫婦の部屋に移りましたけれど、色々と面倒くさかった思い出がございます。リラさんはどうしたいかしら」


「わたくしも、今はビオラさんと同じお部屋になれてよかったですわ」


 レオンの母二人が孫を挟んでいちゃついている。


 前はもう少し隠していたが、正式な嫁になるため隠す気がなくなったのだろうか。


 邪魔だったと暗に言われている公爵様は、少し離れた席で茶を飲みながら二輪の花を愛でている。


 恋人関係だという公爵夫人二人、第一夫人を愛してそれすらも受け入れた公爵。レオンのおばあ様には隠していたようなので、色々と大変だったろうとは思う。


「ああ、でも……リラさんは、レオンさんの事がお好きならば、むしろ早急に夫婦部屋を用意するべきかしら……」


「いえ……その。急ぎません」


 いっそ使用人部屋に移された方がマシかもしれない。


 色々と自覚してから、困ったことがある。


 そもそも、私はどう接すればいいのかがわからないのだ。


 婚約者として、家の仕事を手伝ったりはしてきた。場所によっては野草をとって飢えを凌いだこともあった。


 婚約者という名の無給労働源として働かされたこともある。いいところは小遣いとしてお金をくれたりもした。


 私にとっては、婚約と書いて住み込みの短期雇用であることが多かった。


 これまで色々な事を教えてもらい、学んできた。けれど、習っていないことがある。


「リラさん」


 第一夫人が、第二夫人に孫を任せ、こちらにきた。


「少し、二人で話しましょうか」


 言うと、すっと部屋を出ていく。慌てて後ろをついていった。


 どこまで歩くのだろうかと考えていると、屋敷の外にまで出てしまった。


「ここは、お義母様がたくさん花を植えておられたの。とても女性らしい方で、私が嫁いだ当初はビオラの花ばかり、けれどラナンがレオンさんを産んでからはラナンキュラスが咲き乱れていました」


 第一夫人と第二夫人の仲が良くとも、嫁姑問題はあったということか……。


「いまは、色々な花があるのですね」


「ええ」


 真新しく整えられた区画にあるのはライラックの木だった。


「お義母様の考えは理解できませんでしたけれど、新しくできた娘と同じ名前の花を植えたいという心情に関しては、今なら理解できます。けれど、その花がここに根を張りたいのかは、私にはわからないこと。花を植えることが押し付けになってしまはないか……今はそれが心配です」


 今は幸せそうに見えるけれど、心の底から望んだ結婚ではなかったのだろう。子供が産めないとわかっていながら、第一夫人にと望む公爵の言葉を拒める家は多くない。


「私の母は、随分と昔に亡くなってしまいました。新しく母と呼べる方たちが、二人もいるのは心強く思っています」


 そう返すと綺麗な女性が優しく微笑んだ。


「私も、レオンさんが、ちゃんと両想いになってから結婚ができて喜ばしいわ」


「……」


 両想いと言われて、顔が熱くなる。


「あらあら、ミモザさんが遠くに行ってしまって寂しかったけれど、可愛い娘ができてうれしいわ」


 そんなことを言われながら、意を決して問いかける。


「あの……、私には、結婚というものが分からないというか、実感がないのですが……、何をすればいいのでしょうか。その手の教育をしてくれる母はいませんでしたから、知識が足りず……」


 そもそも、私は何をしたらいいのか……。仕事の手伝いなどはいい。だが、これまで婚約者はいても恋人と呼べる関係ではなかった。レオンとも、距離を置くようにしていたから、わからない。


「定期的に、お茶を一緒にしてあげればいいのではないかしら」


「……」


「ああでも、わたくしが輿入れするときの条件を聞いたラナンは、頭がおかしいと言っていましたから、参考にできないかもしれないわ」


 答えを聞いて、聞く相手を間違えたとは思った。


 ズレてはいるが、娘として受け入れようとしてくれていることは、とても嬉しかった。





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