第3話 苦いマカロン③

「残念だけど、その可能性はないわ」


 わたしはすぐに反駁はんばくした。


「最初に言ったでしょ。わたしが生徒会室を出てから戻ってくるまでに、生徒会室に入ったのは二人だけだったと、トリちゃんが証言してるって」


「あのぅ、そのことなんですけど……」


 トリちゃんがおずおずと手を挙げた。


「なに、トリちゃん?」


「実はトリちゃん、流生くんが生徒会室に来てから三分後くらいにおトイレに行ったです」


「え……?」


「ほんの五分くらいの間ですけど……。流生くんが生徒会室にいれば、誰かが来ても応対してもらえると思ったですから……」


 トリちゃんは申し訳なさそうにうつむきながら、


「それと、おトイレから帰ってきたとき、風紀委員長さんが生徒会室のドアを開けて中を覗いていたのを見たです」


 風紀委員長――佐橋令佳さはしれいか


 彼女の顔を思い浮かべたとき、わたしは背筋が冷えるのを感じた。


 校則違反者を取り締まることに心血しんけつを注ぐ彼女は、放課後に校内をパトロールすることを日課としている。


 ちなみに、我が校の校則には《学業に必要のないものは校内に持ち込んではいけない》というものがある。お菓子類――たとえばマカロンのような――の持ち込みは、当然ながら厳密に言えば校則違反である。


 もっとも、うちの高校はなにかとユルいので、多少のお菓子の持ち込みくらいなら先生に見つかっても大目に見てもらえることが多いのだが。


しかし、そんな融通は風紀委員長――佐橋令佳に限っては一切利かないのだ。


「ってことは、マカロンは風紀委員長に没収されちゃったってこと?」


 わたしが絶望的な声を漏らすと、トリちゃんは首を横に振った。


「いえ、それはないと思います。風紀委員長さんはドアを開けて中を覗いてはいましたけど、生徒会室の中には入ってないですから」


「なら、委員長がマカロンを取るのは不可能だな」


 大二が同意するように言うと、トリちゃんはうなずいた。


「はい、マカロンを持ってた様子もありませんでした」


 たしかに、ドアの位置から生徒会室の中に一歩も踏み入れずにテーブルの上のマカロンを取るのは不可能に思える。ドアとテーブルの間は一歩や二歩では届かないほどの距離が離れているからだ。


「じゃあ、風紀委員長に没収されたわけではないのね」


 内心でホッとする。少なくとも、これから風紀委員長のお叱りを受けることは免れたわけだ。


 しかし、それではいったい誰が……?


「そうか。じゃあ、風紀委員長が来る前に誰かが来て盗んだんだな」


「ん、どういうことだ?」


 大二がとがめると、流生くんは説明を始めた。


「ぼくが生徒会室に入ったとき、テーブルの上のマカロンはドアの位置からでも見えた。風紀委員長がドアを開けたとき、もしマカロンがテーブルの上にあったなら、なんらかの反応を示していたはずだ」


 そう言ってトリちゃんの方を見る。


「トリちゃんが見た限り、風紀委員長さんは特に変わった様子はありませんでしたよ」


「ということは、マカロンは風紀委員長が来る前になくなっていたことになる」


 流生くんはそう結んだ。


「なるほど。そうなると、その後に来た大二はシロってことになるわね」


「最初からそう言ってんだろ」


 やれやれとばかりに漏らす大二をよそに、わたしは思考を整理する。


 流生くんが生徒会室に入ったのが三時四十五分。


 トリちゃんがお手洗いに立ったのが、その三分後の三時四十八分。


 それから五分後の三時五十三分に、風紀委員長がドアを開けるのをトリちゃんが目撃する。このとき、すでにマカロンはなくなっていたと推定される。


 したがって、犯行はトリちゃんがお手洗いに行っていた五分間に行われたことになる。


「だとすると、結局一番怪しいのは流生くんってことになるけど」


 わたしが疑惑の目を向けると、


「だから、ぼくじゃないって言ってるだろ。そもそも、ぼくは甘いものは好きじゃない」


 流生くんは苛立いらだたしげに、再び犯行を否認した。


「でも、状況が示してるのよ。流生くん以外にマカロンを盗むことができた人はいないって」


 そう言いつつも、わたしはどこか自分の言葉に納得のいかないものを感じていた。


 流生くんが犯人なら、最初から『マカロンを見た』なんて言わないのではないだろうか。自分が疑われるような証言をわざわざする犯人はいないはずだ。


「おい、どうなんだ流生? なんか反論しねえと、おまえが犯人にされちまうぞ?」


 大二が心配そうな視線を投げると、流生くんは少しのあいだ押し黙ってから、


「そういえば、海原が来る前に二度くらい、かすかな物音を聞いた気がする」


「物音?」


「イヤホンしだからはっきりと聞こえたわけじゃないけど、そうだな……、あれはドアの開閉音かいへいおんと、誰かの声だったような……」


「そういうことは先に言え」とツッコむ大二。


「待って、流生くん」わたしは言った。「ドアの開閉音と、誰かの声で二回? それとも――」


「いや。ドアの開閉音と声が、それぞれ二回聞こえた」


「ふうん……」


 わたしは思考をめぐらせる。


 流生くんの話が本当なら、彼が生徒会室に来てから大二が来るまでの間に、少なくとも二度は何者かによってドアが開けられたことになる。


「そのうちの一回は風紀委員長さんだと思います」


 トリちゃんが付け加えた。たしかにその通りだろう。


「ということは」わたしは首をひねりながら言う。


「流生くんが嘘をついていないとすれば、犯人は風紀委員長よりも先に生徒会室に入って、流生くんが読書をしてる目の前でマカロンを盗んでいったってこと?」


「そうなるな」流生くんは言った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る