第14話 ブルストとエール


 リラがあれだけきつい態度になっても不思議がない。むしろ、謝罪しなければならないだろう。


 尋問中だが、皮膚病のような症状がでる薬と、激しい下痢を起こすもの。そして不妊に繋がるものだったという。


 使用人たちは共に一口しか食べておらず、吐き出したため、治療も本来であればいらない程度だと教会の治癒師は言っていた。


 念のため、他の出されたものも調べてもらったが、他には毒が入っていなかったそうだ。


 今回、王太子が使う毒見役に確認をしてもらったので、今度王宮に行ったら嫌味を言われるだろうが背に腹は代えられない。


「リラ殿、よろしいですか」


 緊急でなければ流石にノックと許可を得なければ淑女の部屋には入らない。


 男爵家のメイドだった少女がドアを開けて招き入れられる。


 リラには眺めがよく、婚約者に相応しい部屋を用意させた。食卓用のテーブル、それとは別に執務机と化粧台。天蓋付きのベッドは飾りが施された衝立で仕切られている。他に浴室はかなり豪華で、湯船はもちろんマッサージ用のベッドも備え付けられている。続き部屋にメイド用の部屋が用意され、いつでも必要な時に人を呼べるようになっている。


 メイドたちが粗相をした場であることを除けば、こちらが本来どれだけ好意的に迎え入れているかわかるだろう。


「レオン様、先ほどはお騒がせしました。それと、毒が入っているとわかりながら食べるよう促す言動をしたことを謝罪いたします」


 リラが、頭を下げて謝罪をした。


「いえ、あれは我が家の使用人の不始末です。どうか頭をお上げください」


「そういっていただけてよかったですわ」


 上げた顔は、完全に取り繕われた微笑みだった。


「その、少し話をしたいので、座りましょうか。食欲があるようでしたら、土産も持ってきています」


「毒がないものでしたら」


 毒気のない微笑みで毒のある言葉が返ってきた。むしろそれに少しほっとした。


 侍女の少女にいい、外で控えさせていた料理人に料理を運ばせる。


 テーブルに置かれた皿から半球の銀に輝く蓋が外され、貴族の料理としては品のない強い香りがした。


「っ」


 リラが唾を飲みこみ、僅かに目を大きく見開いて見つめている。


 横にエールの瓶が置かれると、目が輝きだす。


 エールをカップに注いでから、料理人は早々に部屋を出て行った。


「以前、注文をしてもらったのに食べ損ねてしまったので、お付き合いいただけますか」


 頭からエールをかけられるという衝撃の日、リラがおいしそうに食べていたこのブルストを結局食べないまま帰ってしまった。


 俺が知っているリラの好きなものは、これしか知らなかった。


 女の機嫌を取るには宝石か甘いものだと聞いていたが、甘いものは種類が多すぎる。宝石はなぜか本能が地雷だと告げていた。こんな安物だが、確実性が高い。


「……仕方ありません。冷める前にいただきましょう」


 できるだけ熱々でと命じたため、熱した鉄の皿で持ってきた。それを注意するまでもなくリラが食べ始める。


 空腹の女とは口喧嘩をするなと聞いている。食べるのを待つ間、自分用に用意させたブルストに手を付けることにする。。


 切ると、熱した鉄板に肉汁があふれ跳ねた。白いテーブルクロスに油じみがついた。


 口に入れると、あまりに熱く慌ててエールを飲んだ。


 普通はワインを飲んでいる。エールは遠征で口にしたくらいだが、よく冷えたそれが熱を冷ますのにちょうどいい。


 口に残っているブルストを噛めば、ジワリと肉汁が口いっぱいに広がり、エールの苦みと絡み合った。


 品があるかと言われれば、下品な食べ物と揶揄されるだろうが、美味いかと聞かれれば、美味い。


「これは、普通のブルストですよね」


「普通の定義によります。各店で香辛料の配合も変わります。基本は豚肉を使いますが、あえて牛肉を少し混ぜたり、変わり種はラム肉を使う店もあります。この店は、ゼラチンで固めたスープを混ぜこむことでこのようにジューシーさを出しているのです。香辛料はとてもシンプルにして、肉本来のうまみがダイレクトに来るように仕立てられているのです。数種類のブルストを出す店もありますが、ここは一種類に絞ることで味の安定を図り、常に高品質な味を保っています」


 思いのほか長い解説がきた。


 庶民的な食べ物だが、とても手が込んでいて研究のたまものだということか。


「ブルストにお詳しいんですね。他にも好きな食べ物などは?」


「エールに合えば大体なんでも好きです」


 とても上品にエールを飲んでいる。普通令嬢や婦人はエールを飲まない。泡が口髭のようについて品がないとされるし、独特の苦みが嫌厭されるのだ。だがあまりに優雅に飲むのでまるでシャンパンでも飲んでいるようだ。


「甘いものはお嫌いで?」


「甘いものも好きです。合わせるお酒はものによります」


 酒ありきなのか。


「どういった酒がお好みですか?」


「……量はあまり飲まないので、あまり度数が高くないものですね。お酒が好きなのではなく、食べ物と合わせて飲むのが好きなのです」


 リラが切ったブルストからは汁があふれず、熱い鉄板で跳ねることがなかった。不思議に思いながら、食べるのを見ていた。


 目を細めて噛み締めた後、ビールを口にする。


 妖艶と言っていい表情で目のやり場に困ってしまう。


「執事の方に、レオン様が許可すれば厨房を借りてもいいとのことなのですが、週に一度か二度、どこかの厨房をお借りしてもよろしいでしょうか」


「厨房ですか? この程度のものでしたら、対応するように言っておきますが」


「いえ、自分で作るのも好きですので、道楽の一つと考えていただければ」


 貴族は普通厨房に立たないが、下位貴族の跡取り以外は平民になっても生きていけるように習うことがあると聞いたことがある。リラも男爵家の出身ならば習ってきたのだろう。


「わかりました。使えるように手配しておきます。使用される日はできれば前日には伝えるようにしてください。材料などもその時に言えば準備するようにしておきます」


 上位貴族でも、料理を趣味にしている者もいる。


「ありがとうございます。後は今日でなくても構いませんので、変更した婚約書の確認をさせてくださいますか?」


「構いません。もちろん、リラ殿の事情で婚約破棄となった場合、リラ殿に多額の賠償を請求するようなことにはしておりませんから安心してください」


 本来、あの場で婚約をないことにする方が正しかったのだ。だが、あの状況を知ってしまって、ただの準男爵でしかないリラを放置することはできなかった。


 おそらく、彼女自身は理解していないだろう。男爵家に魔力を搾取されるだけならばまだいい方だ。それこそ、婚約破棄になった場合はマリウス王太子にリラの保護を求めるつもりだ。


「……公爵夫人などとメイド長が申したので、心配していましたが、婚約破棄に前向きなようで安心いたしました」


「いえ、私から婚約破棄するつもりはありません」


「……はい?」


 本当に言葉が理解できないような顔をされてしまう。




「自分は本心からリラ・ライラック準男爵と婚姻したいと思っているので婚約を申し込みました。そもそも、婚約期間は互いを知り、生涯の伴侶として問題がないかの確認期間です。基本的には、余程の問題がない限り破棄するものではないでしょう」


 最初の印象とは違う面も多々あり、色々と大変な人生を歩んだ結果に戸惑いもあるが、一度求婚しておきながら、撤回するようなことはしない。


「……そうですか。でも安心してください。一年もしない間に、人生を変えるようなことが起きて、このお話もなかったことになるでしょうから」


 どこか晴れ晴れとした顔で宣言される。


 そうか、王太子との婚約が聖女様の発見で破棄された後ならばそんな考えにもなるのかもしれない。


 王太子とは甘い雰囲気になることもないままだった。きっと女性として尊重されることが少なかったから、そのように自分を蔑んでしまっているのだろう。


 自尊心を取り戻せるように婚約者として勤めていこう。



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