第8話 レオンの来訪
約束通り、アルフレッド男爵との契約書を確認するために、男爵家の領地でやってきた。
しばらく家を空けることになるため、仕事の調整などがあり、予定よりも遅くなってしまった。
出発前に、レオンはリラの宿屋へ寄ったが、残念ながら外出していたため手紙を置いてきた。
リラ・ライラック男爵令嬢に対して、好意を抱いていたのは本当だ。相手に認識されない程度の接触だったため、一方的な片思いであることは理解していた。婚約破棄された日、手を差し出したがそれを拒否し、彼女は庭へ姿を消した。それを追い、婚約の打診をしようとしたときに、彼女の兄、アルフレッド男爵に捕まったのだ。
今では、自分の価値観が、リラとは違うことを理解していた。誠意を見せるために、骨を折ることくらいしかできない。
数日かかるところを飛行船で時短を計り、馬車に乗り換えて領地に入った。噂には聞いていたが、降雨の少ない土地でありながら、かなり立派な農地であることに驚いた。
男爵の館は、領地の規模を考えればかなり立派だった。これならば、リラの教養も理解ができた。幼いころから子女であっても金をかけることができたのだろう。
本来であれば来訪の先ぶれを出すのだが、シーモア伯爵の助言からあえて行なっていない。準備する間を与えないようにとのことだ。
「は……、ソレイユ……公爵家の、ご令息様ですか……」
連れてきた秘書補佐が門に出てきた執事に簡単な説明を済ませる。
馬車の窓を少し開け、聞き耳を立てる。
男爵は現在領地の視察で外出中のためいつ戻るかわからないと言い訳をしている。それに対して秘書補佐はまさかこのまま馬車で待たせるおつもりかと笑顔で詰めている。
案の定先ぶれが来ていないとしどろもどろに言うが、出発より前にもちろん出していた。何かの手違いか事故で到着しなかったのかもしれない。それについては詫びるが、それを理由に帰れと言うのかと聞き返していた。
男爵家と公爵家は、男爵家と平民ほどの差がある。同じ正式な貴族階級であったとしても、本来であれば話しかけられるまで声をかけることも躊躇われる。余程の内容であればいいが、世間話では無理だ。
押し問答はさして長くはかからず、ほどなくして門が開かれて中へ招かれた。
執事程度では、主が不在だからと公爵家のものを追い返せるわけもない。
居留守か、本当にいなかっただけか。
案内されたのは客室で、随分と贅を尽くしている。白漆喰に金の装飾もある。
「普段ですと、夕刻までにはお帰りになられます。現在、アルフレッド様には戻っていただくように馬を走らせましたが、まだしばらくかかるかと」
「……領地の視察だと聞いたが、今日はどちらへ」
出された茶は、おそらく最高品質のものだろうが、シーモア伯爵の元へ行った時、リラが淹れてくれたものの方が余程美味だった。
「市勢の視察かと……」
曖昧な言葉を返される。
「時間がかかるのならば、庭を見たいのだが?」
「庭ですか?」
「ああ、何か問題が? 屋敷の中を見て回りたいと言うほど失礼ではない」
庭は基本来客への見栄だ。見て回りたいといって断られることは少ない。
少し焦ったような顔をされたが、結局執事は許可をして、そちらへ案内される。
リラ・ライラックに興味があるならば、生家へ行く機会にその目で確認するといいと、これもシーモア伯爵に言われたのだ。
庭は花よりも植物を基本にしていた。春を過ぎ、夏を前にして緑がとても鮮やかだ。そんな中、何本かの木が目立つ。名前と同じライラックの木に溢れるように花が咲いていた。
花の名前を冠する貴族が多く、庭にはその花や植物を植えることは一般的だ。
ジャスミンの中に青い香りを感じるような匂いが鼻をくすぐる。
まさに、リラ・ライラックを花にしたようだと思ってしまう自分が少しばかり不憫だ。
婚約破棄までのリラのイメージは木から伸びる一本のライラックを花瓶に飾ったものだった。王宮内で、王妃教育とまではいかないが、それに近い扱いを受けていた。それに真摯に向き合う姿を知っている。
だが、あの酒場で話したリラは、切り花ではない木に咲く花だった。一つではなく、いくつもの顔があった。男勝りと言っていいような態度は自分を守るためだったのだろう。酒をかけられたのはさすがに驚いたが、意にそぐわぬ婚約をした自分が悪い。
いまだに、どこか諦め切っていない自分になさけなさがある。
ライラックの後ろに古い建物が見えた。
どちらかといえば、男爵家にはこの程度が一般的な規模の屋敷だ。
「あちらは?」
「旧館にございます」
淡々と答えられた。
リラの生家としては、あの旧館が正しいのだろう。
本来客に見せる場ではないだろうが、どんな場で育ったのか、興味はあったのでそちらに足を向けた。
「現在は使用人が住んでおりますので、公爵様にお見せするような場ではございません」
「我が家にも使用人の宿舎くらいはある」
適当に返して進むと、掃除をしている子供がいた。子供と言っても十代半ばだろう。
「あっ、リラ様がもうお戻りになられますか」
こちらに気づいた少女は執事の顔を見て慌てて問いかける。それを聞いて執事の顔に怒りとも焦りともとれる表情が浮かんだ。
「リラ殿がこちらにいるのか?」
「まさか、近くご実家に帰られると聞いたからでしょう」
ごまかそうとしているのは明らかだ。
「え、でも」
困ったようこちらを見比べている少女が口籠る。よく見ると、片頬が不自然に赤くなっていた。誰かに叩かれたように。
「……男爵家の執事ならば、爵位を持っていても低いだろう。公爵家への虚偽で裁判にかけることもできる。嫌ならば、向こうへ向いて耳も塞いでいるといい」
執事に耳打ちをする。
主人を守るか、自分を守るか。簡単な選択だ。
執事が一度メイドの少女を睨んだ後、背を向けた。
少女に近づき、腰を屈めて問いかける。
「リラ殿は今どこにいるか知っているか?」
「あ、えっと……貯水池の視察に、男爵様と一緒に、行っています」
「リラ殿は、ここに帰っているのか?」
「はい、昨日の夜にお戻りになりました」
リラのあの調子から、自分で帰ったとは思えない。
「……はぁ、場所は知っているか?」
「え、はい」
もし、リラが案内された場所にいたら、この少女には礼金を払い、新しい奉公先も紹介しなければならないだろう。理解していない子供に、雇い主に不利益を与えたという罪を犯させたのだ。
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