第7話 メイドのクララ


 アルフレッド男爵様からリラお嬢様がお戻りになられたので世話をするようにと命じられました。


 メイドとして雇われて五年。クララがリラお嬢様のお世話をすることは多くありませんでした。


 基本的に、お世話は全てまかされているけれど、そもそもお屋敷にいることが少ない方だったのです。


 リラお嬢様が十七歳の時に初めてお会いしました。婚約者の家から帰省するときしかおられないため、年に何度か一週間ほど戻られだけでした。


 薄紫の長い髪、背がとても高くてスタイルが都会の女性のようでとてもカッコいい。


 最初にお会いした時は背を丸め、どこか人形のようだった顔も、少しずつ変わって、背筋を伸ばしてまるで上級貴族のように美しい所作を習得されています。


 はやり婚約者と幸せだと女性は変わるのだわ。


「午後から、貯水池の視察に行く。リラが同行できるようにしておけ」


 アルフレッド様が朝食の席で命じられます。粛々とそれに頷いておく。


 リラ様が里帰りをされると決まって貯水池の視察に行かれる。なんでもリラお嬢様に水魔法の使い方をお教えしているらしいです。場所を間違えると水浸しにしてしまうので貯水池がちょうどいいそうです。


 ライラック男爵家の領地は雨が少ない土地で、昔は飲み水の確保すら難しいことがあったらしい。けれど大きな貯水池が完成してからはとても安定している。なんでも湧き水が湧いているらしく、雨が降ってなくても大丈夫なのだそうだ。


 正直アルフレッド様のような貴族に仕えるのは大変ですが、おかげで水問題に悩まされなくなったので感謝しています。普段尊大だけど、私たち領民のこともお考えなのでしょう。


 食事の給仕の手伝いを終えてから、旧館のリラお嬢様のお部屋に向かいます。


 昨夜急にお戻りになったと聞いています。


「リラ様、朝食をお持ちしました」


「入って」


 リラお嬢様は眺めがいいからと小さなころから屋根裏を使われていると伺っています。


 洋服ダンスが一つとベッドと勉強机があるだけ貴族の子女の部屋とは思えない質素さです。


「きょ、今日は豆のスープです。柔らかくしてもらいましたよ」


 他のメイドが慌てて掃除してくれたのか、お部屋はきれいになっていてほっとします。


「アルフレッド様が貯水池の視察にリラお嬢様もお連れするとおっしゃられておりました。あの、食事がすまれたら、準備いたしますね」


「……ええ、よろしく」


 リラお嬢様は胃が弱く、基本的によく煮込んだ野菜のスープくらいしかお食べになりません。それでは体に良くないと、リラお嬢様がお帰りの時は私のおかずとパンをお分けしています。最初は料理長に頼んだのですが、アルフレッド様に叱られるというのです。


 昔はお体が弱かったのでしょうが、今は出したものは食べてくださります。


「そういえば、あなた、名前はなんだったかしら」


 リラお嬢様のベッドを整えていると、そんなことを聞かれます。


「くっ……クララです」


「私、実家に帰ることが少ないから、あまり使用人のことを覚える時間もなくて」


「いえ、使用人の名前を憶えてくださる方のほうが珍しいですから」


 名前を聞いてくれただけでもうれしい。


「……昔は、野菜のスープだけだったはずなのだけど、腸詰が入っていたり、パンもあったり……料理長が変わったのかしら」


「あ………その、申し訳ありません」


 今日はばれないようにスープに腸詰を入れた。きっとお嫌いだったのだ。


「怒っているのではないの。むしろ、婚約先ではお肉を食べられるようになったから、正直実家のご飯は口に合わなくなってしまっていたからうれしくて」


「りょっ、料理長にお肉もつけてもらえるようにお願いします!」


「……これは、料理人が作ったのではないの?」


「あっ……その、アルフレッド様が、お嬢様の健康を考えた献立だというのに、私のご飯の分から、お持ちしました。使用人の食事など、失礼だとわかってはいたのですが」


 この旧館は使用人が主に使っています。旧館の古い調理場で少し手を加えてから持ってきたのです。


「……クララは、いくつかしら」


「じゅっ、十七になりました」


 愚図だから、いまだにお給料も少ないけれど、生活に困ることはない。ここを追い出されたら、それこそ娼館にでも行かないと働き場所などないといつも言われている。


「親御さんは?」


「ち、小さいころに、流行り病で……おじさん夫婦の家で、育ててもらって、十二の時に、こちらで奉公を受け入れていただけました。あの、勝手なことをして申し訳ありませんでした。どうか、追い出さないでください」


 おじさんの家には子供が多くて、私が帰る場所はない。


「なぜ? 主人のために、何ができるかを考えて、自分にできる最善を尽くしたのでしょう? それとも、残飯でも喰らえと用意したのかしら」


「ち、違います。お腹がすくのは、しんどいのでっ。せっかくご実家に帰られたのにと思って」


「そう、なら顔を上げなさい」


 以前帰られた時よりもさらに美しくなられたリラお嬢様が宝石のような緑の目でこちらを見ます。


「あなたの心遣いに感動したわ。ありがとう、とてもおいしいわ」


「あっっ、ありがとうございます」


 頬が熱くなる。


 ありがとうなんていわれたのはいつぶりだろう。






 クララのことは認識していた。


 最初はほんの子供で、水をぶちまけていた。


 実家に帰る度、他の使用人は嫌がるので私の世話は彼女に押し付けられていた。


 正直に言えば、どんくさくて容量の悪い売られた子という認識だった。ただ、彼女が持ってくる食事は、以前よりも待遇がいいことが多かった。


 金の成る木だと、少しは大事にされるようになったのかと思っていたが、どうやら間違っていたようだ。


 牢馬車を使って連れ戻すような相手が、スープに肉を入れる訳がない。


「お、御髪はどうしましょう」


 野暮ったい実家の服に着替えると、クララが問いかける。


「ポニーテールにしてもらえる?」


「はいっ」


 人というのは、自分の階級と相手の階級に見合った態度をとらなければならない。ここではすべてに迎合し、私は使用人よりも下だと教えられた。


 部屋に鏡はないが、完成品を触れば、奇麗な編みこみがされているのがわかる。


「上手ね」


 褒めると、もじもじとしている。


「クララ、こういう時は、お褒め頂き光栄ですと言えばいいのよ」


「おっ、お、お褒め頂き、光栄です」


 頬を染めて、はにかんだ笑顔を返される。


 実家の人間に良い思いを抱いてきたことはなかった。唯一、田舎臭い女の子だけは、悪い印象が特になかった。正確には、いい感情もなかった。


 おどおどとして、いやいや世話をしている下っ端の子。何かあれば上に報告しているのだろうと考えていた。


 事実確認は必要だが、本当に自分の食事を私に回していたというならば話は別だ。


 歳の割に発育が悪いのを考えれば、普段から満足な食事を与えられていないだろう。そんな生活をしているのに、実家で蔑まれている私に施しをしたのだ。それも、それを黙っていた。


 誰かへの優しさは二つある。見返りを求めたものと、自分の良心のためのもの。どちらも否定しない。私は前者のタイプだから、後者を見ると、尊敬と同情を感じる。


 クララがお茶を準備しようとしたとき、乱暴にドアが叩かれる。


「リラ様! もう出発です。早く出てきてください」


 メイドの一人が苛立たしげに扉の外から声をかけた。


 環境で性格を変える好例からの言葉にため息が出た。


「もし、髪型のことを誰かに問われたら、あなたではなく私が自分でしていたと伝えなさい」


 それだけ言って、部屋を出た。



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