ナミル+ユージーン1
時は少し遡り、アンカー辺境伯家の屋敷を出たナミルとユージーンは、ボラード伯爵領にあるスプライスという街を足早に歩いていた。
いつもの騎士団の制服ではなく、商人のような服を着ている。
「かなり栄えてますね」
「ああ。悔しいが、シャンクの比じゃねえな」
不自然にならない程度に周囲を観察すれば、街行く人々の表情は明るい。
皇都ほどではないものの、とても賑やかな街だ。
想像していた街の様子と異なり、二人は意外に思う。
あのボラード伯爵のことだから、内政もかなり悪どいものなのだろうと思っていたのだ。
もちろん断片的な情報だけで判断は出来ないが、少なからず、人々が圧政に苦しんでいる様子は見えない。
『以前調べた時は、税が厳しいとか、特段そういったことはなかったはずよ。健全な領地経営だと思ったわ。……だから、まさかそんな人だとは思いもしなかった』
ふと、ナミルは以前ナタリーがボラード伯爵について話していたことを思い出した。
ミゲルとフィリップが親しいこともあり、ボラード伯爵家とバース子爵家はそれなりに交流があった。
ナタリーがまだミゲルの婚約者だった時、結婚後も付き合いがあるだろうと考え、ボラード伯爵領のことを調べていたのだ。
一連の出来事で、ナミルにとっては悪徳貴族の印象が強いボラード伯爵だが、領主としては誠実にやっていたということか。
そう考えると、伯爵は単なる利己主義とは違うのだろうか。
ナミルは顎に手を置いて、うーんと唸り声を上げた。
ボラード伯爵領は皇都の北東側に位置している。
皇都から馬車で4日、アンカー辺境伯領から8日ほどの距離だ。
領の南部は農作地として知られており、広さはさしてないものの、恵まれた土壌と気候で作物が多く育つ。
この農作地のおかげで、ボラード伯爵領は全体的に豊かだ。
スプライスは、領内の西側に位置する大きな街だ。
伯爵の屋敷はこの街に存在する。
大臣を更迭されてから、ボラード伯爵は妻と共に領地の屋敷で暮らしているという。
皇宮で官僚として働くフィリップ、ビット伯爵領に居たサラ。
それぞれが別に暮らしていたということだ。
ベティを隠すなら、自分の目の届く範囲に置くだろう。
そう考えた二人は、まずスプライスの街を探索することにしたのだ。
「私、ゲート使ったの初めてです」
半ば興奮した様子でユージーンが言った。
努めて冷静を装うとしているものの、上手くできていない。
無理もない。
本来ゲートを使える人間など、限られた人間だけなのだ。
「俺も。高ぇからな」
副団長であるナミルは特に、ケヴィンが皇都に行っている間の責任者として、辺境伯領に残るのが常だ。
まれに辺境伯領を出る用事もあるが、ゲートは使ったことがない。
何せ、ケヴィンと一緒でなければゲートを使用するのは相当な金額がかかるのだから。
ユリウスは何度もケヴィンに付いて皇都に訪れているが、逆に言えば、ケヴィン以外に屋敷の者でゲートを使用したことがあるのは、ユリウスだけだった。
今回ケヴィンは、ゲートの使用を二人に許可していた。
馬で移動する時間はない。
一刻も早くベティを見つけなければならないのだ。
「なんだか、お金持ちになった気分です」
「分かるわー。騎士団の奴らに自慢してやろ」
軽口を叩きながらも、進む速度は落とさない。
決して気持ちが浮ついてる訳ではなく、厳戒態勢でも適度に気を抜くことが出来るだけだ。
冬の間、常に魔獣との戦いに明け暮れるスラスター騎士団にとっては、当たり前のスキルだった。
街の中を闇雲に探しても見つかる訳はない。
まずは情報収集だ。
二人はボラード伯爵の屋敷へと向かうと、周辺で使用人たちから話を聞くことにした。
その日、話が聞けたのは3人。
使いのメイド2人とコック見習いだ。
不慣れな旅人のふりをして道を尋ねる傍ら、世間話をいくつか挟んで伯爵家の様子を尋ねる。
しかしそこはよく教育された使用人だ。
口が固く、大した情報は得られなかった。
そもそも普段人間との戦いを本務としないスラスター騎士団は、あまり情報戦略に長けていない。
それを痛感する二人だった。
一晩安宿で過ごし、再度使用人から話を聞こうと屋敷に向かって街道を歩いていると、初老の紳士が二人に声をかけた。
「お二人さん、ちょっといいですかな?」
「なんだいじいさん。悪いが道案内なら期待しないでくれよ。俺たちも来たばっかりなんだ」
「スラスター騎士団の方で間違いないかね?」
ナミルとユージーンは一気に警戒を強め、懐に隠した銃に手を伸ばす。
服装も変えている上、「騎士」でなく「スラスター騎士団」と言い当てるとは、一体何者なのか。
そんな二人を尻目に、紳士はほっほと笑顔で両手を上げた。
「怪しい者じゃあないですよ。それに、以前お会いした事があるというのに、残念ですねえ」
「以前会ったことが……?」
ナミルとユージーンが首を傾げる。
すると紳士は、再びほっほと笑うと、懐に手を入れた。
二人は一気に警戒心を強め銃を抜く。
が、次の瞬間、呆気に取られ固まった。
紳士の手には、濃紺の紙が握られていたからだ。
まるで一度濡れてから乾いたような、皺の寄ったその紙には、白い文字が踊っている。
「こちら、ナタリー・ファンネルさんからの依頼状でして」
「未来の奥様から!?」
ナミルが紙を受け取り眺めれば、確かにナタリーの字である。
それに、この特殊な色の紙は、ナタリーの部屋で見たことがある気がした。
「申し遅れました。私、ファンネルさんから『キール』と呼ばれている者です」
そう言って初老の紳士、もといキールは、シルクハットを脱いで恭しくお辞儀をする。
ユージーンとナミルは、ポカンと口を開けた。
確かにキールというナタリーお抱えの情報屋には会ったことがある。
あの魔獣騒動の直前にナタリーを訪ねてきた男だ。
しかし、どう考えても今目の前の紳士とは別人だ。
そもそも年齢も体格も合わない。
二人は大いに混乱した。
キールがいくつもの姿を使い分けることを知らなかったのだ。
「仕事上、決まった姿でいる訳にいかないものですから。大丈夫、すぐに慣れますよ。ところで」
キールはにこりと人好きのする笑顔で微笑むと、途端、真剣な顔で声をひそめて二人に囁く。
「お探しの情報、仕入れてありますよ」
ナミルとユージーンは、思わず顔を見合わせた。
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