21_小さな嘘

 タイ料理屋を出ると、大将はタクシーを捕まえ帰路についた。僕と響はバーがある駅の方へと歩き出す。


「この辺りにも馴染みのバーがあるんですか?」


「いや、全然。二度ほど行ったお店があるくらい。私だって、まだ21歳だからね。この年で色々な所に馴染みの店があったら怖いでしょ」


 響はそう言って笑った。気のせいか、いつもより笑い声が大きい気がする。


 今日の響は、カジュアルな格好に薄めの化粧。行く店によって、ファッションも変えているのだろうか。


「なによ。ジロジロ見て」


「い、いや、今日のファッションは、タイ料理に合わせてるのかな、って」


「あら? 佑ってそういうところ気付くのね。そういや、仕事でも細かいところまで気付くもんね。佑はどんなファッションが好みとかあるの? 女の子の格好で」


「いやあ……考えたこと無いですね。似合っていたら、それでいいと思いますけど」


「そうよねぇ、私も同じ。前の彼氏に、『スカートとか穿かないの?』なんて言われたことあってさ。その時は、めんどくさって思っちゃって。ハハハ」


 そう言えば響のスカート姿は見たことがない。先日のフレンチでもタイトめのパンツスタイルだった。まあ、響ならどんな格好をしても似合うと思うが。


「ただ、響さんがスカートを穿いたところを、見たかっただけかもしれませんよ」


「何それ、キモい」


「いや、そんな意味じゃ無いです、そんな意味じゃ」


 そう言うと響は「さて、どうだか?」と、意地悪な笑顔を寄せてきた。



 訪れたバーは、まるで絵に描いたようなバーだった。壁一面に酒瓶が並べられ、小綺麗に髭を整えたマスターがカウンターに立っている。


「佑はどうする? ノンアルコールのカクテルが出来るか聞いてみようか?」


「はい、ありがとうございます」


 僕と響のカクテルが運ばれてくると、僕たちは本日2度目の乾杯をした。



「言いたくなかったら全然いいんだけどさ、佑の実家って色々面倒とかあったの?」


「面倒ですか……まあ、そんなにおかしな家とは思いませんでしたが、友人に話すと時々驚かれる事はありましたね」


「例えば?」


「衣食住と学費は出してくれるんですが、それ以外は一切買ってくれませんでした。例えば携帯なんかも。『欲しけりゃバイトしろ』って言われて」


「バイトすりゃ良かったじゃん」


 響は僕の目をジッと見て言った。酔ってるのだろうか、少し目が据わっているように見える。


「自分でも不思議なんですけど、実家に居た頃は本当に何もやる気がなくて。バイトするくらいなら、携帯もゲームも要らないかって。部活もしてなかったし、勉強も進級出来たらいいくらいの気持ちでしたね。……今思えば、そんな僕を心配していたのかもしれません、父親は」


「だから、一人暮らしさせたって事?」


「ええ。今までは、父親の都合で僕を追い出したと思ってたんです。だけど、僕のために追い出してくれたのかもしれませんね、もしかしたら」


「だとしたら、良いお父さんじゃん。なんだかんだで、住むところも用意してくれたんだし」


「かもしれませんね……余りにも自由で、母親が家を出ていった程だから、他人の事なんて考えたことも無い人だと思ってました」


 響は新しいカクテルを注文していた。僕のノンアルコールカクテルはまだ半分も残っている。


「こだまで働いてる事は言ったんでしょ? お父さん、何て言ってた?」


「いえ、こだまで働いている事は、まだ言っていません」


「……ん? ウチで働き始めてすぐの金曜日、実家に泊まったんじゃなかったっけ?」


 そうだ……秀利と初めて会った金曜日、大将と響には地元の友達と遊んで、実家に泊まると嘘を伝えていた。


「あ、あの時は、すぐに辞めちゃうような事があれば恥ずかしいから、まだ決まってないって言っちゃったんです……」


「なーんで、そんなつまらない嘘つくのよ。私、嘘つく人は嫌い。つまらない嘘でも」


 胸がズキンと疼いた。


 響についた嘘はいくつを数えるだろう。当分の間、僕はまだまだ響に嘘をついていかなければならない。香奈との計画に加わっていなかったら、響に嘘をつく必要なんて、一つも無かったのに。


「そうですね、すみません……」


「い、いや、私こそごめん、偉そうな事言って。なんだろう、今日は酔いが回るなあ……朝から食べてないのがダメだったかなあ……」


「な、何で食べてないんですか?」


「プルングニーで食べ過ぎるの分かってたし、最近アレじゃん? お客さんにも佑のが綺麗だとか、佑のが細いとか言われてさ。ちょっとはダイエットしようかなって思ってたのよ」


 確かに、そんな事を言う客はいた。言っている方は冗談で言っていたはずだし、僕だってそう受け止めていた。そんな事を言われて笑っている響が、気にするなんて思いもしなかったのだろう。僕だってそうだ。


「あんなの冗談ですよ、響さんのが綺麗に決まってるじゃないですか。それに、響さん全然太ってないし、気にすること無いです」


「やだなあ、そんな一生懸命否定すると、逆に気にするじゃんか。ハハハ。……じゃあ、これ飲んだら帰ろっか」


 響は潤んだ目で、僕にもう一度乾杯を求めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る