第8話 傷ついてなんか、ない。
その日も私は屋上に出る階段に腰をかけて、一人でお弁当を食べていた。
お弁当は、いつも冷凍食品をローテーション組んで詰めてる。最近の冷凍食品はおいしいから助かっている。自分で作っているのは卵焼きだけ。ミニトマトを入れて、かろうじて彩りのバランスを取っている感じ。
お昼は、中学時代は班ごとに給食を食べてたけど、今はお弁当か学食で、みんな好きな子と食べている。私は一人だ。
学食で食べたこともあるけど、一人で食べているところを見られるのが嫌で、結局、お弁当か購買部でパンを買うかの二択になった。
ここは誰にも見られない、私の特等席。教室で一人で食べてると、「みんなに見られてないかな」って気になっちゃうし。
傍らにはスケッチブックが置いてある。
市原さんからおばあさんが住んでいた家の画像をもらって、それをもとにどんなミニチュアハウスを作るか、デザインを考えているところだ。
この作業は楽しい。どんなミニチュアを作ろうか、ワクワクしながら何枚もデッサンを描く。自分の好きなように作っていい、私だけの大切な時間。
一軒家を作ると時間がかかるから、やっぱ、一部屋だけかな。テレビのある畳の部屋が、昭和っぽくて、懐かしい感じ。コタツにミカンとか、定番だよね。うちのおばあちゃんの家にも、こんな部屋が
「ちょっと、いい?」
いきなり頭上で声がして、驚いて顔を上げると、水木さんが立っていた。
「屋上に出たいんだけど」
「ああああ、ごめ、ごめんなさいっ」
私は慌ててスケッチブックを片付けて、端によけた。
「どうも」
水木さんはぶっきらぼうに言って、屋上のドアを開けた。とたんに風が吹き込み、スケッチブックが飛ばされそうになって、慌てて押さえる。
水木さんは髪が乱れるのも気にせず、スカートを翻して、ドアの向こうに消えた。その手には、お弁当の包み。
水木さんも屋上で一人で食べるんだ……教室では、本を読みながら食べてたよね。
私のようにオドオドしてるんじゃなく、堂々としていてカッコいい。
思わずため息が出る。
私、いつまで、こんなビクビクした生活を続けるのかな……。
「私、海外の支社に行くことになったから」
その日の夜、夕飯を食べていると、お母さんが突然言い出した。
まるで、「明日、北海道まで行ってくるから」って感じで。
「え? 何?」
お父さんはビールの入ったコップを持ちながら、固まっている。
ちなみに、その日の晩御飯は焼きそばだ。あの後も何回か市原さんに焼きそばの作り方を教わって、今日は家で腕前を初披露したんだ。
「おっ、焼きそば、作れるようになったんだ?」とお父さんは気づいてくれたけど、遅れて帰って来たお母さんは、何も言わずにラップをかけてある焼きそばをレンジで温めて食べはじめた。
ま、まあ、そうだよね。お弁当屋さんで買って来たんだって思うよね。
お父さんが、「これ、葵が作った焼きそばだよ」って教えても、「ふうん」としか反応しなかった。
ま、まあ、そうだよね。塩対応なのはいつものことだしね。
そして、いきなり「海外の支社に行く」と言い出したのだ。
「それって、出張ってこと? 何日ぐらい行ってるの?」
「ううん、出張じゃなく、今度、うちの会社はタイで海外事業を展開することになって、現地に会社をつくることになったの。そこの社長を任されて。だから、最低でも2、3年は行ってるんじゃないかな」
「は??? 何、何の話?」
「6月の下旬から行くかもしれない」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
お父さんはコップを置いた。
「2、3年も家にいないって……なんでそんな大きな話を、一人で決めてるんだよ。うちら家族の生活もあるんだから、僕らに相談して決めるべきなんじゃないの?」
「だって、あなたも起業する話を相談しないで決めたじゃない」
「あれは、いきなり会社を辞めるわけじゃないし。まずは週末にやっていこうって話だから、生活に何か影響が出るわけじゃないでしょ。それに、海外に長期間行くって話とは次元が違うよね?」
「でも、自分は好きなように稼いだお金を使ってるじゃない。そっちは勝手に決めてるんだから、私に文句を言う筋合いはないでしょ?」
「いやいや、ちょっと待ってよ。もしかして、僕が相談なしに決めたからって、あてつけで決めたわけ?」
「そんなことないけど」
「葵はどうするんだよ。まだ高校生だよ? 一人で生活できるわけないし、葵を放ってタイに行くわけ?」
「一人じゃないでしょ? あなたがいるんだから」
「冗談じゃないよ。僕一人に押しつけんなよ! 高校生の女の子をどう世話すればいいのかなんて、僕に分かるわけないだろ?」
「じゃあ、家事の代行業者でも頼んで家のことをやってもらえばいいじゃない。元々、葵は一人で掃除も洗濯もできるし、料理もそこそこできるし、大体のことはできるじゃない」
「いや、家事だけの話じゃないだろ?」
「とにかく、会社には海外赴任はOKだって、もう伝えちゃったから、今更変えられないからね。葵のことはお母さんにも伝えておくし。なんなら、お母さんにここに来てもらっても」
「そんな、自分だけで勝手に全部決めるなよ。僕だって、起業の準備で忙しいのに」
「あなただって、そもそも家のことはそんなにしてるわけじゃないし。何が困るって言うの?」
「いや、だからさあ」
焼きそばは、完全に伸びている。
せっかく、初めて家で作った焼きそばなのに。お父さんもお母さんも、途中で食べるのをやめてしまった。
私も機械的に口に運ぶだけ。何の味もしない。まるで、ミニチュアの焼きそばみたいに。
二階に上がっても、二人が言い争っている声が聞こえてきた。
大丈夫。こういう時は、ミニチュアを作ればいい。
市原さんのおばあさんのミニチュアハウスを作ろう。大体のアイデアは固まってるから。
カッティングボードとカッターを机に出す。
まずは土台を作ろう。スチレンボードを切るところから。
ボードに定規を当てて、線を引こうとして初めて、手が震えていることに気づいた。
大丈夫、大丈夫。
いつものことでしょ。
ミニチュアを作っている間は、嫌なことは全部忘れられる。嫌なことは、全部。
傷ついてない。
傷ついてない。
傷ついてなんか、ない。
ボードにポタッと水滴が落ちる。
「……うううう~」
私はボードに突っ伏した。
キツイな。お父さんまで、私を邪魔者扱いするなんて。お父さんは、ずっと、私の味方だって思ってたのに。キツイな。これ、かなりキツイな。
やっぱり私は一人ぼっちなんだ。今までも、これからも、ずっと。
誰も、私のことなんか、気にかけてくれない。誰も、私のことなんか。
こうやって私が泣いてることも、お母さんもお父さんも知らない。誰も。誰も。
押し殺した泣き声が、ぽっかりとした部屋に響く。
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