第42隻

 ベティは尚も、ケヴィンを怪物と詰る。

 その顔を見て、ナタリーははっとした。

 理解した。出来てしまった。

 あれほどケヴィンを崇拝するような発言をしておきながら、何故目の前のケヴィンを無視していたのか。

 今、ここにいるケヴィンは彼女にとって本当のケヴィンではないのだ。

 まだアンカー辺境伯家に居た時は、ここまでではなかった。

 だからこそわざわざケヴィンが街に出る日を調べ、休みまで取っていたのだろう。

 けれどこの1年の間で、ベティの中で過去のケヴィンと現在のケヴィンが完全に分化してしまったのだ。

 彼女はいつまでも、過去のケヴィンだけを見ている。


「っお前……!!」


 ナミルが憤怒の表情でベティを縛り上げる。

 許せなかった。

 あれほどケヴィンを神格化していながら、今のケヴィンを受け入れない姿が。

 ただ、顔に傷があるというだけで。

「化け物」という言葉に、ケヴィンがどれほど傷付いてきたか。

 その言葉を長い時間共に過ごした者が口にすることが、どれほど残酷なことか。

 ナミルは、とてもではないが我慢ならなかった。


「離して! 離してよ!!」

「お前が団長をそんな風に言う資格なんてねえ! あの傷は、必死にお前らを守ってきた証なんだよ!!」


 ナミルの激昂が耳に届いていないかのように、ベティは動きを止めない。

 胴体と腕を一緒に縄で巻かれてもなお蠢く様は、さながら芋虫のようである。

 あの侍女の鑑のようだったベティが、ここまで醜悪になることが出来るのか。

 ナミルとユージーンが、暴れるベティを押さえつける。

 流石に騎士二人に押さえつけられては、身動きが取れないのだろう。

 顔を歪め、鼻息だけを荒くしてケヴィンとナタリーを睨みつけている。

 ナタリーはじっとベティの顔を見つめた。

 その憎しみに満ちた瞳を。

 ナタリーはひたすら、不思議で仕方がなかった。


「ねえ、ベティ。あなたはケヴィン様の何がそんなにも好きだったの? 顔? 美しさ? 確かにケヴィン様は顔に傷があるけれど、それでも十分美しいわ。あなたにはそれが分からないの?」


 ナタリーベティの顔の前にしゃがみ込んだ。

 その歪んだ顔から視線を外さずに、静かに語りかける。


「お前に何が分かる!! ぽっと出のお前如きに!! ケヴィン様は、幼い頃から神々しくて、眩しくて、この世で最も美しいものだったのよ!! お前はケヴィン様の本当の美しさを知らない! あの怪物に喰われてしまったんだケヴィン様は。でもケヴィン様はあんな怪物には負けない! いつかまたケヴィン様は目を覚まして」


 バシっ!


 ベティの言葉を遮るように、乾いた音が部屋に響いた。

 ナタリーがベティの頬を平手で打ったのである。


「馬鹿なこと言わないで!! ケヴィン様は怪物なんかじゃないわ!! 確かに私は過去のケヴィン様を知らない。それでも話を聞く限り、何も変わってはいないはずよ! 自分を犠牲にしてまで、帝国の、領地の人々を必死に守ってる! いつでもこちらのことを考えて心配してくれて、魔獣をあっという間に倒してしまうくらい強くて、とっても紳士だわ。でもちょっと可愛いらしいところもあるのよ。決して化け物なんかじゃない。とても素敵な人だわ! あなた、本当はケヴィン様を愛してなんかいなかったんじゃないの? あなたが愛していたのは、ただの幻影なんじゃない? あなたが愛したケヴィン様は、元々存在していないのよ!」


 ナタリーは、半ば叫ぶようにしてベティに反論する。

 何も分かっていないのはベティの方だと思った。

 あまりにも残酷で、最後まで聞いていられない。

 ベティの言葉でケヴィンが傷付かなければいいが……。

 そう思い、ナタリーはゆっくりと振り返り、ケヴィンの顔を見上げる。

 するとどういう訳か、恥ずかしそうに耳まで赤くして、右手で顔を隠しているケヴィンが居た。


「ケ、ケヴィン様……?」

「ひゅ〜。こんな時に惚気とは。未来の奥様もやるな!」


 困惑するナタリーに、顔をニヤつかせたナミルが冷やかしを入れる。

 それでも手は一切緩めていないのだから、流石スラスター騎士団の副団長である。


「の、惚気てなんかないわ!」

「もういい、ナタリー……ありがとう……」

「ちょっとケヴィン様まで!」


 なんだかナタリーまで恥ずかしくなってきた。

 何かとんでもないことを言ってしまっただろか。

 そう思ったところで、ベティがぶるぶると震えているのに気付いた。


「お前ら全員殺してやる!!! くそっ!! くそ!!! もっと早く殺せば良かった!! あの女は上手くいったのに!!!」


 ベティの叫び声で、弛緩した空気が一気に凍りつく。

 その声は本気の殺意に満ちていて、それだけで背筋が寒くなるくらいだった。

 そして、何より。


「あの女? あの女とは誰のことだ?」


 ケヴィンが鋭い声でベティに問う。

 その声は、ナタリーさえも恐怖を感じるほどの冷気を帯びていた。

 しかし当のベティは一切気にしていないように、歪んだ笑顔を浮かべている。


「あの女。最初にケヴィン様の妻の座に収まったあの女よ! 本当のケヴィン様を知らないくせに生意気なことばかり言うから、目障りで目障りで仕様がなかったあの女。あの女は簡単に身投げさせてやれたのに! なんで上手くいかなかったんだ。早く殺してしまえば良かった。そしたら今頃ケヴィン様は元に戻って私の側に居たはずなのに」


 最初はケヴィンを見つめて叫んでいたものの、後半はぶつぶつと独り言のように呟いている。

 完全に、ケヴィンたちはベティの認識の外に追いやられたようだ。


 ケヴィンはベティを見下ろし、絶望の表情を浮かべていた。


「お前が……お前がヘレナを殺したのか」


 ケヴィンの呟きが一切耳に入らないのか、ベティはぶつぶつと独り言を繰り返すだけだ。

 ヘレナとは、ケヴィンの亡くなった前妻の名である。

 ケヴィンはずっと、ヘレナの死に責任を感じてきた。

 もっと彼女に寄り添えていたら、そもそもこんな自分と結婚しなければ、ヘレナは死ぬことはなかった。

 そう、思い続けてきた。

 まさか彼女を追い詰めた人物が、他に居ようとは思いもしなかった。


「答えろ!! お前がヘレナを死に追いやったのか!!」


 ベティの胸ぐらを掴み、顔を上に向かせて怒鳴る。

 ケヴィンの声には激しい怒りの感情が滲んでいる。

 ナタリーは、こんなケヴィンを見るのは初めてだった。


「あいつが勝手に死んだのよ。『これから一生、怪物の顔を見続けることになるのはお前に価値がないからだ』って言ったらね。勝手に絶望して飛び降りたの」


 ちらりと、ほんの一瞬ケヴィンの顔を見たかと思うと、すぐにふいと顔を背けてベティは言った。

 先ほどの勢いとは異なり、どこか言い訳でもするかのような言い草だ。

 ベティの言葉に、まるでケヴィンは鋭いナイフで傷つけられたかのような、痛々しい表情を見せた。


「団長! こいつの話なんてもう聞く必要ねえ!!」

「すぐに皇都に連れて行きます! ベティ・バラスト! 今すぐ立て!!」


 ナミルとユージーンは、一刻も早くケヴィンから引き離そうとするように、急いでベティを引っ張っていく。

 ケヴィンとナタリーがアパートにやって来る際、外に移送用の馬車を用意していた。

 犯罪者の移送にゲートは使えない。

 もしも犯罪者が暴れてゲートが壊されようものなら、その損失が計り知れないからだ。

 尚も暴れるベティを抱え、ナミルとユージーンは馬車へと乗り込む。


 それを見送るナタリーとケヴィンは何も言葉を発さず、嵐が過ぎ去った後の湖面のように、静まり返っていた。

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