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進級早々は良好なクラス運営にて何事もなく平穏な日々を送っていたが、いつしか不穏な空気が漂い始めたことに気付いた。後藤先生の微妙な仕種や表情の端々にざらついた塩味を覚えるようになった。彼女の感情の昂り如何でさじ加減は左右される。些事とてひとたび逆鱗に触れるや、不純なき高濃度の塩分が含有した言霊を容赦なく投げつけられ、その辛さに返答もままならぬほど喉は麻痺する羽目に陥るのだった。「もうダメだ」と心の中で呟いてしまった日から、二年生までそんなことなど一切なかったのに、ぼくは何となく宿題を忘れがちになり、挙句はわざと忘れたふりをするようになった。その度、整理整頓を常に謳っていた後藤先生の大鉈は振り下ろされ、ぼくは人の範疇からやすやす排除された。
次第に後藤先生の本性が剥き出しになってゆく。自分に素直に従う生徒だけをえこひいきするようになった。母親がPTA役員で絶えず機嫌取りにご執心な生徒に限って頗る甘い。決して叱らない。叱ったとしても、仕舞いには笑いかけ、肩を持つような発言で締め括る。同じPTA役員でも不正許すまじなぞと正義感を覗かせる母親を持つぼくなんかは、悲惨な目に遭うのは必定で、粗を見つけてはこれ見よがしにそこだけを突っついて挑発的に煽り立て、こちらが墓穴を掘るのを見定め、いつ何時も罵声ともどもゲンコが被弾してコブが治まる暇はなし。で、その舌先も乾かぬ間に、戦時中の体験談を交えながら平和を説くのである。
戦時中、世話になった家で、粥を馳走になり、ふとそこの子供らの椀を覗いたとき、明らかに自分に装われた椀に漂う米粒の量が格段に多くて、恥ずかしくなったが、折角の好意を無にすることは非人情ゆえに己の椀を掌などで隠しながら食した、とか、戦時中の子供たちは冬でも半そで半ズボン裸足にて逞しく生きていた、などとぼくらを蔑むような目つきで語ったあと、戦争はダメだ、暴力に訴えるのは人でなしの行為だ、などと説くのだった。ぼくはたんこぶを擦りながら背筋を正し、その主張には十分納得して頷きつつ傾聴した。
翌日の教室内には早朝から半そで半ズボン裸足の空元気の男の子で溢れかえった。女の子のスカートからも乾燥した素足が覗き、ひとクラスだけ季節外れの異様な真冬の光景に映った。授業中、窓を叩く霙の音に混じって掌と腿との摩擦音が耳に染み入った。後藤先生は授業の終わる度、生徒の質問には耳も貸さず、「寒い、寒い」を連呼しながら暖房のきいた職員室へと小走りに消えて行った。
終業後の掃除時間、朝から氷の張りっぱなしのバケツに両手を突っ込んで雑巾を絞り、躊躇しようものならゲンコが着弾するものだから顔色をうかがいつつ、分厚い生地の外套に両手を突っ込んで完全防備の後藤先生の温かいご指導のもと、時折しもやけの指に息を吹きかけながら真夏の装いで氷点下の教室の雑巾掛けに勤しんでいたら、「先生だけ暖かくしてズルいなあ」などとお調子者の本音交じりの冗談を真に受けた先生は、「大人は特別。あんたたちは大人の言うことを素直に聞けばいいの!」と吊り上がった眉を更に引きつらせてツカツカ駆け寄り、そいつの左側頭部目掛けてゲンコは振り下ろされた。右に大きく上体が傾いで倒れる寸でのところで右足を一歩踏み出して難を逃れた彼は、後悔の色を滲ませた表情を強張らせながら涙目を丸くして君臨する女王様を仰ぎ見る。尊い学習をした彼は、それ以来、後藤先生の前では二度とおふざけはしなかった。そうしてようやっと下校を許され、絶対君主の監視下から解放されたぼくらは凍えながら家路を辿るのだった。
あくる日、登校してみれば、びっしりと詰まったはずのトウモロコシが所々抜け落ちるように珍しく病欠者が相次いで空席が目立ち、殺風景な様相を呈していた。前日までの活気溢れる光景が嘘のように教室内は静まり返った。子供は風の子というものの風邪には抗えなかった。ひ弱な現代っ子には逞しく育った戦時中の子供の真似は些か堪えたと見える。
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