第53話 再生の家

 おじいさんは家の中を覗き込んでいる。

「いやあ、細かい、細かい。教科書を束ねてあるのまで作ってるよ、これ。ここの段ボールからプラモがはみ出してる。いや、すごいね」

 おじいさんの瞳はキラキラ輝いてる。

「すみません、家の中まで入っちゃって。鍵が開いてたんで」

「ああ、泥棒がカギを壊しちゃったみたいだから」

「えっ、そうなの? 初めて聞いたけど」

「近所の人が勝志んところに連絡入れたみたいだよ。ドアノブが壊されてるって。でも、足の踏み場がなくて、泥棒も中に入るのを断念したみたいでさ、電化製品はそのまま残ってるって聞いたけど。泥棒も逃げ出す家って、ゆかいだよな」

「ううん、全然笑えないでしょ」

 美由紀さんは呆れている。


 家の中に入った心によると、キッチンは悲鳴を上げるレベルだったみたい。だから、ミニチュアでもそんなに正確には再現してない。さすがに、どろどろになった生ごみを再現するのはどうかと思うし……。そこまでしてくれた心には、ホントに感謝しかない。


「こうやって見ると、和室だけはキレイだよね。自分が寝てた場所は一応、キレイにしてたんだ」

「ああ。ここには、あいつのものが色々あるからな。鏡台とか、タンスとか」

「壁にかかってる羽織もそのままだったって聞きました」

「えっ」

 美由紀さんは目をパチパチさせた。

「この羽織って、お母さんの……? もしかして、寝起きしやすいから1階に移ったわけじゃなくて」

「まあな。あいつが亡くなったのは冬だったから、羽織がかけっぱなしになってるんだよな。こんな羽織まで作ってくれてるんだ。すごいね」

 美由紀さんの目には、みるみる涙が浮かぶ。

「これが、オレの家なんだよ。これなんだよ」


 和室に奥さんのものがあるのは、心が撮った写真を見て気づいた。

 ここで寝起きしていたおじいさんの気持ちを想うと、作りながら胸が締めつけられた。もしかして、おじいさんは羽織に向かって話しかけてたんじゃないかとか思うと、泣けてきて。

 この家で最後まで、光が射していた場所。


 そう、この家は光と陰の家なんだ。

 この家を完成させた時、自然と陰影ができてることに気づいた。

 古かったり、汚れているものには「汚し」を入れた。庭に転がっている自転車とか三輪車とか家具とか、あちこちに積み上げてある雑誌とか本とか、サビやホコリまみれになっているものは、できるだけ再現するために絵の具で汚したんだ。床やタイルも汚した。

 でも、和室だけはキレイにしてあったんだ。家具も服も畳も。それをそのまま再現したら、自然と家の中で「光」と「陰」が生まれた。

 それは、この家族の陰の部分を表してるみたいで。

 暗く沈んだ空間があるからこそ、その場所はいっそう光り輝く。そこに救いを感じられて。

 こんな光と影もあるんだって、自分でも感動してしまった。


 おじいさんは鼻をすする。美由紀さんはハンカチであふれる涙を押さえていた。

 やがて、美由紀さんは涙を拭うと、「お父さん。でも、こんなに全部は取っとけない。お父さんが亡くなったら、処分するのは私たちなの。だから、ホントに必要なものだけ取っといて、後は捨てちゃっていい?」と意を決意したように言った。

「お父さんも、一度、家に戻って、一緒に考えない? どれを残して、どれを捨てるのか。それなら、勝手に捨てるわけじゃないから、いいでしょ?」

「まあ、それなら」

「ねえ。そうしましょ。あ、お母さんの羽織はここに持って来なくちゃね。鏡台は私が引き取ろうかな」


 こんなにハキハキと話している美由紀さんを見るのは初めてかも。

 美由紀さんは涙に濡れた目でまじまじとミニチュアを見ながら、「これ、もしかして、私が昔持ってたぬいぐるみ? こんなのも取ってたんだ、お母さん」とつぶやいている。

「あいつはな、ホントに捨てられなかったんだ。お前らが大人になった時に、一緒に見て懐かしがりたいって言ってな。まあ、あっちのおばあちゃんが甘くて、あいつがどんなに荷物を持って行っても文句言わなかったからな」

「おじいちゃんは何も言わなかったの?」

「怒ってはいたけど、おばあちゃんが間に入ってたみたいだな」

 二人はミニチュアを前に、話が止まらなくなっている。

 作り直してよかった。ホント、よかった。

 私はそっと部屋を出た。



 いいなあ。

 私は面会室で、ぼんやりと美由紀さんを待っていた。

 いいなあ。

 いいなあ。

 美由紀さんのお父さん、亡くなったお母さんの部屋で寝起きするぐらい、奥さんのことを愛してたんだ。

 それに、美由紀さんのお母さん、そんなにも子供のことを大切に想っていたんだ。


 うちのお母さんも、お父さんも、私の子供のころのものなんて何も持ってないだろうな。

 母の日や父の日に贈った折り紙で作ったプレゼントや画用紙いっぱいに描いた絵も、二人ともそんなに喜んで受け取っていなかった。それは子供心にも分かった。

 おばあちゃんが家に来た時に、「これは私が預かっておいてもいい?」って、捨てられる前に救っていた。おばあちゃんが亡くなって、押し入れのコンテナボックスから、子供のころに私が作ったいろんなものが出て来て、取っておいてくれたことに泣いた。

 きっと、お母さんは私のものなんて、何も持たずに出ていった。お父さんも。二人とも、私の写真すら持ってないかもしれない。


 だから、羨ましい。

 子供のものを捨てられないお母さんなんて。

 それに、そんなお母さんが取っておいたものを捨てられないお父さんも、お母さんを愛していたのが分かる。

 私はそんな風に愛されたことがない。

 私には分からない。仲がいい家族ってどんななんだろう。親から愛されるって、どんな感じなんだろう。

 子供のためにミニチュアハウスを注文する人もいる。親のためにミニチュアハウスを注文する人もいる。

 私はその都度、胸の奥底がチクッと痛む。それに気づかないフリをしてたけど。

 ずっと羨ましかったんだ。私には親を愛し、親から愛される経験がないから。

 

 その時、「後藤さん、お待たせしました」と背後から声をかけられた。

 我に返って振り向くと、美由紀さんが

「ホント、このたびは色々とご迷惑をおかけして、すみませんでした」

 と深々と頭を下げた。

「あ、いえ。気に入っていただけたようで、よかったです」

「気に入るどころか、お父さん、ずっと、『これは小学校の時のクリスマスプレゼントだ』とか、『美由紀が中学の美術で作った作品だ』とか、教えてくれて。よく覚えてるなあって、驚きました。私は忘れちゃってるのに。あ、いくつか、うちの荷物じゃない物もあって。誰かが勝手に置いて行ったゴミなんじゃないかって」

「そうですか。その辺の区別ができなくて」

「それはこちらで除けておきますね」


 美由紀さんの表情はすっかり明るくなっている。こんなにイキイキとした表情の美由紀さんを見るのは新鮮な感じ。

「素晴らしい作品をありがとうございます。それに、わざわざ家まで見に行って、作り直してくださって」

「あ、いえ、好きでやってるので」

「それで、すぐに10万を振り込むから、振込先を教えてください。お父さんと話して、残りの4万はお父さんが払うことになりました」

「そうなんですか」

「私たち、お金を払わないなんて言って、ちゃんと謝罪もしなくて。ホントに、ホントにごめんなさい」

「いえ、もういいですから」

 面会室で何度も頭を下げている美由紀さんを、入居者さんたちが不思議そうに見ている。


「それにしても、久しぶりです、お父さんとあんなに話したの」

 美由紀さんは、まだ興奮しているみたい。

「お母さんが、あんなにも私たちのことを思ってくれてたのも知らなかったし、お父さんもこんなにもお母さんを愛してたんだなって。なんか、感動しました」

「そうですよね」


「お父さん、教師だけあって厳しくて。私、ずっと苦手だったんです。ゴミ屋敷になってから、私は全然行かなかったし。ホームに入れようってことになったんだけど、その時もずいぶんケンカをして。だから、半分騙すような感じでここに連れて来たんですね。ショートステイを試してみようって話をして。そのころは、お父さん、かなり弱ってたし。ホームに入ってから、私は一カ月に一回ぐらいは顔を出すけど、お兄ちゃんは全然だし。面会に来ても、お父さん、何も話さないし。だから、何を考えてるのか分からなくて」

 

 そこで言葉を切った。

「ごめんなさい、ペラペラ話しちゃって。こんな話、聞きたくないでしょ?」

「いえいえ、そんなことは」

「後藤さん、ミニチュアの教室を開いてるって言ってましたよね?」

「ハイ」

「私、そこに通おうかしら」

「えっ、ホントですか?」

「ええ、ホントに。ミニチュアを見ているうちに、私も作ってみたいなって思って。お父さんにとっての我が家はゴミ屋敷だけど、私にとっての実家は、昔の家なんですよね。家族4人で暮らしていた家」


 美由紀さんは遠い目になった。

 その目の先に。きっと、温かい、幸せな想い出があるんだろう。

 そう。そんな想い出があるなら、誰でも少し強くなれる。今がどんなにつらくても。

「それなら、ぜひぜひ。場所は埼玉で遠いですけど」

「月に一度でしょ? それなら通えると思う」

 美由紀さんは、ふうと息をついた。

「不思議ね、ミニチュアって。なんか、普段話さないようなことを色々話したくなる。後藤さんの作るミニチュアだから、そんな気分になるのかも」

「ありがとうございます」

 涙がジワッとにじんだ。

 それは最高の誉め言葉です、私にとって。



 季節は、いつの間にか秋になっていた。

 窓の外に広がる庭では、木々が燃えるようなあかに色づいていた。

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