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 四年生に進級しても状況に変化はなかった。

 丸一箇年の主従関係がもたらしたものは、恐怖の連鎖だった。クラス一同知らぬ間に強制が常態化し、「右向け右!」なる号令は、弱い立場の家畜にとって金科玉条となる。子羊どもは矛先が自分に向くのを怖れて、権力者に阿る。互いを牽制し合いながら、我先に取り入らんと密告合戦が横行し出した。教室に蔓延ってしまった慣習からは中々抜け出せるものではない。チクリによって炙り出される顔ぶれは次第に絞られた。勿論ぼくとカズタカは常連だ。主の策謀は効果絶大と見える。

「××キャバレーでございまーす、ブチュー!」

 と言い放ったあと、相原君の頬っぺたにチューを一発ぶちかましてやる。

 『八時だよ全員集合』の影響だった。ホステスに扮したドリフの面々が繰り広げるコントを真似ただけだ。男の子の間で大流行りだった。当然、相原君も面白がってくれると信じてのおふざけだ。ところが、ドリフ一流のユーモアセンスも生真面目な優等生の相原君には通用しなかった。即刻、透かし顔で後藤先生にチクった。ぼくは内心、「ツヤつけやんな!」と彼の人間味ない態度を蔑んだ。で、後藤先生曰く、「キスというものは西洋人の挨拶で、下劣な行為です」と呆れ顔で相変わらずぼくはただただ侮蔑の目で見られ、相原君に向けた不満が己に返ってきた。と、クラスの殆どが家畜の立場を忘れて、牧羊犬のような狡猾な鋭い視線の矢でぼくを射る。矢尻をどうにかかわしながら、己の心の深奥という極々ちっぽけな柵の中に追いやられた子羊は、何処ぞに顔を埋めることも叶わず、方々からの友達がいのない不義理な眼差しに身を晒し、恥ずかしさに縮こまったせいで喉を塞がれてメエメエとも鳴き声すらも上げ損ねた。「お前らもいつかぼくと同じ目に遭うのは必定だぞ」と心の中で叫んでみたところで詮なきことだ。同胞から冷たくあしらわれた孤独な一匹狼、もとい、子羊の心中に寂寥の寒風が吹き荒ぶ。

 後藤先生は自分の好みを押しつけたがる。

 お楽しみ会での原崎達也の出し物にも難癖をつけた。“ぴんから兄弟”の歌真似で受けを狙ったのだ。制服巡査姿で白自転車を頼りなく漕ぎつつ歌ったカトちゃんの真似だ。当時のドリフはぼくらの神様だ。

「子供らしくなか、やめんね! 布施明が上手かと!」

 普段はお上品な後藤先生は、不覚にもお国言葉で一喝して和やかな場の空気を己の空間に引き込んだ。たちまち空気は振動して冷気が充満した。自分の意に染まぬことは、徹底的に排除せねば気が済まぬらしい。結局、原崎は鶯の声帯模写を指先で格好をつけたただの口笛でごまかした。似て非なるものだった。そうしてヤツもめでたくぼくらの仲間入りだ。同志が増えることは心強くありがたいが、団結は無理だと重々承知だ。こんな頼りなき弱者集団では絶対権力に到底抗えるものではないので。

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