第41隻
連絡を受け取ったナタリーとケヴィンは、急ぎスプライスの街に向かった。
内心、ナタリーは緊張していた。
最後にベティと会ったのは、あのぬるいポット事件の時だ。
あとは外に連れて行かれるベティを窓から見ただけ。
ベティのナタリーへの悪意は、理不尽なものだと分かっている。
それでも、ケヴィンにかなり強引に婚約を迫った手前、どうしても責任を感じずにはいられない。
ナタリーでなくともきっとケヴィンはいずれ他の誰かと婚約したのだろうし、そうすればベティはその相手を攻撃したのだろう。
だからナタリーが責任を感じる必要はない。
そう自分に言い聞かせるが、上手くはいっていなかった。
けれど、何があろうと、ケヴィンの婚約者は自分でありたい。
そう強く思った。
ユージーンからの手紙に記されていたアパートに向かう。
ナタリーは黄色と思しき古ぼけたアパートを見上げ、思わず眉を寄せた。
仮にもアンカー辺境伯家の侍女として、生まれた時から屋敷で過ごしていた彼女には、あまりに粗末な住まいだろう。
階段を登り3階に辿り着くと、破壊されたドアが目に入った。
どうやらナミルとユージーンはドアを蹴破って入ったらしい。
後で大家に弁償しなければ、とナタリーが考えていると、壊れたドアの隙間から、ユージーンの顔が覗いた。
「ご足労いただきありがとうございます!」
玄関前で見張っていたのだろう。
壊れた扉を、開ける、というより横にどかして、ユージーンが元気に敬礼をして出迎えた。
「ベティは部屋の中です。ぴくりとも動かないのですが、念の為両手を縛り、副団長が見張っています」
先ほどの元気な敬礼から一転、声をひそめ、真剣な表情でユージーンは告げた。
ケヴィンは「分かった」とだけ返すと、背を屈めて扉を潜った。
ケヴィンにこの入り口は低すぎるようだ。
「ナタリー。君は私の後ろから離れないでくれ」
「分かりました」
心配気に振り返るケヴィンにナタリーは頷き、その後に続いた。
「来たか」
ナミルは気だるげに、椅子の背もたれに両腕を乗せて座っていた。
ケヴィンは「ご苦労」と一言声をかける。
ナタリーはケヴィンの後ろに付いているため、中の様子がよく見えなかった。
ゆっくりと中は進み、廊下と呼べるのか分からないほど短い廊下を抜けると、ケヴィンの体の影から部屋の様子が見えた。
狭い部屋だ。
いつも以上にケヴィンの背中が広く感じる。
ケヴィンの右脇からナミルの気怠げながら真剣な顔が見える。
左脇の方に頭をずらせば、ベッドが見えた。
その上に、両手を胸の前で縛られた異様な風体の女が座っている。
「もしかして……ベティなの……?」
思わず、声に出た。
あまりにも記憶しているベティと違いすぎる。
けれど状況から考えて、彼女がベティに違いなかった。
ナタリーの声に、ベティが首だけ動かす。
そして、ナタリーと目が合った。
「何だ。死ななかったの」
少し残念そうに、なんの罪悪感も感じていないだろう声で、ベティは言った。
「お前……! 未来の奥様が死ぬかもしれないと分かっていてやったのか!」
「それ!!! やめてよその『未来の奥様』っていうの!! あんな女がケヴィン様の奥様になる訳ないでしょ!!」
ナミルの怒声を打ち消すように、急に激しく声を荒げる。
この細い体のどこにそんな大きな声を出す力があるのだろう。
ナタリーは鼓膜がビリビリとするのを感じた。
「そいつがいたから全部おかしくなったのよ! 全部全部!! 私がケヴィン様と離れるなんてあっちゃいけないのに!!」
まるで何かに弾かれたかのように、急にベッドから飛び降りたかと思うと、そのままナタリーに向かって飛びかかった。
思わずナタリーは身を引いた。
けれどケヴィンにあっさり縛られた手を取られ、ベティは身動きが取れなくなってしまった。
「離して! 離してよ!!」
「やめるんだベティ。これ以上、罪を重ねるな」
低い声で諭すように、ケヴィンは言った。
痛みに耐えるような、静かで悲痛な声だった。
ベティの原動力が全て自分にあるのだと知り、やるせない思いなのだろう。
ふと、ナタリーは違和感を覚えた。
言葉ではケヴィンケヴィンと言いながら、ベティは目の前のケヴィンに一切興味を示さない。
ケヴィンに捕えられてなお、ナタリーから視線を外さず睨みつけ、ケヴィンにはちらりとも目をやらないのだ。
「腕と腰を縛ろう。このまま皇宮騎士団に引き渡す」
「はっ!」
「りょーかい」
ナミルとユージーンが縄をかけようとするが、ベティも必死の抵抗を見せた。
「やめろ!! 離せ!!!」
ベティは頭をぶんぶんと振り回し、全身を使って抵抗する。
縄をかけるため、ケヴィンが掴んだ腕を解いた、瞬間。
ベティの指先が、ケヴィンの顔を引っ掻いた。
マスクがずり落ちて頬が露出する。
そこで初めて、ベティはケヴィンを視界に収めた。
「っ化け物!!」
目をカッと見開き、本当に化け物でも見たかのように驚愕の表情を浮かべている。
そしてすぐに、顔を歪め、憎悪のこもった視線で睨みつけた。
「ケヴィン様を喰った化け物め!! ケヴィン様を返して!!」
唾を飛ばし、激しく詰め寄る。
その姿は、決して愛する人に対するものではない。
一体これはどういうことなのだ。
ナタリーはしばし、呆然と固まってしまったのだった。
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