第5話 法律相談


 リラが泣きついてくるときは碌な事ではない。そして基本家族のことだ。


「おじい様ぁー」


 シーモア卿は孫のような女が、また家族に売られるのだと、それだけで理解した。


「それで、ソレイユ公爵家の子息がご一緒されている理由を伺いましょうか」


 実際に泣いている訳ではないが、リラの顔からしていい状況ではないだろう。


 込み入った話になるのは必須で執務室に案内する。


 リラが好きに茶の準備をするので放っておく。色々な家で教育を受けただけあって、無駄に茶を入れるのが上手い。


「シーモア・サイプレス伯爵ですね。自分はレオン・ソレイユです。その、リラ殿との件でご相談を」


 金髪の青年と礼儀上の握手を交わす。


「公爵家でしたら、私のような老いぼれに頼まずとも、よい法律家がいるのでは?」


 席を勧めてから腰を落ち着かせる。


 リラが茶を置くと、ソレイユ公爵家の子息の横ではなく、別の一人がけの椅子に腰かけた。


「はぁ……おじい様、いえ、シーモア卿。いくつか確認をしたいのです」


 リラがこちらを向いて、感情を切り替えてから問いかける。


「王太子殿下との婚約破棄が公にされてから、正式な婚約破棄の間に取り交わされた新しい婚約書は有効になるでしょうか」


 その言葉に眉間に皴が寄る。


「ほう……次はまた公爵家との婚約になると」


「既に準男爵を得ていますが、その前の契約です。そちらが有効になるのは承知しています。けれど、王太子との正式な婚約破棄前であるため二重婚約に当たり、無効になる可能性も捨てきれず」


 リラに法律について仕込んだのは私だ。わざわざ聞きに来ずとも理解はしているだろう。


「婚約書の内容によるが、相手が公爵家では負けるだろう」


「公爵家が無効を申し立ててもでしょうか」


 ソレイユ公爵の子息が慌てて問う。権力で無理に婚約したいわけではないのか。


「……リラ準男爵との婚約をお望みでは? 同じ公爵家であるシダーアトラス家の再起についてもご存じでしょう」


「……シダーアトラス家、ですか?」


 青年はわずかに眉を顰めた。


「王太子と婚約する前はシダーアトラス公爵の第三夫人予定で婚約していたんです。ご存じなかったので?」


「ですが、リラ殿は男爵家の出身では?」


 確かに、いくら没落していた公爵家とはいえ、男爵家との縁談は普通考えられない。それはソレイユ公爵家にも言えることだ。


「色々と縁がありまして。まあ、第三夫人くらいでしたら、魔力の関係で男爵の娘が選ばれることはあります」


「確かに……リラ殿の魔力適正は高いのですか?」


「ご命令であればお答えします」


 公爵家からの問いに準男爵が答えないというのはかなり不敬だが、魔力適正を異性に訪ねるのはスリーサイズを尋ねるに等しい行為だ。


「失礼しました」


 青年が謝罪する。それを受け入れるでもなく、リラは美しい所作で茶を飲んでいた。


「話を戻しましょう。婚約書の写しはありますか?」


「はい、こちらに」


 渡された公式書類を確認する。流石に十三回も契約を交わせば手慣れてくるらしい。


「どうですか。穴はありませんか?」


 既に自分でも確認をしているだろう。結果をわかっていながら虚しいことを聞く。


「両家、もしくはどちらかが明らかな違反行為を働かない限り、円満な破棄は難しいだろう」


「やはり、ダメですか」


「まず、正式な破棄ではなかったが、公衆の前で王がいる中、正式な破棄が言い渡された。その時点で公然の事実の扱いとなる。その段階ではまだ準男爵が与えられていなかった。つまり、男爵に婚約者を見つける義務と権利が戻ったと解釈できる。その段階で、公爵家から縁談の話が来た以上、断ることはありえまい。王家に振られて、次を見つけるのは困難。そこに王家に継ぐ公爵家からとなればな……」


 内々の発表であれば、婚約破棄が正式でなかったので違法とできたろう。相手が伯爵以下ならばまだどうとでもできたが、三大公爵家が相手では難しい。


「それに書類に不備がない。婚約期間は最長三年。婚約式は皇太子との婚約破棄一月後。その後は婚約者として公爵家へ滞在。いつもの通り、公爵家から婚約破棄の希望があればいかなる理由でも受け入れる代わりに、多額の違約金を支払ってもらうことになっている」


 普通はいくつかの種類に分けて違約金を定める。


 性格の不一致、魔力の適合、不貞行為、金銭的理由などだ。理由を問わず、一律での支払いは他ではあまり見ない。


「問題がなければ、半年から三年の間に正式な婚姻となっていますが、男爵家……現在は準男爵であるリラ嬢を本当に娶るおつもりですか?」


 過去の契約を確認すれば、初期は本当に嫁ぐ予定だったが、直近二件に関してはそもそも婚約破棄を前提の婚約だった。共に王家と公爵家。つまり彼もそうするべきだった。


「婚姻の前段階として婚約するのですから、当たり前では?」


 その言葉に一層、皴が深くなる。


「まさか、リラ嬢を本当に嫁にと考えられているのですか?」


「あ、当たり前ではないですか」


 わずかに頬が染まっている。つまり、公爵家の子息が本当にリラを見初めて求婚したということか。親に対して先に話をするのは貴族では一般的だ。公爵家と聞けばあの性根の腐ったリラの兄は逃がす前にと婚約書を作ったのだろう。いつものように当の本人を無視して。


「リラ嬢。彼の求婚を受けるおつもりは?」


 間接的に告白を受けたリラは、涼しい顔のままだ。


「ないですわ。そもそも、わたくし求婚頂く理由がございませんもの。宿屋の食事場でお会いした時は、まさか公爵家とは思わず少々失礼なふるまいをしてしまいましたが、わたくしの本質はあのような野蛮なもの。到底公爵家など務まりませんわ」


 外面でリラが完璧な淑女の微笑みを浮かべる。


 失礼なふるまいが何だったのか、聞いておくべきだろうがこの場では避けておく。


「そもそも、なぜリラ嬢に、その兄上に婚約の申し入れをされたのですか?」


 ソレイユ家はシダーアトラス家と違い、公爵家らしく繁栄している。その上でハッピー・ライラックなどという噂に縋りたいほどの問題があるとは噂にも聞いていない。


「サイプレス伯爵に、そこまでお話しする必要があるのでしょうか」


 公爵家の子息らしく、表情を取り繕って問われる。答えたのはリラだ。


「シーモア卿とは血の繋がりがないものの、私にとっては祖父のような存在ですわ」


 実家ではなく、元婚約者の許に来るのだ。つくづく哀れな娘だ。


「わかりました………。自分は、マリウス王太子のご婚約者として賢明に過ごされる姿に常々好感を抱いておりました。男爵家の出身とは思えない礼儀作法や所作、知識、無論見た目の美しさにも目を引かれました。殿下のご婚約者でしたから、諦めておりましたが、聖女様が発見され、婚約が解消されたため、この機を逃すことはできないと。……これでも公爵家ですから、王太子の婚約者には劣るものの、これ以上ない条件だと……勝手に思っておりました。まさか、リラ殿ご本人に婚約の意志がないなどとは思わず」


 最後は尻すぼみになっていたが、どうやら惚れた女が婚約破棄をされ、チャンスとばかりに新たな婚約者になったということか。


「リラ嬢、こちらの方と交流は?」


「顔も覚えておりませんでした」


 頬に手を当てて首を傾げる。優雅だが、哀れな男への攻撃には十分だ。


「私としても、準男爵になられたリラ殿の意志を無視しての婚姻は望んでいません。ライラック男爵に違約金を支払い、白紙にしてきます」


「その場合も既定の違約金を支払う必要がありますが?」


「リラ殿に何も聞かずに勧めてしまったのはこちらです。その程度で贖罪ができるのであれば」


 贖罪で支払うには随分な額だ。


「違約金を支払わずに済む破棄方法はないですか?」


「期限を過ぎても公爵家へ滞在しない場合はこちらの瑕疵にできるかもしれないが、その場合の支払はリラ嬢個人が賠償を支払うとされている。無論、リラ嬢が不貞行為などを働いた場合もだ」


 リラ本人が債務義務を負うとしても、普通ならば令嬢の代わりに家が支払いをする。だが、準男爵になっていなくても、男爵は支払をしなかったろう。


「それは、おかしいです。ライラック男爵家に私が賠償を支払うのですから、同様に男爵家が払うと書かれていました」


「ほう」


 レオン卿が慌てて訂正をする。既に評価が地に落ちている中、何かあれば女性個人での支払いを求めるなどと思われたくないのだろう。


 もし、その家が助けなければ最悪娼館に身を落とさなければならない契約なのだ。


「確認はされましたか?」


「正式な契約書です。不備があってはいけないと、きっちりと全て内容を読んでからサインをしました」


「それは、二枚ともですかな」


「………いえ。まさか、違う内容だったと?」


 貴族が交わす契約書は、互いに同じ文章を二通作り、署名と割印を行う。最後に公的書記官の判が押される。公的書記官がその内容の写しを保管するが、これにはその捺印はない。貴族間の全ての契約で公的書記官を通す必要はないが、ここまでの金額になれば普通は行うものだ。


「リラ嬢。身に覚えは?」


「……あります。ですが、実家が持っていたのは……昔私に見せたのはこちらの内容に近いものでした。婚約相手の家の契約書まで見ていなかったので、私にのみ負債が圧し掛かると信じていましたが……相手方の家で、出ていくのならば男爵家もなくなると脅されたことがあります。あれは、実家が違約金を支払えば破産するという意味だったのかもしれません」


 おそらくは四人目の婚約者の屋敷でのことだろう。


「もし、男爵が持つ婚約書とこちらのものが違っていたならば、無効にできるかもしれないが……」


 契約書を見せろと言ったところで、応じる訳がない。公的書記官を通していれば、原本がなくとも問題はないが、そもそも内容が違えば登録前に指摘される。


 アルフレッド男爵は、大きな犯罪を犯すほど馬鹿ではないが、小賢しい方法はよく心得ている。もし違いを指摘できたとしても、言い逃れはできる。無効にできても、罪には問えないか。


「でしたら、私が男爵に一部変更をしたいと申し立てましょう。急な婚約書の作成でしたから、一部追記や変更を言い出しても不思議はないでしょう」


 レオン卿が、申し出る。確かに、それが一番簡単な方法ではある。


「その際には、公的書記官を同行させるようにしてください。全て終わるまでそのものが資格を持っていることは伏せるように」


「わかりました」


 少なくとも、無理に婚約を強いることがないようだ。


「リラ嬢は、もうしばらく大人しくしておくように」


「……わかりました」


 リラではアルフレッド男爵の相手は難しい。実家に乗り込まず、すぐにここへ助けを求めることができるようになったのは褒めよう。



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