第38隻
ユリウスの口から飛び出した名前に、皆一様に驚いた。
つい先程まで、まさにサラのことを話していたのだ。
しかも、ミゲルと共にこの辺境伯領までやってくるとは。
ナタリーはちらりと、ミゲルの不倫を知って以来、二人が一緒にいるところを初めて見るな、と思った。
「なんだぁ? あの金髪坊や、最近は心を改めたかと思ったのにそうでもなかったのか?」
ナミルがそう揶揄するが、その顔は案外真剣だ。
何かただならぬ事態だと感じているのだろう。
「すぐに向かう。ナタリー、行こう」
「はい」
彼らが一体なんのために来たのか、何を口にするのか。
嫌な予感がして、ナタリーは聞きたくないとさえ思った。
ミゲルとサラが居る客間の扉を開け、中に入ると、二人は並んでソファーに座っていた。
ミゲルが立ち上がり、礼をする。
その横でサラはゆっくり立ち上がった。
どうにか立ち上がれた、というように、憔悴しきっている。
彼女が魔獣騒動に関わっていることは、状況から考えて間違い無いだろう。
罪の意識を感じているのかもしれない。
ナタリーは意外に思った。
「この辺境の地まで、どうされましたか。バース小子爵も、今日は鉄道事業の話という訳ではなさそうですね」
ケヴィンの声は固い。
件の事件の首謀者かもしれない人物が、わざわざ自ら赴いたのだ。
警戒するのも当然だった。
そんなケヴィンに、一瞬、ミゲルが怯む。
一度ケヴィンに思い切り放り投げられたことを思い出しのかもしれない。
しかしすぐにきゅっと口を結び、意を決したように、再度口を開いた。
「先触れも出さず、急に申し訳ありません。この度はお二人にお話ししたいことがあり、無礼を承知で参りました」
神妙な面持ちで、ミゲルが頭を下げる。
サラもそれに倣って頭を下げた。
二人の様子に、どうやらこちらに悪意があって来た訳ではないだろうことを、ケヴィンもナタリーも理解する。
警戒心をほんの少し解き、ケヴィンとナタリーはソファーに座った。
ミゲルとサラもそれに続く。
一瞬の間を開けて、ミゲルが再び口を開いた。
「先日、シャンクの街に魔獣が現れる大騒動がありましたよね。実は、私もあの時その場に居たんです」
「え!? でも、あの時教会に逃げて来た人の中に小子爵はいなかったわ」
「はい。私は街を出て、すぐにビット伯爵領に向かいました。あの騒動の前から、どうにもボラード小伯爵夫人の様子がおかしいと思っていたんです。それをお二人に伝えようとこちらに向かっていた所で魔獣に出会して……。以前、彼女と一緒に居た男を騒動の最中に目撃したので、事情を確認しに、彼女に会いに行きました」
状況を説明するミゲルを前に、ケヴィンとナタリーはこっそり顔を見合わせた。
ミゲルが見かけた男が三人のうち誰のことかは分からないが、少なからず、サラと関係があることは証明されたということだ。
「そして、彼女から事の顛末を聞いたのです。今日はその告白に来ました。ここからは、君から話してくれるか」
ミゲルは気遣わしげに、そっとサラに視線をやった。
愛だ恋だといった甘さはないものの、サラのことを心配している様子が手に取るように分かる。
一時の情を交わした仲だからなのだろうか。
いや、それとも違う気がする。
ナタリーは二人の関係を不思議な気持ちで眺めた。
「はい……。続きは、私の口から……。まず、謝罪をさせてください。アンカー伯爵様、ファンネル様、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
最後に会ったサラの様子とは打って変わって、静かで儚げな様子だ。
きっとこの謝罪の言葉は、本物だろうと思えた。
「ボラード伯爵家で居場所を失った私は、実家に帰ることも許されず、義父の言いなりになることを選びました。今回の魔獣騒動は、全て義父が計画したものです。何故こんなことをするのか、義父は私に語りませんでした。なので察するしかないのですが、お二人への逆恨みだと私は思います。自身が破滅した原因となるお二人の成功が、許せなかったのでしょう。近くで見て来た限り、義父はそういう人間です」
そこで、サラは言葉を一度区切った。
案外淡々と言葉を紡いでいる。
おもむろに、サラは横に置いてあった紙の袋を手に取った。
中から、いくつかの紙の束を取り出す。
「こ最北の要塞で魔獣の死体処理を行っていた作業員が受けとった指示書がここにあります。義父の名前はありませんが、義父はこだわりがあって特注のインクを使用しています。他の義父名義の資料と比べていただければ、同じインクだと分かるかもしれません」
そう言って、サラはその紙の束をケヴィンに手渡した。
ケヴィンは受け取ったそれをナタリーの前に差し出し、共に眺める。
紙には「魔獣の死骸の腹を調べろ。妊娠している個体を見つけ次第すぐに回収し、腹から生きた子供を取り上げるように」と書かれていた。
筆跡がボラード伯爵のものかは、ナタリーに判断は出来ない。
筆跡鑑定という手法もあるにはあると聞いているが、さしたる精度はないそうだ。
よく見れば、確かにインクの色が普通のものとは違い、若干光沢があるように思える。
これは大きな手掛かりだろう。
「これを何故あなたが?」
「作業員たちから魔獣を引き取る時にもらったのです。私への指示は全て口頭でしたから、一抹の不安を感じ、何か証拠が欲しいと思って。義父なら、平気で私に全てを押し付けるでしょうから」
ケヴィンの問いに、サラは滔々と語った。
ナタリーは、サラの慎重さと聡明さに驚いた。
かつての噂と最後に会った時の印象から、もっと軽薄な人間なのだと思っていた。
ナタリーは反省する。
人の一面だけを見て断ずることは、大きな誤りだ。
実際のところ、サラの予想は正しい。
ボラード伯爵はサラがビット伯爵領にいることを、広く公言しないまでも決して隠していなかった。
だからこそミゲルはすぐにビット伯爵領に向かったのだ。
ボラード伯爵は、全てをサラに押し付けるつもりで彼女を巻き込んだ。
サラのことを侮り、簡単に御せるだろうと思った故に、サラにやり返されたのだ。
人の性質を取り違えることが大きな失敗を生むということは、ままある。
伯爵自身の驕りが、自らの足を掬った訳だ。
「ありがとうございます。これはボラード伯爵を追い詰めるのに重要な証拠になる。でも……あなたも罰を避けられないでしょう。それでもこれを持って来たのは何故ですか?」
ナタリーはサラの瞳を見つめて尋ねる。
いくらボラード伯爵の指示だったとはいえ、どう考えてもサラが無罪になることはあり得ない。
それでも尚これを持ってきたということは、それも覚悟の上だということだ。
サラは一度きゅっと唇を結ぶと、息を吐き出すように口を開いた。
「後悔しているのです。確かに私は義父に命令されてこの事件に加担しました。ですが、嫌々やった訳じゃない。もしあなたが……あなたに何かあれば、バース小子爵が私の元に来てくれるのではないかと思ったのです。愚かなこと。彼が私のものだったことなど一度もないし、彼が私を選ぶはずがないのに」
これまで淡々と、事実を語るに徹していたサラが、初めて感情を滲ませた。
切ない。苦しい。悲しい。
そんな想いが溢れるような声だった。
「私の勝手な想いで、ただの悪あがきで、多くの人が傷つく所だった。魔獣には徹底して人を傷付けないように調教しました。それでも、人の命を奪ってしまう危険性は十分にあった。それに……魔獣には、あなたとアンカー伯様様だけは攻撃してもいいと教えたんです。私は、あなたたちを殺そうとした」
罪の意識に耐えかねるように、ついにサラはハラハラと涙を流した。
同情を誘おうと思っている訳ではないことは、誰にでも分かる。
必死にどうにか涙を止めようと、何度もハンカチで目元を擦っている。
「とても許されることではありません。あなたには何も非がない。ただの嫉妬なのです。ファンネル様、あなたには以前から不快な思いばかりをさせてしまいました。私は……昔から、バース小子爵のことを想って来ました。彼と触れ合えるなら、手段を選ばなかった。だからフィリップに契約結婚を持ち込んで、彼との仲を取り持ってもらったんです。悪いことだとは思っていました。でもどうしても自分が止められなかった。そもそも、私がバース小子爵と関係を持つことなどあってはいけなかった。全て間違っていたんです。申し訳ありませんでした」
そう言って、サラは深く、深くナタリーに頭を下げた。
全ての事の発端は、サラがフィリップを通じてミゲルに関係を迫ったこと。
それは間違いない。
それがなければ、その後の全ては起こり得なかっただろう。
彼女のしたことは、最初から最後まで、何一つ許されることはない。
けれど、その全てを彼女一人の責任と断じるには、あまりに色々なことがありすぎた。
「私からも謝罪をさせてください。彼女をここまで追い込んだのは、私が原因だ。彼女との関係を始めたのも、私が決めたこと。彼女の話を聞かず、手酷く拒絶をして追い詰めた。私が違う対応をしていれば、そもそも私が彼女とフィリップからの提案を受け入れていなければ、こんなことにはならなかった。申し訳ありませんでした」
ミゲルが真っ直ぐにこちらを向き、深く頭を下げる。
ナタリーはこれまで何度もミゲルに謝罪をされてきたが、それはミゲルがナタリーを裏切ったことに対するもの。
サラが起こした全てのことに、自分にも責任があると謝罪するのは、これが初めてだった。
「分かりました。謝罪は受け入れます。ですが、あなた方を許すことは出来ません。壊れた関係は戻らないし、アンカー辺境伯領の住民を傷付けた責任は重いわ。どうか、きちんと罪を償って」
ナタリーはしっかりと二人を見つめ、言い切った。
その声には、迷いなど一切感じられなかった。
そんなナタリーを、ケヴィンはじっと見つめる。
かつては愛していたはずの男。それを横から奪おうとした女。
二人はナタリーにとって複雑な思いの多い人物だろう。
けれど、そうした個人的な感情よりも、ケヴィンの婚約者として、アンカー辺境伯家の立場に立っているように思えた。
今ここで感じるには場違いな感情だと分かっている。
けれど、どうしてもケヴィンは嬉しいと思った。
「はい……」
サラはまたはらりと涙を流し、再度深く頭を下げた。
その横でミゲルも頭を下げる。
ああ、これで終わった。
この二人との因縁は、本当にもう、全て終わったのだと。
ナタリーはそう感じた。
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