第37隻
魔獣出没事件がひと段落し、シャンクの街は日常を取り戻していた。
けれど、人々に落とした影は拭えない。
初めて見た魔獣の姿に恐怖し、いまだにその恐怖から抜け出せずにいる。
稀に魔獣の毛皮や魔力を用いた魔道具があったとしても、そもそもが希少で目にする人は少なく、それらを見たことがある人でも生きた魔獣を見ることはない。
今回の事件は、この帝国の歴史に遺る大事件となった。
ナタリーたちは、シャンクの街から出ていく者も少なくないだろうと覚悟していた。
魔獣蠢く大地の近くに住まうということに、不安感を持つ者が大半だと考えたからだ。
が、思いの外、その数はごく僅かだった。
騒動の割に死者が出なかったこと、被害が最小限に留まったことがその理由だろう。
スラスター騎士団の力を目の当たりにしたのも大きい。いくらすぐに仕留められなかったとはいえ、彼らが魔獣に臆することなく向かっていったのは間違いなく、統率の取れた動きは信用に値した。
ケヴィンが魔獣を一刀に伏したところを目撃した住民もいる。彼らの口からケヴィンは英雄のように語られ、それも結果、住民の信頼を得ることに繋がった。
ナタリーたちはほっと胸を撫で下ろしたが、だからと言って楽観視は出来ない。
魔獣が現れる危険性があると広まれば、運河建設に大きな影響が出ることは必至だ。
キールからの情報を抜きにしても、あまりにも不自然な魔獣の登場に、人為的な事件であった事は間違いない。
アンカー辺境伯家とスラスター騎士団の威信をかけて、真相の究明が急がれている。
探るべきは、キールが持ってきた情報の裏付け、その動機と方法だ。
しかしその大いなる手がかりを、既にナタリーたちは手に入れていた。
なにせ、重要参考人を捕えることに成功しているのだから。
騒動の際、騎士たちは怪しい男たちを捕えていた。
あの騒動に逃げもせず、状況を観察していたらしい。
すぐに魔獣を止められなかった責任を感じ、自ら無給で取り調べにあたったナミルとユージーンは、厳しく男たちを尋問した。
最初は一切口を割ろうとしなかった彼らだが、サラの名前を出した途端、一人の男が狼狽し始めたという。
男は全部で三人。身なりの良い壮年の男と、粗末な服の男が二人だ。
狼狽し始めたのは、そのうち身なりの良い男。
それまで頑なに口を閉ざしながら、男は一転、スルスルと口を開いた。
男の話によれば、男たちにはみな借金があった。
どこから聞きつけたのかボラード伯爵から借金の補填と更なる報酬をちらつかされ、金に目が眩み、伯爵の言いなりになることを選んだのだという。
なんでも粗末な服の男二人は猟犬の調教師で、ボラード伯爵の指示により、赤子のウルフォックを調教して「人を襲わないように」「ただし、ケヴィンとナタリーだけは襲っても良い」と教えこんだらしい。
人的被害の少なさや、ナタリーを見て一直線にウルフォックが駆け寄っていった理由は、その調教のおかげだったのだ。
男はウルフォックの赤子を手に入れた方法も知っていた。
騎士団以外が最北の砦に入るのは初めてだったため、やはり隙が出来ていたようだ。
細心の注意を払ったつもりでいたが、甘かったとケヴィンは臍を噛んだ。
彼らは馬車に檻ごと魔獣を積み、長い時間をかけてシャンクの街にやってきた。
いくら若く小ぶりな個体とはいえ、檻の広さは十分とは言い難かっただろう。
その間ウルフォックは多大なストレスを受け、故にやっと外に出た瞬間、興奮状態になったというわけだ。
なるほどどうして、男の話は筋が通っていた。
調教師の二人も、男の話に同意した。
ただ一点、サラの関与を一切認めなかったことを除き、概ね供述の通りであろう。
それにしても、身なりの良い男は一体何者なのか。
これはナミルとユージーンが如何に問いただそうと、男は一切、口を割ることはなかった。
「彼らから聞き出せたのはこれくらいです。しかし、ボラード伯爵からの指示だという供述は大きいですね。何かしら証拠となるものがあれば良いのですが」
「もうよー、ボラード伯爵んちに乗り込んだら良いんじゃねーの? 家中探したらなんかしら出てくんだろ」
長時間の尋問に疲れたように伸びをしながらナミルが言った。
ケヴィンの執務室のソファーに座り、全体重を背もたれに預けている。
ナミルの隣には、先ほどまで詳細に報告をしていたユージーンが背筋を伸ばして座っている。
見た目の印象も相まって、どうにも対照的な二人だ。
彼らの向かいにはナタリーが。ケヴィンは自席のデスクに腰を預けた状態で、立ったまま腕組みをしている。
「それが出来たら良いのだけれどね。皇帝陛下と行政官庁を除いて、貴族の屋敷に勝手に入れる者はいないもの」
ナミルの言葉に苦笑いで返し、ナタリーはこくりと紅茶を一口飲む。
ちらりとケヴィンを見てみれば、何かをじっと考えるように俯いている。
「あの身なりのいい男……動きに妙な癖があったな」
ケヴィンは顎に手をやり、ぽつりと呟いた。
商売人として人間観察力は鍛えていると自負するナタリーも、似たような違和感を覚えていた。
「確かにそうですね。こう……妙に『きちんと』しているというか」
「それな。これは俺の予想なんだが、あいつ、貴族の使用人じゃねーか?」
ユージーンとナミルの言葉で、ナタリーは思わず膝を打った。
確かにあれは、きちんとした教育を受け、常日頃「きちんと」した動きをしている者の動きだ。
「……ビット伯爵家の使用人、でしょうか」
ナタリーは考えを確認するように口にする。
ケヴィンが同意するように頷いた。
そう考えるのが自然だ。
そうでなければ、サラを庇いだてする必要がない。
事実、彼はビット伯爵領の屋敷の執事だ。
幼い頃からサラのことを知っている人間の一人でもある。
領地の屋敷の使用人たちは、家族に見捨てられるように一人孤独に過ごすサラに同情し、皆我が子のようにサラのことを想っていた。
ボラード伯爵の命令を断るようなことがあれば、サラはどうなるか分からない。
使用人たちは、悪いことだと思いながらも、手を貸すほかなかったのだ。
だからこそ。
彼が口を割ることは、そうそうないだろう。
「あの男が頑なに口を割らないとすると、調教師たちから攻めていくしかないかしら」
「そうだな……。だが、貴族の犯罪で平民の男たちの証言だけでは分が悪い。特に、使用人でもない者の証言となると……」
ケヴィンの言うことは最もだ。
自身も平民であるナタリーも、嫌と言うほどよくわかっていた。
帝国一の富豪であるナタリーですら、血統を理由に理不尽な扱いを受けることはままある。
貴族の使用人ともなれば、よく教育されているし、そもそも優秀な者が多い。その発言は、ある程度信用され得る。
猟犬の調教師だって専門性が高く重要な仕事で、決して卑下される職業ではないとナタリー断言できる。
だが、貴族の中にはそう考えない者も多いことだろう。
「となると、ボラード小伯爵夫人の話を聞いた方が良さそうね」
「ああ。あの男がビット伯爵家の使用人だという前提で、調査してみよう。男の素性がはっきりすれば、彼女に話を聞きやすい」
「そうね。さすがに生家の使用人と義父が関わっていて、無関係とは言えないでしょう」
犯人はわかっているのに、それを裏付けるための手段が一筋縄ではいかない。
ナタリーは気が遠くなるような気分だった。
「それと……もう一つ気になっていることがある。魔獣が現れた時間と場所だ。これだけ用意周到に用意をしておいて、死人の一人も出なかったのは、ボラード伯爵にとっては些かお粗末な結果じゃないか」
「確かに、こちらの信用を落とすことが目的なら、もっと被害が大きい方がいいはずですものね。丁度騎士団の巡回とかち合うなんて。それに、魔獣を放つなら運河の建設現場の方が現実味があったはずだわ。わざわざ要塞から離れたシャンクの街に放ったら、人為的にやったことだと明白過ぎますから。事業の進捗を妨害するという点でも、そちらの方が効果的なはずです」
「ああ。私もそう思う。だが逆に、あえてシャンクの街に、騎士団の巡回と合わせて魔獣を放ったとも考えられるんじゃないか」
ナタリーはケヴィンとの会話を咀嚼する。
胸の中にもやもやとした不安が広がっていくのを感じた。
「おいおい、そうなると向こうさんはスラスター騎士団の巡回スケジュールとルートを知ってたってことか? 巡回パターンは結構複雑だぞ? 本当に一月とか張り込んでたんなら別だが、そう簡単に把握できるもんでもねーだろ」
「もしかして……巡回パターンを彼らに教えた者がいる、いや……巡回パターンを知る何者かが、あえてそれに合わせて魔獣を放つよう指示した、ということでしょうか」
ユージーンの一言に、しんと場が静まり変える。
皆の頭の中に同じことが浮かんだ。
それは「スラスター騎士団の中に内通者がいる」ということだ。
「現役の騎士とは限らない。この一年で、辞めた者も多いだろう」
ケヴィンは腕を組みじっと一点を見つめたまま、そう言った。
なるほど。この冬の戦いは熾烈を極め、命を落とした者さえいないが、残念ながら騎士団を辞めざるをえなかった者は複数居る。
それに……ベティに手を貸して、除籍された者も居た。
「ケヴィン様は、スラスター騎士団を辞めた誰かが情報を流したのだとお考えですか?」
「いや……今はなんとも言えない」
ナタリーの問いに答えを濁しながらも、ケヴィンには何か心当たりがあるようだった。
「……だが一つ」
何か言いづらそうに、ケヴィンが重い口を開いた瞬間、コンコンと、心持ち焦ったノックの音が響いた。
ケヴィンがその音に応えれば、ユリウスが姿を現す。
「お話中恐れ入ります。ケヴィン様とナタリー様に、お客様がいらっしゃっています」
「客? 一体誰だ」
「バース小子爵様と、ボラード小伯爵夫人です」
ナタリーは驚きに目を見開き、思わずケヴィンと顔を見合わせたのだった。
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