08_始動

 居酒屋こだまで働き出してから、一週間が経った。


 とうとう今日は、秀利に初めて接触する日になる。大将には面接初日に、今日は休暇が欲しいという旨を伝えていた。金曜日が忙しいのは分かっているので、夜間会うのは最後にしたい。


——————————

秀利からメッセージ来た。秀利の予定に変更は無し。もう着替えた? 出来たら写真送ってみて

——————————


 香奈からだ。今日の為に買ったのは、体のラインが出る長袖ティーシャツと、ショートパンツに近いハーフパンツだ。元々体毛は少ない方だが、手足の毛は全て処理しておいた。


——————————

こんな格好で行こうと思ってます。駅までは上着の前を閉めて、下はハーフパンツの上から、ジャージでも穿いていこうかと……

——————————


 僕はそのメッセージと共に、自撮りした画像を送った。


——————————

いいじゃん、いいじゃん!! もうちょっと短いパンツの方が効果ありそうだけど、仕方ないわね・笑 あと、思い切ってリップグロス塗ってみたら? 佑くん、目元がキレイだから、口元だけで随分雰囲気変わると思うわよ。

——————————


 リップグロス……? スマホで検索してみた。なるほど、まるで口紅を塗っているように見える。ものによっては、千円もしないのか。とりあえず、香奈には途中で買ってみると返事を入れておいた。



***



——————————

今日の目的は、秀利とメッセージアプリで繋がる事。それだけで十分。ベストは秀利から声を掛けさせる。次点、佑くんが何かしら声を掛ける。それでも進展が無いようだったら、今日は諦める。

——————————


 今日の計画の一部を、往きの電車で読み返していた。


 もし、香奈に声を掛けられたタイミングが、居酒屋こだまで働き出した後だったら、なんて答えていただろう。


 僕は迷わず、ノーと答えたに違いない。こだまの居心地が良いのか、僕と相性が良かったのかは分からない。ただ、あの場所で働くのは本当に楽しい。客とのふれあいがこんなに良いものだなんて、それまでの僕には想像も付かなかった。


 働き出して一週間しか経たないが、今の正直な気持ちだ。こだまに暖かく迎え入れてくれた大将と響に対しては、後ろめたい気持ちで一杯だった。



 目的地の駅に着き、まずはトイレへ向かった。ドラッグストアで買ったグロスを塗るのと、下のジャージを脱ぐためだ。大将と響は店に入っているので会うことは無いが、店の常連客には会ってしまう可能性がある。なんとしても、今日中に秀利とメッセージアプリで繋がらなくては。


 駅から秀利を待ち構える場所までは、徒歩で5分程。この辺りでは一番大きな繁華街だ。金曜の夜ということもあり、多くの人でごった返している。


 すれ違う人たちの視線が気になった。普段とは違い、確実に見られている気がする。女子高生らしき2人組は、あからさまに僕を見て指を差した。「あの人、どっちだと思う?」そんな会話をしているのかもしれない。そんな数分間を耐えた後、目的の洋風居酒屋が見えてきた。


 その洋風居酒屋の入り口がしっかり見える場所で、僕は壁にもたれ秀利を待つ。香奈の予想時間までは、まだ30分程ある。出来れば早く出てきて欲しい。 



 壁にもたれて待つこと20分。思ったより早く、8人組のグループが店を出てきた。


 その中の一人、薄いグレーのスーツを着た長身の男性、秀利だ……僕は上着のファスナーを下ろし、体に張り付いたティーシャツを露わにした。


 彼らの声は聞こえないが、秀利は「次の店に行こう」と誘われているようだ。だが秀利は顔の前で手を振り、それを断ったように見える。その他のメンバーは秀利に頭を下げ、駅へと向かう彼を見送った。秀利が近づいてくる……僕の心臓が激しく脈を打ち始めた。


 秀利は正面を向いたまま歩み続ける。このままでは僕と目が合わないかもしれない。だが、僕の前を通り過ぎようというタイミングで、彼は僕に気付いた。


 その瞬間、秀利の目が大きく見開かれたのを、僕は見逃さなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る