23_父

 だが、いざ開店すると、いつもの賑やかな居酒屋こだまだった。外で待つ客までは出なかったが、ほぼほぼ満席となっていた。


 そんな土曜日の夕方5時を回った頃、予期せぬ客が訪れた。


「いらっしゃいま——と、父さん……」


 後ろ手で引き戸を閉めている途中だった父は、その動作のまま固まってしまった。


「ゆ、佑……」


 

 カウンターは埋まっていたため、父は2人掛けのテーブル席に着いた。大将と響が挨拶に来る。


「佑……くんのお父さんですか。私、ここの代表の宮崎礼二と申します。佑……くんには、いつもお世話になっています」


「た、大将、いつもみたいに呼び捨てで大丈夫ですよ」


 そう言うと「確かに、なんかぎこちないな」と、大将は笑った。


「礼二の娘の響と申します、初めまして。佑くんにはいつもお世話になっております」


 続いて、響も挨拶をした。


「いえいえ、こちらこそ佑がお世話になっているようで……佑の父親の、伊藤宏です。こんな素敵なお店にお世話になってるのに、こいつったら何も連絡をよこさず……こんな形のご挨拶になり、本当に申し訳ございません」


 父は大将と響に頭を下げた。そう言えば、頭を下げる父を見るのは初めてかもしれない。


「そんなそんな、お父さん。佑は気の利く子で、ウチも本当に助かってます。どうです? 宜しければ、何かお持ちしましょうか?」


「あ、ありがとうございます、それではお言葉に甘えて……まさか偶然、佑が働いているお店に来てしまうとも思わず……」


「え!? ウチに寄ってくれたのは、偶然だったんですか?」


「佑ったら、ウチで働いてる事黙ってたらしいよ」


 先日、響と交わした会話のお陰で、自然と切り抜ける形になった。父は何のことか、分からない様子だ。


「じゃ、今から用意しますんで、お待ち頂けますか。佑はゆっくりしてていいからな」


 大将が言うと、大将と響は席を外した。



「佑、まだ携帯契約してないのか? 俺の番号、渡してあっただろう」


「ごめん……番号書いたメモ、引っ越しのゴミと一緒に捨てちゃって……そろそろ連絡しなきゃ、って思ってたんだけど。今日はどうして、こっちに来たの?」


「どうして? じゃないよ。連絡も無いから、お前ん家まで来たんだ。まあ、住んでる気配はあったから、安心はしたけどな。仕方なく帰ろうと思ったら、良い感じのお店を見つけてな。で、寄ってみたらこれだ」


 父は呆れ顔で、僕を見た。


「そっか、ごめん……父さんが居酒屋好きで良かったよ」

 

「とりあえず、ポストに俺の携帯番号入れておいたから、また電話かけてきてくれ。……それより、どうだ? お金とか色々大丈夫か?」


「うん、大丈夫。ちゃんとやってる。ここのお店の人も、本当によくしてくれるから。……飲み物はビールでいい?」


 父は「ああ、頼むよ」と言った。



 その後、店は忙しくなり僕もいつも通りに働いた。時々父に目をやると、満足そうに料理に箸を付けている。そして、来店してから1時間も経った頃、父は僕を呼び会計を告げた。


「大将、すみません。父の分、僕の給料から出して貰ってもいいですか?」


 僕はカウンターにいる大将の元まで行き、相談をした。


「ハハハ、親思いだな。だけど、今日はこだまから出させて貰うよ。偶然訪れてくれただなんて、余計に嬉しいじゃないか」


 僕がその事を父に告げると、父も大将の元までやってきた。


「宮崎さん、ダメですダメです、またこちらにはお邪魔するつもりですから。ちゃんと、お支払いさせてください」


「いやいや、今日だけでいいので、そうさせてください。次からはちゃんと頂戴しますから。佑は佑で、お父さんの分を出したいって、言ったんですけどね」


 大将が言うと、父は驚いた顔で僕を見た。


「そうですか……じゃ、今日はお言葉に甘えて、ご馳走になります。……私、居酒屋は色々訪れていますが、こだまさんは本当に美味しいです。ご馳走になった上でこんな事を言うのはなんですが、値段もすごく良心的で。……ウチの近所にも、こんなお店があればな」


 父は店内をぐるりと見回し、そう言った。



 父が店を出るとき、大将と響も玄関まで来てくれた。


「お父さん、また食べに来てください。何でも作りますんで」


「ありがとうございます、今日は本当にご馳走様でした。……それでは、まだまだ頼りないとは思いますが、佑の事、宜しくお願い致します」


 そう言って父は頭を下げた。


「いえいえ。こちらこそ、今後ともお願いします。じゃあ、佑。俺たちは店に戻るから」


 大将と響が店に戻ると、僕は父に傘を手渡した。天気予報通り、小雨が降り出している。


「ずーっと取りに来ない忘れ物の傘らしいから、持って帰っていいって」


「そうか、悪いな。……それにしても、安心したよ。仕事もちゃんと決まってて」


「ハハハ。しかも、良いお店でしょ」


「ああ、そうだな。人も良いし、味も確かだし、本当に良いお店だよ、こだまさんは」


 父は、『居酒屋こだま』と書かれた看板を見て言った。


「しかもさ、今週から仕込みも教えて貰ってるんだ」


「へー、それは凄いな。ここの大将はかなりの腕前だぞ。しっかり教えて貰え。……じゃ、俺は帰るから。電話だけ忘れずにな」


「分かった、気をつけてね」


「大将と響さんに宜しくな。迷惑かけちゃダメだぞ」


 迷惑をかけないように……か。


 今の僕には、深く刺さる言葉だった。

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