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喧嘩は両成敗が教育の鉄則だ。しかし、後藤先生の理念は徹頭徹尾揺るぐことはない。些かもブレない。見事だ。ぼくだけを目の敵にする。決して相手方は叱らない。それがお気に入りの生徒であれば尚更だ。
「どうしたの?」
砂糖を溶かしたような妙に甘ったるい猫撫で声で我が敵をあやす。と、こともあろうか、
「あなたは、向こうに行ってらっしゃい」
などとさっさと解き放つ。
「また、あんたね!」
敵が去ったあと、不浄物を祓うように彼女の口から塩を投げつけられ、ぼくは皆の目の前で血祭りに上げられる。そして、これ見よがしに侮蔑の眼差しを突き刺されながら、汚らしい野良猫は首根っこを引っつかまれて教室の外へと投げ捨てられる。
ぼくの子供らしさが気にくわなかったのかもしれない。ひょうきんで悪戯好きの、その年代の男の子特有の皆の気を引きたいという一種甘えのような行動が災いしたのだろう。後藤先生は何かにつけ、ぼくを折檻した。ぼくは身も心も次第に激しく傷ついてゆくのだった。
彼女の余りの仕打ちに、PTA役員会議の折、母は学年主任の小川先生に救いを求めた。小川先生のクラスになったことはなかったが、彼は如何なる生徒にも目を配る先生であったため、ぼくのことも入学当初より当然ながら知ってくれていた。
「あの、元気のいい男の子でしょ? あのくらいの年頃は普通のことですよ。特別なことではありません。決して悪い子じゃない。逆ですよ……」
相談を持ち掛けられた小川先生は、かなりの理解を示してくれ、
「そうですか、それはご心配でしょう、私が目を掛けておきますから、少し様子を見ましょう。担任にも私から話しておきます、安心なさってください」
と助け舟を出してくれるのだった。
体育祭の練習時、フォークダンスでぼくの前に順番が回ってきた小川先生は「君、名前は?」。ぼくが自分の名前を告げると、「ほう、いい名だ」と微笑みかけてくれた。そのときの小川先生の慈悲深い柔和な表情は網膜に焼きついて忘れられない。恐らく生涯ぼくの心を癒してくれるのではあるまいか。小川先生のクラスが羨ましかった。
不思議なことにそれ以来、担任のぼくに対する嫌がらせは、少なくとも身体的折檻は幾分減った気がする。毎日の習慣なのに、丸一日なかったこともある。が、気のせいか、無視されるようになったかもしれない。ぼくの質問にはソッポを向いて無言を貫き通し、決して目も合わせてはくれなくなった。
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