第75話 思いがけない訪問者

 やっぱ、ミニチュアの仕事、やめようかな。教室もやめよっか。人数も減っちゃうし。

 そんな気持ちがフツフツとわいてきた。

 実は、盗作騒動の後、就活っぽいことをしたこともある。ミニチュアから離れるために。

 でも、大学4年の冬なんて、当然だけど、どこの企業も募集なんてしてなくて。

 キャリアセンターに相談して、やっと受け入れてくれる企業を見つけて、面接に行った。急遽買ったリクルートスーツを着て。

 名前を聞いたこともない、どんな仕事をしているのかもよく分からない、中小企業だった。

 でも、せっかく面接してもらったのに、「今までどんな企業を受けましたか?」「一社も受けてないんですか? それはどうして?」って聞かれて、うまく答えられなくて。ミニチュアのことはどうしても話題に出したくなかったから。

 2、3社受けてみて、あ、もうムリってなった。それからしばらく、引きこもりっぽくなっちゃったし。


 ミニチュアから離れたくても、ミニチュアしかやって来なかった私にはミニチュアしかない。

 そんな現実を突きつけられただけだった。


 今までは心がいたから、生活費は何とかなったけど。そろそろ、ちゃんと働かなきゃ。

 バイトでもしようかな。でも、ネットで求人サイトを見てみても、とくにこれといってやりたい仕事がない。そんなぜいたくを言ってられないのかもしれないけど。

 はなまる亭でバイトするとか。市原さんは、まだあのお店にいるみたいだし。心のお店でしばらく働かせてもらってもいいかも。

 純子さんも信彦さんも心配していて、「落ち着くまでうちで暮らしなさい」ってしょっちゅう言ってくれるけど。

 これ以上、傷ついてる姿を見られるのは、ツラいよ。

 圭さんの裏切りを知ったばっかのころは、純子さんの家でしばらく寝込んでた。もう、二人が心配している顔を見たくない。


 悲しみが体から完全に消え去るのは、いつだろう。

 私はソファに寝転がった。

 ふと、怖い考えが頭に浮かびそうになる。

 ダメだ。怖い考えに呑まれたらダメだ。

 苦しみから解放されたいとか、ラクになりたいなんて、考えたらダメだ。

 でも、その誘惑はたまに甘く囁くんだ。弱っている心に、するりと忍び込んでくる。


 その時、チャイムが鳴った。

 あれ、宅急便とか頼んでたっけ?

 私はノロノロと体を起こして、インターホンを見る。その間に、もう一度チャイムが鳴る。

 門の外には、女性が一人。あれ? 見たことがある、この人。誰だっけ?

「あっ」

 もしかして。もしかして。

 はじかれたように私は玄関に駆けた。その勢いのまま、ドアを開ける。

「やっほ」

 門の外で手を振る、その人物は。

「優!!」

 

 5年ぶりに会う優は、すっかりおとなびていた。ってか、もう二人とも20代だから大人だけど。

 この1年ぐらい、スカイプでも会話しなくなっていた。私が精神的にダメージ受けすぎてて、優と話す気になれなかったんだ。

 前は金髪に染めて、メイクも派手目だったのに、今は黒髪のショートに戻って、メイクも普通になっている。

 今、優は仏壇の前に座って、おばあちゃんに挨拶してくれてる。


「ごめんね、突然」

「ううん、ビックリしたあ。帰って来るなら、言ってくれればよかったのに」

 麦茶を入れると、優は一気に飲み干した。

「ごめん、喉乾いちゃって」

「ううん」

 私はもう一杯注いであげた。それも半分ぐらいゴクゴクと飲む。

「優は、就職してるんだっけ?」

「うん、大学の先輩が起業してるから、そこでインターンとして働かせてもらって、そのまま社員になったんだ」

「そっか。何系の仕事?」

「ウェブで手作りの作品を販売する仕事」

「へええ。優も出品してるとか?」

「うーん、今は自分の作品は出品する気になれなくて。そのうち、また豆本を作りたいんだけどね」

「そっか」

 そうやって、ミニチュアから自然と離れていく人は多い。私も、それができたら、どんなにラクだろう。


「あのね、私、結婚することになったんだ」

 いきなりの告白に、私は目を丸くした。

「えっ、そうなの!? 相手は? 一緒に暮らしてた人?」

「ロバート? ああ、ロバートとはだいぶ前に別れて、今つきあってるのはスチュワートって言って、アーティストなんだ」

「アーティストって?」

「ブリキを使ってオブジェとかいろんなグッズを作ってるんだけど、その作品が素敵なんだ。うちのウェブによく出品してて、それを見て『いいな』ってチェックしてて、個展を観に行って親しくなったのがきっかけ」

「えっ、なんか、すごい素敵なきっかけ! まるで映画みたい」

「そうかな」

 優は照れくさそうに笑う。


「おめでとう! その人、どんな作品を作るの?」

「彼はセンスがいいんだ。こういう作品を作ってる」

 優はスマホで作品の画像を見せてくれた。

「ほわ~、いいね! 優が好きになるのも分かるよ」

「スチュワートに葵のことを話して、作品の画像も見せたら、すっごく興奮してたよ。それで、実物を見てみたいって言ってるんだけど、ここに観に来てもいい?」

「えっ、今から!?」

「ううん、明日。葵がよければの話だけど」

「う、うん、いいけど」


「よかった。ありがとう! 明日、うちに二人で挨拶に行こうってことになってて。一応ね、親に会っておきたいんだって」

「そうなんだ」

「たぶん、会うのは一回きりで、もう二度と会うことはないんだろうけどね」

 何でもないことのように言う優。家族と完全に縁を断って、一人で生きて来て。優のそんな強さは、相変わらず尊敬する。

「それじゃ、これからずっと、アメリカで暮らすってこと?」

「うん。私には、あっちのほうが合ってるから」

「そっか」


 そうしたら、もしかして、優と会うのはこれが最後になるかもしれないってこと?

 それは聞けなかった。

 すでに何年も会ってなかったけど。きっと、これからはスカイプでやりとりする回数も減っていくだろうし。ってか、既に減ってるし。

 そうやって、別々の人生を歩んでいくんだろうな。


「ねえ、私、高校に行きたい」

「えっ、今から?」

「明日の朝でもいいけど。まだ2時だし。行ってみない?」

 迷ったけど、とくにすることもないし。高校に行くことにした。


 卒業してから、一度も足を運んでない学校。

 同窓会も、一度も参加してない。卒業後はみんなと疎遠になっちゃったから、何となく行きづらくて。美術部の人たちとも、全然交流がなくなっちゃったな。

 久しぶりの学校は、パッと見、何も変わってない。

 校舎はそのままだし、制服もそのままだし……って当たり前か。まだ5年しか経ってないんだから。


「懐かしいな~。何も変わってないね」

 優はまぶしそうに学校を見つめてる。

 職員室に挨拶に行くほど、親しい先生がいたわけではないし。校門の外から見てるだけの私たち。門から、下校する生徒が次々と吐き出される。制服からすらりと伸びている、同性の私が見てもドキッとするような白い足。

 私は、高校時代はあんな風にキラキラ輝いてなかったなあ。

 文化祭でみんなにミニチュアを教えたのは、ホントにいい経験だったな。それで優とも親しくなれたんだし。あのころが、人生で一番輝いていたのかもしれない。


「ぐるっと回ってみようか」

 優は校舎裏に向かって歩き出した。

 女子高生の群れと離れて、「あ、焼却炉だ、懐かしい」なんて言ってた時。


「ごめんね、つらい時期に何もしてあげられなくて」

 ふいに、優はポツリと言った。

 私は「なんのこと?」って感じで優の顔を見た。真剣な顔。ああ。全部知ってるのか。圭さんとのことも。

「葵に何が起きてるのかは、心さんから聞いてて」

「心から?」

「うん、去年、DM送ってくれたんだ」

「えっ、そうなんだ」

「葵が立ち直れないから、励まして欲しいって言われて……でも、『話聞いたよ』って、こっちから言うのはどうなのかなって思ってて。ごめん、ホントに」

「ううん、そんな」


「葵をそんな目に遭わせて、そいつ、ホントに許せない」

「うん……」

「でもね、そんなヤツのせいで、葵がずっと落ち込んでるのは悔しい。葵には、もっといい相手がいるはずだし。そんなヤツのことなんて忘れて、早く自分の人生を歩んでほしい」

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