第76話 さよなら、また会う日まで


 優は立ち止まって、私の顔を見た。

「葵のミニチュアはすごいんだから。人を感動させる力を持ってるんだから。葵の世界は、誰にも壊せないから。そんなやつのせいで作れなくなっちゃうなんて、ホント、悔しくて」

 私はなんて答えていいのか分からなくて、うつむいた。


「私、高校の時、葵にミニチュアを教えてもらって、どれだけ救われたか……。あの家にいる時も、豆本を作っている時間は自分でいられたんだ。親から冷たくされても、妹がかわいがられるのを見てても、『次はどんな豆本作ろう』とか考えて、つらい気持ちをシャットアウトできたっていうか。それに、葵と静香さんと一緒にミニチュアを作った時間も癒されたし。葵がミニチュアに熱中している姿を見て、私も英語をもっと本格的に勉強してみようかなって気になって。だから、葵のお陰で私はアメリカに行けて、アメリカでも豆本で仲良くなった人もいっぱいいるし、葵は私の恩人なんだよ」


 優は途中から鼻声になる。

 私は思いがけない優の告白に、言葉もなくて。

 ただ温かな涙が頬を伝う。涙、枯れ果てたと思ってたのに。まだ残ってたんだ。


「私は葵のファンだからね。この先もずっと」

 優はふわっと私の体を包み込む。温かい。そっと優の肩に顔をうずめた。

 遠く離れていても、私のことを真剣に心配してくれている人がいる。それだけで、かすかな希望が芽生えるよ。



 その夜、優は家に泊まってくれて、いろんなことを話した。

 優も男の人に遊ばれたことがあって、立ち直るまでに時間がかかったって。優は真剣につきあってるつもりだったのに、そういう関係になって、1カ月も経たないうちにフラれたって。次に選んだのが金髪の白人女性だったから、自分を全否定されたみたいでツラかったって、話してくれた。

 人生、いろいろだね。って、昔、市川さんが言ってたセリフをなぜか思い出した。

 ホントに。つらい思いをしないで生きていけたら、どんなにいいだろう。

 だけど、きっと、傷つくのにも意味があるんだろう。優が今のパートナーと巡り会えたように。



 翌日、スチュワートさんが家に来た。

 スチュワートさんは茶色いふわふわのくせっ毛で、キレイな茶色い瞳をしていた。すらっと背が高くて、「Hi!」ととびきりの笑顔で握手を求めて来た。ドキドキしながら手を握る。大きくてごつごつした手。

 リビングに、今まで作った作品を並べてある。

 私はミニチュアを見たくないから、優に事情を話して、優に並べてもらったんだ。私は離れた場所から見守ることにした。

 スチュワートさんはミニチュアを見るなり、「Oh! Super!」と目を輝かせている。

「写真、撮っていいデスか?」と聞かれたので「OK」と答える。

 一つ一つの作品を何枚も写真を撮りながら、「Grate」「Fantastic!」と何度もつぶやく。解説を求められて、優に通訳してもらいながら精いっぱい答えた。


 でも。

「葵、スチュワートが、あの作品はないのかって」

「え」

 優はちょっと困ったように私を見る。そう、あの作品だけ、ここには置いてない。

「うーん、あれは……」

「でも、私も見たい、葵のあの作品を。葵が見るのがつらいなら、私が持って来て見せるよ」

 しばらく迷ったけど、「ちょっと待ってて」と二階に上がり、クローゼットを開けた。

 クローゼットの一番奥にしまってある箱を取り出す。

 封印するようにしまい込んでいた作品。

 一階に持って降りて、優に託す。優は箱から慎重に出した。


 夜の音楽室。

 二人は瞬きを忘れたように、息するのも忘れたように見つめる。

 やがて、優はほおっと息をもらす。

「So beautiful! 葵の最高傑作じゃん」

「そうかな」

「あの望月って人の作ったのも写真で見たけど、全然次元が違う。葵のほうが断然いいっていうか、ううん、比べ物にならないよ。あっちのはゴミだよ、ゴミ。葵のは芸術作品。この作品が世に出るべきだったのに、あのバカ男」


 優の目に、みるみる涙が浮かぶ。

「悔しい。あんな男に台無しにされて。悔しい」

 泣きだした優のことを、スチュワートさんが慰める。

 私のために、こんなに怒ってくれる人がいる。心や純子さんたちもそうだけど。心がじんわりと温かくなる。


 スチュワートさんは、「僕は今、感動してる。この作品からは物語を感じるんだ。ついさっきまで音楽が奏でられてたみたいで。この作品は唯一無二だよ。絶対、世に出すべきだ!」と熱っぽく語ってくれた(訳者は優)。

「これ、今からでもホームページとかに出したら? 葵、自分のホームページ作ってるでしょ」

「うーん。そんなことしたら、批判が集中しないかな」

「葵は何も悪いことしてないのに、誰が何を批判するの? これがオリジナルですって、堂々と胸を張って出していいと思うよ。だって、葵はいろんなものを犠牲にしたんだから」

「……」


 それから、スチュワートさんの作品の画像もたくさん見せてもらった。ブリキの鳥かごの中にブリキの鳥がいたり、ブリキの巣箱からブリキの小鳥が顔をのぞかせていたり。鳥だけ彩色してあって、センスがいいのが分かる。

「鳥が好きなの?」

「うん。うちの親が鳥好きで、鶏やオウムやインコを飼ってたんだ。だから、鳥は自分にとっての家族みたいなもんだね」

「へええ。あ、この親子の鶏カワイイ」

「これはメモ立てなんだ。この翼に紙を挟めるようになってる」

「ええ~、すごい!」

「これ、卵も足元に転がってるんだよ」

「ホントだ、かわいい~」

 三人でひとしきり盛り上がる。

 ああ。こんな風に、誰かの作品を見ながら興奮するのも、久しぶりだなあ。



「そろそろ行かなきゃ」

 優が腰を上げる。

 とうとう来てしまったお別れの時間。このまま、三人でずっと話していたかった。

「久しぶりに葵に会えてよかった」

「私も。二人が来てくれて、いっぱい話せて楽しかったよ」

「それならよかった!」

「また会えるよね」

「うん、もちろん! 葵もアメリカに来なよ。あちこち案内してあげるから」


 二人で別れのあいさつを交わしている時、スチュワートさんが微笑みながら小さな青い紙袋を「これ、葵さんにプレゼント」と手渡した。

「え? なんだろ。開けてみていいですか?」

 袋の中には段ボールの小さな箱が入っている。その箱を開けると、中に人形のようなものが入っている。

 取り出してみると、ブリキで作った掌に乗るサイズの少女のオブジェだった。少女は両手で小鳥を大切そうに持っている。その小鳥は青い色で塗られていた。

「青い鳥……」

「葵さんの名前、日本語ではBLUEと同じ発音をするんだって聞いて、インスピレーションが浮かんだんだ、ってさ」

「素敵な作品……。ありがとう。一生大事にする」

 オブジェをそっと抱きしめる様子を見て、スチュワートさんは満足そうにしている。



 二人でこれから優の家に挨拶に行く。それから、今晩中にアメリカに帰ってしまう。

「葵」

 優はギュッとハグしてくれた。

「元気でね」

「うん」

 優をハグし返す。

「また会おうね、絶対」

「うん。絶対に」

「離れていても、私はいつでも葵の味方だってこと、忘れないで」

「うん。ありがと」

 体を離すと、優は泣きはらした目で微笑む。

「葵はずっと、今のままでいて」

「優も、ずっと幸せでいてね」


 何度も振り返りながら、二人は去って行った。スチュワートさんが引いている優のスーツケースの音が、ゴロゴロと道路に響く。

 私はいつまでもいつまでも見送った。優が手を振る姿が、涙でかすむ。

 きっと、優はもう日本には戻ってこないだろう。

 でも、それなら、私がアメリカに行こう。いつか。絶対。私たちの心はつながってるんだから。

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