29_千絵

「佑、今日は悪かったな。思ったより混んだし、大変だったろ」


 最後の客が店を出ると、大将は声を掛けてくれた。


「いえいえ、響さんも平日に休みを取るかも、って聞きましたから。これくらい出来ないと」


「もう、その話聞いたのか。……あ。もしかして、あいつそれが狙いだったのかもな」


「どういう意味ですか?」


「タイ料理屋で、『料理、本気でやってみるか?』って佑に聞いただろ? そもそも、響が言ってきたんだよ。佑に本気でやらせてみようよって。あいつ、週に一度の休みじゃ足りなかったのかもな……」


「僕に本気で料理をやるかって、響さんが言ってくれてたんですか?」


「そうそう。俺は正直な所、まだ早いかなあ? って思ってたんだよ。今じゃ、正解だったと思うけどな。……じゃ、片付け始めるか」


 大将は、僕の肩を軽く叩くとカウンターへと入っていった。



***



 金曜日。響の代わりに、見知らぬ女性が店内にいた。


「おはよう、佑くんね。宮崎千絵ちえです。ごめんなさいね、ずっと挨拶に来なきゃって思ってたんだけど、なかなか顔を出せなくて……」


 大将の奥さん、そして響の母である千絵だった。客からは女将おかみさんと呼ばれている。


「いえいえ、そんな……初めまして、伊藤佑です。大将と響さんには、大変お世話になってます。……響さんは、お休みですか?」


「そうそう。今日も朝からイチゴ頬張ってたから、心配しなくても大丈夫よ。私は10時くらいには上がっちゃうと思うけど、今日は宜しくね」


「は、はい! こちらこそ宜しくお願いいたします!」


「じゃ、開店の準備していきましょうか」


 そう言って微笑んだ千絵の表情は、響にとてもよく似ていた。




 久しぶりに店に入った千絵を、常連客は揃って歓迎した。


「女将さん元気になったって聞いたのに、全然店に出てくれないんだから。本当は危ないんじゃないかって、皆で心配してんだよ」


「そうそう、ホントに。大島さんの件もあったからなあ。……でも、良かったよ。元気な姿見られて」


 大将も響も千絵も、本当に客に愛されている。僕もいつかは、そんな風になれるのだろうか。




 響は土曜日も休みを取り、その日も千絵が店に出た。


 そして、僕が再び響に会えたのは月曜日の事だった。


「響さん、おはようございます! もう、体調はバッチリですか?」


「おはよう。……うん、もう大丈夫」


 まだどこか、調子が悪いのだろうか。調子を崩す前の響とは全く違った。



 客の前では普段の響に見えるが、やはりいつもと違う。大将もおかしいと感じたようだ。


「佑。あいつ、何かあったのか? なんか元気ないんだよ」


「ええ、僕も感じました。まだ、体調悪いんですかね」


「いや、熱はもう無いはずなんだけどな。……うーん、女って難しいとこあるからな」


 結局、響は終日そんな感じだった。



 そしてそれは、月曜日だけで終わらなかった。

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