第4話 新しい婚約者?


 準男爵になって変わったこと。


 ドレスではなくズボンを穿いても許されるようになったこと。


 女でも一人で宿に泊まれるようになったこと。


 正式に、法律事務所で手伝いをして給金をもらえるようになったこと。


 何よりも、親兄弟が決めた婚約を受け入れる必要がなくなったこと。


「はあっ、そして酒を飲んでも怒られないことっ」


 部屋を借りている宿屋は知り合いに紹介してもらった。一階は中流階級向けのレストラン。そこでの夕食とそこで飲むお酒が今一番の幸せだ。


「相変わらず、おいしそうに飲みますねぇ」


 給仕の青年が呆れたように新しいエールを置いた。


「塩気の効いたブルトスに、酸味のあるキャベツの酢漬け。それらを抱擁する麦の恵み。王宮の料理ですら、ここまでの調和は生み出せなかったわ」


「まるでお城で暮らしてきたみたいな口ぶりですね」


 奇特な女に少し呆れが混じった言葉が返された。


 つい先日までその王宮で暮らしていが、誰も信じないだろう。


 王宮の料理は晩餐会などを除けばそれほど豪華ではない。理由はいくつかあるが、今の王妃様のお言葉で、料理人が健康食を心掛けているからだ。一見粗食だが、宮廷で徹底管理された有機野菜などを使っているので、決して安くはない。こんな、不健康の塊みたいな食事は絶対に出ない。


「これでも準男爵。お城でごはんを食べたことくらいありますよ」


「またまたー。僕だって準男爵がどういう爵位かくらい知ってますよ。お客さんはあれでしょ、商人貴族でしょう! 他の貴族と違って話しやすいですもん」


 平民は極力貴族とは関わりたがらないが、ぎりぎり準男爵とはかかわりがある。この宿も上は準男爵、下はある程度大きな問屋の商人が使う。


 基本的に宿屋に女一人で泊まることはまれだ。特に若い女は断られることもあるし、断られなくても、店員や宿に泊まる男が入ってくる可能性があるのでお勧めはできない。


 だが、準男爵になっていることで、身元保証がなされている状況なので女一人でも高級宿に簡単に泊まることができる。客も店も信用第一なので、女一人でも危険はかなり減る。


 因みに普通の貴族は都会には別途屋敷を持っているか、知り合いの屋敷に滞在することが多い。無論、超高級な宿はあるが、本当に貴族しか受け入れない。準男爵も男爵以上の紹介があれば泊まれる。ただ、くっそ高いので却下した。


「これでも聖女様御用達ですよ。ふっふ」


 気持ちよくなって半分嘘をつく。ある意味間違っていない。


「えー、じゃあ今度うちのブルストプレゼントしてあげてくださいよ」


「きっと喜ばれますよ。今度包んでもらってもいいですか」


 聖女様は田舎育ちなので、普通に喜ぶだろう。そして皇后に叱られるのだ。


 毎食ではなくとも、息抜きは必要だ。怒られる覚悟でお持ちしよう。もちろんエールはなしで。


「本当に……こんなところにいたのですか」


 おいしいつまみとエールを楽しんでいたら、給仕とは別の男から声をかけられた。


 ここはレストランとしても比較的料金の高い場所なので、物乞いが入ってくることもない。


 見上げると小金色の髪をした青年が見下ろしていた。


「……あれ、見覚えがあるんですけど。どちらさまでした?」


 何人目かの家で働いていた騎士だろうか。


 帯刀しているので、貴族ではあるだろう。平民は長い剣を持つと捕まる。ただでさえ魔法を使えるのに、平民に剣まで禁止するのは酷くないだろうかと思う。


「酔っておられるのですか?」


「ああ、そこまでは飲んでいませんよ。度数もかなり低いですから」


 女性が家の外で酒を飲むのははしたない事とされている。夜会の場などではワインくらいは嗜むが、男たちのように何杯も飲まない。ワインすら女性は断ることも多い。


「まあ、立ち話もなんですからお座りください。こちらにもおんなじのー」


「あっ、えっ、あー……はい」


 給仕が見比べて困った顔をしながら頷いた。


 準男爵ならまだしも、それ以上とは関わり合いになりたくないのだろう。


「その、女性がこのような場で飲酒をするのは、褒められたことではありません」


「この上に宿をとっています。宿の者には酔っている場合は連れでも部屋に入れないように依頼していますからご安心ください」


 安全面にも配慮されているとはいえ、女一人ではどこに危険があるかわからない。真面目に答えると相手は少し困った顔をした。


「それで、どういったご用件でしょうか」


「………私のことは、覚えておられませんか?」


 こげ茶の瞳がこちらを見る。誰だったろう。なかなかの美丈夫ではある。歳は二十代半ばほどだろうか。剣を持っていても、ただの飾りでしかない貴族が多いが、ちゃんと鍛えていそうな体付きだ。確かに見覚えはあるが、誰だったか。


「酔っていないと言いましたが、少し酔っているようで、お名前を伺っても?」


「……レオンです」


「レオン様……わたくしリラ準男爵です」


 あまりに短い名前は貴族では珍しい。レオンという名前からして、どこかの貴族の三男坊以下か、もしくは妾の子が魔力持ちだったのだろう。


 リラと言う名前は、親から与えられた最初のもので、案外と気に入っている。実家で自分がどの程度の扱いかを受けているか、なんとも説明しやすい名前だ。


「リラ嬢は、今何をしておられるのですか」


「……レオン様、嬢と呼ぶのはご遠慮いただけますか。これでも爵位を頂いておりますので」


「それは、申し訳ない。では……」


「殿か、卿か……殿で結構です」


 確実に私よりは階級が上だろうから、殿を推しておく。後普通にリラ卿はごろが悪い感じがする。


「わかりました、リラ殿」


「今私はおいしいブルストとエールを嗜んでおります」


 呼び名が変わったので質問に答える。


「いえ……仕事などです」


 まあ、見ればわかることは聞かないか。


「今は法律事務所の雑務などをしています」


 他にも色々準備はしている。他に王城から聖女様の教育の手伝いも依頼が来ていた。権力とは仲良くしておきたいので、もう少し落ち着いたら受けるつもりだ。機密もあるので高額を提示する予定だ。


「その程度で、暮らせているのですか?」


「どのような生活を想定しているかわかりませんが、夕刻にこうやってエールを飲める程度には問題ないですよ」


「その……スカートも買えないようですが」


「ご注文のお品です」


 ちょうど、給仕が頼んだ品を運んでくる。おかげで表情を取り繕えた。


「まあ、どうぞ。ここは奢って差し上げますから」


「いえ、女性にそのような」


「それで、他になにか?」


 面倒くさくなってきたので話を進める。


「婚約破棄の後、実家に帰ることも許されず、こちらに滞在していると伺いました。何か不便などは?」


 なるほど、城が送ってくれた御用聞きか。


「特に困っていることはありません。実家に帰ればまたすぐにどこかの誰かとの婚約を強いられたでしょうが、もうその心配もございません」


 城から遣わされたならば王太子との婚約が実は十二人目だと知っているかもしれない。


 普通の貴族ならば、三度も婚約破棄されればあきらめただろう。二桁も婚約している時点で家がおかしいことはわかるはずだ。いや、王族だってここまでやばいと隠すか。


「そ、それは、新たな婚約を……ひいては結婚を望んでおられないということですか」


 この青年は何をおかしなことを言っているのだろう。


「……レオン様、ご結婚は?」


「いえ……」


「候補などもおられないのですか?」


 三男だと、長男の結婚が決まらないと縁談が来ないことも多いので、自分で見つけるしかない。


「いえ、候補は……いますが」


「なるほど、では、明日からそちらの家で婿修行をしてきてください。そして、慣れたころに、婚約破棄されて新しい婚約者の家で婿修行をしてください。それを経験してから私に同じ質問をしてください」


 にこりとほほ笑んでおく。


 それに対して、男は絶望した顔をしている。強く言い過ぎたのかもしれないが、別にどうでもいい。


「あ、もしかして、婚約でも申し込もうとでも? 残念ですが予定がありませんので」


 聖女すら発見させたかもしれないハッピー・ライラック。あやかりたい貴族が出ても不思議がない。だが、断る。


「………リラ殿、謝罪をさせてください」


 無暗に婚約を依頼しに来たことだろうか。


「婚約破棄を王太子が公表した夜。アルフレッド男爵と、あなたとの婚約書を、取り交わしました」


 とても言いにくそうに、男が言う。


 それを聞いて、しばらく理解ができなかった。


 三周くらい回って、ようやく理解ができた。


 私が準男爵の爵位を得たのは、正式に婚約破棄をしてからだった。


「……は?」


「本当に、申し訳ない」


 謝られたところで、仕方がないことだ。


 じわりと、魔力が漏れる。


 新しく注文したエールが、気化して、酒の匂いが立ち込める。


「っ、リラ殿、魔力が」


「………」


 一度息をつく。


 まだ時間が早いので客は多くないが、注目が集まっている。


 集中して、エールをジョッキに戻す。流石に、ほこりも巻き込んでいるだろうから、飲む気になれない。


「それで、私の次の婚約者は誰なのですか?」


 幸運を呼ぶために、いくらで買ったのか。家督を継ぐ彼の兄が婚約者である可能性が高いだろう。


「……自分です」


 その言葉を聞きながら、戻したエールを男の頭にかけていた。


 令嬢にあるまじき品のない行動だが、その権利はあると思っている。

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