第6章 夕暮れの家

第54話  ワクワクの箱庭の時間♪

「ねえ、葵」

 その夜は、心が作ったつくね鍋を二人でつついていた。

 白菜や春菊、にんじん、しいたけ、豆腐が入っていて、野菜もたっぷりとれるし、彩りもバッチリ。昆布でちゃんと出汁をとっていて、本格的だ。

 私はポン酢につくねをつけて、頬張っていた。


「このつくね、ふわっふわ。心、天才だよ~」

「ありがと。丁寧に練り練りしたからね」

 心も満足そうにつくねを食べている。

「で? 今、何か言いかけてたよね」

「うん。あのね、僕もミニチュアハウスを作ってみたくなって」

「うん、どんなの?」

「昔、お母さんと一緒に住んでたアパートの部屋。記憶が薄れる前に、形にしたいなって思うようになって」

 心は何でもないように話してるけど、大好きなお母さんとずっと暮らしてた部屋だ。そこでお母さんが倒れていたのを発見したのは心なんだから、そんなに簡単な話じゃないと思う。辛い記憶も色々蘇ってくるだろうし。

「もちろん、私は、いつでも教えるよ」

「ありがとう」

 心の表情は変わらない。どうして、急に作りたくなったのか、分からないけど。何かしら、心の中で変化が起きたんだろうな。



「事前に伝えていたように、今日は箱庭療法を皆さんに体験してもらいます」

 時田先生の説明を聞きながら、私はウズウズしていた。

 箱庭! もうもう、入学した時から、ずっとずっとやりたかったんだよお、これ。

 部屋には、砂が入った大きな箱が3つ置いてある。3人ずつのグループに分かれて、一人ずつ箱庭を作っていく実習だ。

 棚には、箱庭に置く人形や動物、乗り物や建物、植物や食べ物とか、いろんな人形がずらりと並んでいる。これ、ミニチュアじゃん! ミニチュアの世界じゃん、もう。大量生産されてる市販の物が多いのが気になるけど……家は木彫りだから、ぬくもりがあっていいな。あ、でも、この家、なんか、なんか


「後藤さん、何か気になるものでもあるの?」

「あー、この家、色が剥げかけてるから、塗り直したほうがいいんじゃないかって」

「あ、気になるの、そこ? そっか、後藤さん、ミニチュアハウス作ってるって言ってたっけ。後藤さんの得意分野かあ」

「ええ、なんか。この部屋に入っただけでワクワクするって言うか」

「後藤さん、目の色が変わってますよ」

 時田先生は苦笑した。


「じゃあ、後藤さんからやったら?」

 同じグループの鹿島さんが言う。

「いいの? いいの? 私からでいいの?」

「う、うん、全然」

「後藤さん、なんか、人格変わってるよ?」

 同じグループの同級生が、面白そうにツッコミを入れる。

 お言葉に甘えて、私が最初に体験してみることになった。

 一面、砂の空間。どんな箱庭にしようかな。庭って言うから、やっぱ庭っぽいほうがいいかな。過去の写真を見せてもらったら、海辺の風景とか、東京タワーとかビルを置いて都会の街を作った人もいたみたいだけど。


「深く考えずに、自分がいいなと思ったものを置いていってね」

 まず、一つの角に木を3本置く。そこを中心に、緑あふれる庭にしたいな。あ、この箱。内側が水色に塗ってあるけど、もしかして、底も水色?

 箱の横に置いてあった小さなスコップで底まで彫ってみると、水色の底が現れた。


 いいじゃん、いいじゃん! 小川をつくれる。スコップで、端から端にうねうねって川を作って。川。魚も泳がしたいな。でもでも、その前にまわりを完成させよう。農作業用品がしまってある小屋を、木のそばに置いて。畑をこっちの一角に作ろう。畑の縁になるもの……あ、柵がある! これで、畑を囲って。畑には、何の野菜を植えよう。野菜の芽を植えると可愛いかも。あ、キノコがある。かわいい! これは対岸に植えよう。ジョウロを川岸に置けば、ここから水を汲んでるって感じになるよね。あ、そうだ。


「先生」

「ハイ?」

「この川に橋を作りたいんですけど、橋になるもの、ありませんか? 丸太とか」

「うん、ミニチュアの作り方に寄ってっちゃってるかな。時間も限られてるから、今日はあるもので箱庭を作りましょうか」

「そうですか……」


 じゃあ、橋は諦めよう。緑あふれる庭にするには、木を箱の際際きわきわに並べていって、草や花も点在させて……そうだ、畑仕事をしていた人が、ここでお昼寝をしていた感じを出せるといいかも。この人形がかぶってる麦わら帽子っぽい帽子を拝借して。本のミニチュア、あるかな本、本……。


「先生」

「ハイ、何でしょう」

「こういう閉じた本じゃなくて、開いた本が欲しいので、ちょっと作ってもいいですか? 道具を持ってるので、すぐに作れ」

「うん、後藤さん、ミニチュア作りから離れましょうか。ミニチュア作りが本当に好きなのは分かったけど」

「あ、ハイ……」


 あー、開いた本が欲しかったのにぃ。しょうがないな。帽子のまわりに本を何冊か置いて、お昼を食べた後に休んでいた風にして。あ、釣竿も置いておこ。スコップと鍬は、小屋に立てかけておいて。後は、とにかく緑で埋めていこう。


「ハイ、そこまで」

 先生の声に我に返る。

 気が付くと、ゼミのみんなの視線が私に集まっていた。

「……?」

「後藤さん、すごいスピードで棚と箱庭の往復をしてたから、みんなビックリしちゃってるの」

 時田先生が珍しいものを見たような顔になっている。

「えっ、そうですか?」

「すごい集中力ね」


 みんなが私の箱庭を覗き込んで、「すごい、完全に森になってる」「うわ、なんかリアルぅ」「ミニチュアハウス作家の本気度を見た」と口々に言う。

「ホント、人形を全然使ってないのに、まるで人がいるかのような気配を感じさせる箱庭になってて……こんなの私、初めて見た!」

「先生、コメントが『ガラスの仮面』のマヤの演技を見た観客みたいになってますよ」

 同級生がツッコミを入れる。


「普通は人形を使って表現するものなのに。珍しいパターンね」

「あー、ミニチュアハウスって、基本的に人形を入れないで作るんです。情景だけで人がいる雰囲気を演出するって言うか」

「そうなの。興味深いわね。箱庭を作ってみて、どうだった?」

「本当は、この小屋の中にスコップとか植木鉢とか、農作業用のグッズを入れたかったんです。扉が開くようになっていたらよかったのにって」

「ミニチュアから離れられないのね……」

「後、収穫した野菜を入れるバスケットとかがあるとよかったんですけど」

「うん、ミニチュアから離れて欲しいな。そうね、まず、どうしてこの森の中の風景をつくろうと思ったのかしら?」


「えーと、森って言うか、箱庭って言うからには庭を表現したいなって思いまして」

「なるほど。これは後藤さんの中では庭なのね。それじゃ、この風景は、どうして思い浮かんだのかしら? 何か参考にした風景とかはある?」

「ええと、そうですね……昔見た、大草原の小さな家とか、ああいう大自然の中で暮らすドラマをイメージしたって感じですね」

「なるほどね。子供のころに見たドラマが原風景なのね。もしかして、ここに寝転がっているのは自分自身とか?」

「えっ、どうだろう」

「ここに自分が寝転がっていたら、どんな気分になると思う?」

「うーん、風を感じて気持ちいいだろうなって。空も青くて、鳥がどこかで鳴いていて、開放感を味わえるって言うか」

「なるほど、開放感。ここは、誰と暮らしている庭なのかしら?」

「誰と」


 ハタと思考が止まった。

 誰と……誰? お母さんやお父さんと、こういう場所で暮らすっていうイメージがわかない。心かな?

「一人で暮らしているか、友達と一緒に暮らしているって感じですね」

「そうなの。家族と一緒ではなくて、開放感を味わっている……もしかして、家族と一緒だと窮屈に感じるってことかしら」

「うーん、窮屈って言うか……私、両親と暮らしてないので。親は離婚しちゃって」

「あら、そうなの。ごめんなさいね、踏み込んだことを聞いちゃって」

「あ、いえ」


「なんで一人なの? 親が離婚しても、普通は母親か父親と暮らすでしょ?」

 急に鹿島さんが会話に入って来た。興味津々って眼をして。私は言葉に詰まる。

「鹿島さん、プライベートに踏み込むようなことを聞くのは控えてね。ここはそういう場じゃないから」

 時田先生がぴしっと言うと、鹿島さんはムッとした顔になった。

「先生だって聞いてたじゃないですか」


「うーん、誤解を招いてしまったかもしれないけど、私は開放感を感じることを表したその根底には何があるのかを知りたかっただけなの。単純に兄弟が多くて家に居場所がない場合もあるだろうし、厳しすぎるご両親の元で育った人は、抑圧されていることに自分で気づいてない場合もあるのよね。自分で自覚していない感情を引き出すのが箱庭療法ってことを、自分で体験してもらうのがこの講義の目的ではあるんだけど、話したくないことをムリに引き出す場ではないっていうか。うまく伝わるといいんだけど」

 鹿島さんは何か言いたそうな顔ではあるけれど、口をつぐんだ。

「じゃ、次は今村さんの箱庭を見てみましょうか」

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