第7話 一人じゃないよ。
「お疲れ様でした」
今日は朝から出ていたので、5時に上がることにした。
今日は何のお弁当を買って帰ろう。売り場を見ていると、背中をつつく人がいる。振り向くと、隣のパン屋さんのおばさんが立っている。
「ねえ、パンを持って行かない?」
おばさんはにこやかに話しかけてくる。
「えっ、パン?」
「今日は作りすぎちゃって、売れ残りそうなパンがあるの。閉店まで残ってたら捨てるしかないから、持って行かない?」
「えっ、えっ、いいんですか?」
「ちょっと待ってね」
おばさんはいったん厨房に引っ込むと、店の袋に入れたパンを持って来てくれた。
中を見ると、サンドイッチやチョココロネ、ソーセージパン、カレーパンらしきものが入っている。
「えっ、こっ、こんなにたくさん!? いいいいんですか?」
「いいのいいの。今日は朝から働いてたでしょ? いつも一生懸命働いてて、若いのに偉いなあって思ってたの。そのご褒美」
「えっ、ありありありがとうございます!」
笑顔で店に戻るおばさんに向かって、何度も頭を下げる。
お隣のパン屋さんのパンはずっと気になってたんだけど、バイトが終わるころにはいつも売り切れてて、買えなかったんだ。
「あのさ、うちのお寿司も持ってってよ」
パンの袋を覗き込んでると、ふいに声をかけられた。顔を上げると、お寿司屋さんのおじさんが、ぐいっとレジ袋を差し出した。反射的に受け取る。
中を見ると、のりまきや握りのセットが入っていた。
「えっ、そんな、これ、これって」
「お昼に食べようって思ってたんだけど、食べそびれちゃってさ。気にしないで持ってって」
「えええっと、ありがとうございますっ」
おじさんは、はにかんだ笑顔を残して、厨房に引っ込んでしまった。
何??? 何が起きてるの???
「葵ちゃん、これ、持ってきなよ」
今度は店長さんが、親子丼と天丼をくれた。
「えっ、いいんですか?」
「今日は朝からシフトに入ってくれたから。助かったよ」
「このメンチカツも持って行って」
奥さんが追加してくれた。
「えっ、あの、あの、ありがとうございます!」
私は何が何だか分からないまま、両手にお弁当やパンを抱えていた。
今日はお弁当を買わなくて済むから、助かった~! お父さんとお母さんも、これなら喜んで食べるだろうし。明日の朝ご飯にもできるかも?
「お疲れ様でした」と挨拶すると、「来週もよろしくね」と店長さんたちが優しい笑みで送り出してくれた。
朝早くから働いたから、ご褒美くれたのかな?
首をひねりながら更衣室で帰る準備をしていると、南野さんが「今日はお疲れ様」と入って来た。南野さんも早番だったから、早く上がるのだろう。
「これは私から。お疲れ様」
南野さんはパックのオレンジジュースを差し出す。
「えっ、い、いいんですか? ありがとうございます!」
受け取ると、南野さんはフフフと笑った。
「あのね、食堂で、あなたがお弁当を食べながら泣いてるのを、パン屋とお寿司屋の店長さんが見てたらしいの。で、うちの店長さんに大丈夫なのかって相談してて。いつも家族の分のお弁当を買って帰ってるって聞いて、なんか思うところがあったみたいね」
「えっ、えっ」
泣いてるのを見られてた……。誰も私のことなんか、気にしてないと思ってたのに。
「葵ちゃん、いつもみんなに挨拶してるでしょ? 他のお店の人にも。みんな、それだけで高校生なのに偉いなって思ってるの。大人は意外と、色々と気にかけてるものなのよ」
私は今、嬉しくて泣きそうになるのを、必死で堪えてる。
誰かが、私を心配してくれている。
それだけで、私にとっては泣きたいぐらいに嬉しいんだ。ねえ。世の中捨てたもんじゃないって、こういう時に使う言葉だよね、きっと。
「お、お弁当箱、ありがとうございました!」
次の土曜日、市原さんにキレイに洗ったお弁当箱と箸入れと、洗濯したナプキンを返した。
「とっても、おいしかったです!」
「そう、よかった。うちは二人とも男の子だから、女の子の口には合わないんじゃないかって思ったけど」
「そ、そんなことないです! ポテトサラダにリンゴが入ってるのがおいしかったです!」
「気に入ってもらえてよかったあ」
「それで、あの、これ、ほんのお礼です」
小さな紙袋を差し出す。
「えー、シフトを代わってくれたお礼だったのに。却って気を使わせちゃったかな」
「い、いえ、そんな、たいしたものじゃなくて」
「そう? それじゃいただいとく」
市原さんは紙袋を開けると、「あら、これ、何?」とキーホルダーを取り出した。
「あのお弁当、と、とってもおいしかったから、ミニチュアで作ってみたんです」
「えっ、何、これ、葵ちゃんが作ったの?」
市原さんは目を見開いている。
「ホントだ、これ、私が作ったお弁当だわ」
「えー、見せて見せて」
「うわー、細か~い。これ、どうやって作るの?」
たちまちパートのおばさんたちが集まって来る。
「えと、樹脂粘土っていう粘土で、色をつけて」
「粘土でこんなのできるの? すごいわねえ」
「や、焼肉にキャベツが敷いてあったから、キャベツもちょっと入れてみました」
「えええ~、ホントだ、これ、ちゃんと千切りになってるじゃない。すごすぎるわ」
「卵焼きも入ってるし」
「見て、ごはんにふりかけまでかかってる」
「それより、お弁当箱の蓋っ。底から見たら蓋に絵が描いてあるの!」
「ひゃー、ホントだあ」
店長さんも「そろそろ仕事に戻って!」と言いながらも見に来て、「はあ~、すごいね、器用だねえ」と感心している。
「ねえ、こういうの、よく作るの?」
市原さんは、更衣室で休んでる時に尋ねてきた。
「ハイ、子供の頃から、作るのが好きで」
「そうなんだ。他にどういうのを作るの?」
私はスマホで今まで作ってきた作品の画像を見せた。
「えっ、なにこれ、うちのお店?」
「そうです。まだ、お弁当は半分しか並んでないんですけど」
「何、何、このお弁当も一つずつ作ってるの?」
「ハイ」
市原さんはあんぐりという感じで口を開けた。
「すごい、すごいじゃない、葵ちゃん。すごい才能」
「いいいえ、そんな」
「他には? どんなの作れるの?」
「これは、中学の時の美術部の部室です」
市原さんはスマホを覗き込んで、「はああ~、筆と絵の具まで再現してるの? すごすぎるわあ」と感嘆の声を上げた。
「これは、中学校の体育館」
「わ、跳び箱がある。マットと、これ、平均台? はあ~、すごすぎるわ」
市原さんは何度も「すごすぎる」と絶賛した。
画像をひとしきり見てから、市原さんは「葵ちゃんは将来、こういうのを仕事にしたらいいんじゃない? こういうのを作るプロっているの?」と言った。
「はい、ミニチュア作家の方、大勢います。ミニチュアハウスを作る人とか、こういう食べ物を専門に作る人とか」
「そうなの。いろんなプロがいるのねえ」
市原さんはふと思いついたように、
「ねえ、よかったら、うちのおばあちゃんにあげるミニチュアハウスを作ってくれない?」と言った。
「もちろん、お金はちゃんと払うから。おばあちゃん、去年から老人ホームに入ってるんだけど、やたらと住んでいた家に戻りたいって、家のことばっか話してるの。でも、家はホームに入る時に取り壊しちゃったのよね。だから、何か形にしてあげると、喜ばれるかもしれないって思って」
私は嬉しくて絶叫しそうになるのを、必死で抑えた。
「ホ、ホ、ホン、ハ、ハイ、つく、作ります!」
「ホントに? 嬉しい。どうすればいいのかな」
「ええとええと、が、画像、ありますか? できるだけ、いろんなところから撮った画像があれば、作りやすいです」
「分かった。スマホにもあるし、紙の写真もあるし。紙の写真は、今度持ってくる。スマホの画像は、LOINか何かで送ればいい?」
「ハイ、ハイ、そうしてもらえれば」
「分かった」
話はとんとん拍子にまとまった。
人から頼まれてミニチュアを作るなんて、初めてだ。まるでプロみたい!
嬉しい、嬉しい。私は更衣室で喜びをかみしめてて、休憩時間を過ぎてしまって店長さんに怒られちゃった。
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