第39隻
「ボラード伯爵のことは、こちらに任せてほしい。しかし裁判では、あなたの証言が必要になってくるだろう。皇帝陛下の前でも、話すことは出来るか」
深く頭を下げたままのサラの後頭部に、ケヴィンは静かに問う。
貴族が起こした重大犯罪は、皇帝が裁くことになっている。
今回の件も間違いなく、皇帝の判決によることになるだろう。
ボラード伯爵を追い詰めるには、サラの証言は欠かせない。
「もちろんです。私に話せることは、全て話します」
ケヴィンの問いに、サラは涙を拭ってしっかりと答えた。
真っ直ぐにケヴィンを見つめている。
既に覚悟は決まっているのだろう。
迷いは一切ないようだ。
大臣を更迭されたとはいえ、ボラード伯爵は大物に違いない。
サラの義父でもある。
今までサラは、ボラード伯爵にいいように使われてきた。
そんな人物の罪を証言するというのは、並み大抵の覚悟ではないはずだ。
ナタリーは初めて、サラに好感を抱いた。
しかし、一つ気になることがある。
「……ボラード小伯爵のことは、大丈夫ですか?」
サラの夫であるフィリップは常に話の外にいて、二人の関係が分からない。
ボラード伯爵の罪が暴かれれば、当然フィリップとて無傷ではいられない。
爵位の取り上げもあり得る。
いくら契約結婚だったと言っても、本当に何も情はないのだろうか。
「フィリップは……義父が更迭された時、とても憤っていました。義父に対して。女性関係の倫理観は薄いのですが、それ以外はきちんとした正義感のある人です。きっと、分かってくれると思います」
「今回の一件に、ボラード小伯爵は一切無関係だということですか?」
「ええ。彼は全く無関係です。全ては義父であるボラード伯爵と、私がしでかしたこと。フィリップは、私に一切興味がありません。私が何をしようと、どこに居ようと、気にも留めていないんです」
ミゲルのことを語る時と一転、微笑みながら、からりとサラは言った。
そんなサラに、ナタリーは本当に二人は契約関係なのだと知った。
サラからは、フィリップへの想いは何も見えない。
裏を返せば、それだけミゲルに本気だったということでもあるのだろう。
「だからきっと、まさか私がこんなことをしでかしただなんて、思いもよらないでしょうね。そういう意味で、彼も被害者です。そのことは、裁判の時に申し添えるつもりです」
「そうですか……」
好意はないが、悪意もない。
サラにとってフィリップは、良き隣人といった所なのだろうか。
「……一つ、確認したい」
一瞬の沈黙の後に、ケヴィンが口を開く。
どうにもその声は重い。
「魔獣をシャンクの街に放ったのは何故だ? それにあなたは先程、魔獣に『人を傷付けないよう調教した』と言ったな。それも伯爵の指示か?」
「いえ。義父からの本来の指示は、運河建設の現場に放ち、作業員たちを襲わせることでした。けれど、私はしたくなかった。調教師たちもです。だから、襲わせる対象を……その、最小限に絞りました」
なるほど。
調教内容は、サラが独断で変えていた訳だ。
ボラード伯爵なら、わざわざ手間をかけてナタリーとケヴィンだけを対象にするとは思えない。
「魔獣を放つのも、被害が最も少なくなる時間と場所を選んだのです。義父には、魔獣が暴れて運河建設現場まで保たなかったと説明するつもりでした」
「待て、何故あの時間と場所が被害が少なくなると分かったんだ?」
「協力者に聞いたからです。確か……名前はベティ・バラスト。アンカー辺境伯家の元侍女だとか」
「そんな……ベティが!?」
その名を聞いて、ナタリーは心底驚いた。
しかし、ケヴィンは眉根を寄せて、嫌な予感が当たったというように俯く。
「……やはりか……」
絞り出すような一言が、客間の床に漂う。
そのあまりの重さに、一瞬、静寂が訪れる。
「今回の計画を発案したのもベティなんだろう。ボラード伯爵だけで、今回の計画が立てられたとは考えにくい。軍事大臣だったといっても、彼は魔獣を見たこともなかったはずだ」
「ええ、そう聞いています」
サラはこくりと頷く。
ナタリーは目眩を覚えた。
「でも、何故ベティが? いえ、動機なら分かります。アンカー辺境伯家を追い出されたことへの逆恨みですよね。けれど、彼女は侍女です。魔獣を見たこともなければ、スラスター騎士団の巡回も管轄外ではないのですか?」
ナタリーはケヴィンに言い募る。
もちろん、ナタリーとてベティの存在を思いつかなかった訳ではない。
しかし、侍女のベティには無理だろうと、あえて候補から除外していたのだ。
「いや。最北の要塞には、騎士団だけが行くのではない。君も向こうで見ただろう。要塞には、騎士たちの身の回りを世話する使用人たちが何人か一緒に詰めいているんだ。かつてはベティも、一緒に要塞に行っていた。間近で見たことはなくとも、窓の外に魔獣を見ることはあるだろう。倒した魔獣をどのように処理しているのかも、要塞に詰めている間はいくらでも耳に入ってくる。それに、昨年城壁の崩壊があった時の状況。あの時も、原因は妊娠したウルフォックだっただろう。しばらくは屋敷の方もその話題で持ちきりだった。ベティの耳にも入ったはずだ。それで、今回のやり方を思いついたのではないだろうか」
ケヴィンはかなり確信的に語った。
元々ベティのことを疑っていたに違いない。
ケヴィンの話を聞けば、ナタリーも確かにと思う。
実際に魔獣を見たことがあれば、ある程度檻のサイズや馬車での輸送が可能かどうか、予想が付くはずだ。
魔獣の死体の処理方法を知っていれば、どの時点で介入すれば、妊娠中の魔獣を手に入れる可能性があるか分かるかもしれない。
「それでは騎士の巡回パターンは? それは彼女も知りようがないですよね?」
「それが……ずっと偶然だと思っていたのだが、数月に一度、私が街の巡回に出る時があるだろう。その際、何度か非番の彼女と街で遭遇したことがある。その時はたまたま彼女の休みと被っただけなのだろうと思っていたのだが……今思えば、私の巡回日に合わせて休暇を取っていたのではないかと思う。ユリウスの話では、ベティはかなり前から休みの予定を入れることが多かったらしい。一見すると不規則な休みだが、照合すれば全て私が街に出る日だったと」
「つまり……巡回スケジュールを把握していた?」
「ああ。彼女は騎士たちとの交流も深かった。長い時間をかけて誰がどこに巡回に行ったという話を総合すれば、スケジュールを把握することができるはずだ」
騎士の巡回スケジュールは、簡単に予測されないよう複雑に組まれている。
ケヴィンが街に出る日を予測するために、他の騎士のスケジュールも把握する必要があったのだろう。
もちろんそれには時間と労力がかかるが、彼女にはそのどちらも、十分にかけられたという訳だ。
「そうですか……」
どっと。
どっと疲れを感じ、ナタリーはソファーの背もたれに体を預けた。
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