第15話 仕立て屋のモリンガ男爵夫人


 モリンガ男爵夫人は、貴族専門の仕立て屋として公爵家に足を踏み入れた。


 若い令嬢に人気のドレスの店として有名になったが、流石に公爵家に足を踏み入れるのは初めてのことでした。


 依頼内容は新しく公爵家に入られたご婚約者様へ服の贈り物です。


 金額に関しては制限を設けないとのお話で、つい浮足立ってしまいます。


 公爵家の中でもソレイユ家は資産が多い事でも有名で、跡取りのご令息には婚約者候補が何人も上がっておりました。もちろん、リサーチは済ませております。


 伯爵家のとても可愛らしいご令嬢がつい先日ご婚約されるという噂を耳にしております。


 婚約者は存じませんでしたが、時期からしてお相手は公爵家で間違いないでしょう。


 宝石好きで知られていた令嬢が気に入るよう、愛らしいドレスをたくさん用意しました。普通はなかなか売れない高級品ばかりです。


 植物園のように広い庭を抜け、純白に水色のラインが入った城のようなお屋敷に案内されます。


 案内された部屋は、日当たりのいい、跡取りの嫁のためには適した場所でした。


 家によっては継母が下女用の部屋を与えることもあるので、ご婚約者のお嬢様はとても大事にされているとそれだけでもわかります。


 メイド長が直々に部屋まで案内してくださり、ノックの後、部屋に入りました。


 そこですぐに、間違いに気づいたのです。


 待っていたのは薄紫の長い髪をした、女性でした。既に二十歳は超えているでしょう。そして、その人形のように整った顔には見覚えがありました。


「リラ……様?」






 毒物事件の一件は、こちらとしてもありがたいものだった。少なくとも、私の前で舐めた態度をとるメイドはいなくなった。他のメイド二人も私に対するどこか馬鹿にした雰囲気があった。そして料理長はとばっちりだが、もし私が毒を食べていたら処罰されたのは彼だ。だから、必要な犠牲だった。無論、即死する毒でないのはわかったうえで食べろと命じている。


 おかげでかなり生活がしやすい。


 それに公爵令息に書類を確認させてもらった結果、賠償金の支払先と金額が変更となっていた。こちらからの支払はちょっといいごはん十回分くらいのふざけた額で、相手からの婚約破棄は前の額より高くひと財産だった。それが今回は実家ではなく私個人に支払われると書かれていた。


 守銭奴と呼ばれても、女一人で生きるには金が要る。


 今の私は、金に目がくらんだ状態だ。


 どうせ一年ほどで先方の事情で婚約破棄になるのだから、こちらから婚約破棄せずお金をもらった方がいい。


 十二度も婚約破棄されてきたのだから一回増えたところで大した問題ではない。それで相手にハッピーが訪れるのだから、別に相手も支払損ではない。


 今回の第一目標は円満に婚約破棄をさせること。


 二番目の目標は公爵家の書物を色々読む。後は、台所を使って商品開発だ。


 準男爵らしく、卑しくも商売をして金を稼ぎたいのだ。


 婚約破棄でまとまったお金が手に入ったら、店舗用の家を買おう。そこでひとり食べられればいい程度の商いをしよう。クララは……いいメイドになればどこかで仕事に就けるだろう。


 そんな野望を秘めながら、私室で採寸をされている。


 暇すぎて、今回はどんな破棄理由かランキング形式で考え始めるところだった。


 因みに一位は運命の人の出現。公爵となれば他国の姫か王族のどこかの傍系の令嬢か。


「背が以前に比べて随分と伸びたようですが、矯正などなどはされなかったのですね」


「背が高いと言っても、背の低い殿方よりは高い程度。幸い、婚約者になられたレオン様は私よりも背が高いですから」


 並ぶと背が低く見えるから横には立たないように指導されたこともあった。今回はかなり高いヒールでも履かない限りそんなことは言われないだろう。


 成長期にあまりにも背が伸びるようならば薬を飲んで成長を止める貴族令嬢もいると聞く。そんなのだから貴族の乳幼児死亡率は平民と大して変わらないのだ。


「コルセットも好きではないので、極力ないデザインでお願いします」


「かしこまりました。ただ……少し胸部が寂しいので、補正用の下着を付けていただくことになりますが、よろしいでしょうか」


「……はは」


 胸なんて脂肪の塊だろう。やせ型長身で貧乳。女性らしさが低い自覚はある。男はみんな乳が好きなのだ。


 事細かにサイズを計られ、うんざりしたころに解放された。ここまで細かい店も珍しい。


「では、デザインですが、どういったものがお好みでしょうか。もちろん、他にご要望があればご期待にお答えいたします」


 仕立て屋の女性が持ち込んだ衣類を示す。サイズを計っている間に飾るように大量の服が並べられていた。


「屋敷で過ごす用の服を四着と、寝巻が三着、それと外出用は大人しめのものと少し高いものをそれぞれ一つずつ。後は……作業用の服が欲しいわ。これはズボンで作って」


「……………かしこまりました。では、まずは外出用から見ていただきましょう」


 公爵家に出入りする仕立て屋だ。ポーカーフェイスは完璧だ。だが、あまりに少ない注文に採算が取れないとそろばんを弾いてしまったのだろう。


 勧められたのは宝石が縫い込まれたドレスたち。ふんわりとした女の子ならば似合うだろうが、私が着るとかなり……やばいことになる。


「モリンガ男爵夫人」


 丁寧に化粧をした女性に問いかける。


 どこかで見た気がするが、妙齢の婦人は似てくるので、気のせいかもしれない。


「私に似合うものはどれだとお考えかしら」


 色々な家格の服を見てきた。金もないのに高級品しか着ないという馬鹿な家、ケチって安い仕立てしかしない家、王宮に関しては、常に最高級しか身に着けることが許されなかった。些細な反抗心として、絹のパンツではなく木綿のパンツをこっそりと穿いていた。


 目利きには自信がある。どれを勧めるかで、モリンガ男爵夫人の程度がわかる。


「………」


 一度振り返り、持ってきた衣装を一瞥した。公爵家にやってきた婚約者に贈る服としては十分な品質と価格だ。だが、ただそれだけだ。


「………申し訳ありません」


 意を決したように、夫人は頭を下げた。


「今回ご用意した物の中には、リラ様に似合うものはございません」


 メイド長の顔が青くなる。


「今回、お持ちしたのは、背の低いご令嬢に向けたものでございます」


「まあ、私が着ると、かなり不格好になりますね」


 これで、売り込んできたら、帰ってもらってもいいと思っていたが、ちゃんと間違いを把握しているらしい。


 まあ、オーダーの仕方がよくなかったのだろう。これは相手側ではなく公爵家側のミスだ。


「外出用のものは、後日サンプルを持ってきてください。それから決めましょう。寝巻や屋敷内のものは、華美でないシンプルなものなら特にこだわりがないので構いません」


 本当に着たいタイプの服は、公爵家には合わないことは理解している。貴族用の仕立て屋にそんなことを求めては酷であることはわかっている。


「リラ様、大変失礼かと存じますが、もう少し、詳しくデザインを詰めさせていただけないでしょうか。必ずや、ご満足いただけるものをお作りいたします」


 なかなかの意気込みだ。


「わかりました。いくつか、試してみたいものもあるので、折角なので」


 作業用の服は、どんびかれる自身があるが、汚れていい服が欲しい。これに関しては実費で作ってもらう予定だ。公爵家を出ても持っていきたいのだ。


 それから、お茶を用意してもらい、希望のデザインを話す。


 用意してきた服は宝石がついているものも多かったが、レースを上手にあしらったドレスも多い。そういえば昔、ドレスにレースを使ってほしいと頼んだ仕立て屋があった気がする。


 あの時は、カーテンに使うものを身に纏うなんてと笑われてしまったが、最近はそれも流行になっているようだ。


 背が高い自覚があるので、今回持ってきたふわふわ女子が似合いそうなものは着ない。着てみたいとは思うが、似合わないものを買うのは無駄だ。


「スリット……こんなにも深く」


 顔を引きつらせているモリンガ男爵夫人に、簡単にデザインを描いて見せる。


「生足は見せず、絹の艶っぽくて薄いスカートか、ズボンを中に穿きます。後、あまり透け感のないレースでもいいです。後、屋敷用の服の内二着はキュロットスカートにしてください。一見スカートに見える作りで、例えばこういうデザインにすれば、どう見てもズボンに見えないでしょう」


「それなら、スカートをお履きになればよろしいのではありませんか?」


「おまるを使っていた時代じゃあるまいし、スカートの利点はそれほどありません。それに、あえてこのような形にするのは、最終的に貴族女性がズボンを穿くことへ違和感がないようにするための準備です。最終的には女性用ズボンを一般化させたいのです」


 かわいい服も観賞するのは好きだが、私はズボンが似合うのだ。


「相変わらず、リラ様は他のご令嬢とは違った要求をされるのですね」


「? どちらかでお会いしたことがありましたかしら」


 初対面だと思ったが、やはり知り合いだったか。


 自分でも、人の顔と名前を覚えない癖は何とかしないといけないとは思っているが、どうにも難しい。シーモア卿は、人の顔の認知が難しいのかもしれないと真剣な顔で言っていた。


「いいえ、長くお話をさせていただいたのでついそう思ってしまっただけですわ。リラ様のご希望を考慮して、仮縫いの段階で一度お持ちさせていただいてもよろしいでしょうか。普段とは違ったデザインですから、調整は必須になります」


「そうですね、一度確認はさせていただいたほうがいいでしょう。ああ、これは、フルオーダーだと思うのですけど、デザインの流用はどうなるのでしょうか?」


 普段と違うというくらいだから、一般貴族とは違った服になる。布の格が高ければそこまで問題ではないだろう。


 レースを使った服は、流行というよりは当たり前に取り入れられるようになった。考えただけでは金にならない。金を手に入れられるのは実行した人間だけだ。


 流石に王宮では、こんな攻めたデザインの注文はできなかった。婚約破棄後不敬罪で処刑が一番怖かったので、比較的おとなしく生きていた。その反動だろう。


「……デ…デザイン料を、一部、お支払するのはいかが、でしょうか。もちろん、独占したい場合は有料にはなりますが、デザイン特許を取り、ソレイユ公爵家の特権とすることは可能ですわ」


 デザイン特許は結構取るのが大変だ。それだけとはっきりと特殊性を出さなければならないし、証明しないといけない。準男爵程度では、おそらく通せない。


「わたくしとしては、女性の活躍の場が増える方がうれしいですから、特許はいりませんわ。わたし一人が着ていてはちょっと変わった恰好をしている令嬢で終わってしまいますから。後、デザイン料は期限を先八年とし、リラ・ライラック準男爵宛てでお願いします。仮縫いの時にでも書類を持ってきてください。確認の後、署名をいたします」


 これが、同格の男爵家か下位の準男爵相手ならば、口約束を反故にしないとは言えないが、相手は公爵家にいる。そんな危険を冒すような相手が、ここに呼ばれるとは考えにくい。


「準……男爵ですか?」


「ええ、最近準貴族の爵位を個人的に手に入れましたの」


「そうでしたか……。女性が強く生きるためには、最低限必要なものですわ」


 準男爵は平民からすれば尊敬すべき相手だが、貴族からすれば蔑む相手だ。少しでもそういう目をすれば底が知れると思ったが、どこか慈愛を感じる視線が帰ってきた。



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