サラ2

 その日から、私は変わった。

 自分の体を卑下するのを止め、自分の容姿を磨くよう努力した。

 体型を美しく保つために運動をし、髪や肌を手入れした。

 幸運にも、ずっと引きこもっていたせいであまり日に当たっておらず、私の肌はかなり綺麗な方だったようだ。

 改めて見ても私の体型は大きく曲線を描いていて、一瞬目を逸らしたくなったけれど、体のラインが出るような服を着てみれば、なかなかどうして様になっている。

 隠そうとするからいやらしく見えたのだ。

 堂々としていれば、確かに私は美しかった。


 自分を着飾り、積極的にパーティーにも出るようになった。

 外見の影響力とは大きいもので、それまでは遠巻きに眺められるだけだったのが、男性からひっきりなしに声をかけられるようになった。

 いやらしい視線は相変わらずでも、ただじろじろ見られるより実際声をかけられた方がまだましだということが分かった。

「どうにかしてこの女を落とそう」という意志が男性から感じられると、彼らよりも自分の方が優位に立っているような、そんな気分になれた。

 女性たちに嫌われるは変わらなかったが、ミゲルの言うように、嫉妬を多分に含んでいるだろうことに気が付いたのだ。

 その頃の私は、別に男性と浮き名を流していた訳ではない。

 言うならば、ただたくさんの男性たちに言い寄られていただけだ。

 自分から男性に声を掛けたことだって、一度もなかった。

 それなのに女性から嫌われるのは、どう考えても嫉妬が原因だろうと思えた。

 そう思えば、私が私を卑下する必要は本当にないのだと思えるようになった。


 自分に自信がつくと、自ずと振る舞いは変わるものだ。

 私自身も、私を取り巻く環境も、驚くほどに変わった。

 けれど、一番変わったのは兄だ。

 兄はそれまで私のことなど居ないものとして扱っていたのに、「お前を紹介してくれとたくさんの友人に言われて困ってるよ」などと、得意げに話しかけてくるようになったのだ。

 自分の成果でもなんでもないというのに、何故兄が得意そうにするのか。

 それは、兄にとって私が、持っていても仕様のない石ころから、身に付けたい宝石に変わったということなのだろうと納得した。

 つまり、私を愛しているからではない。

 私が可愛い妹だということを思い出したからだとか、そういうことではないのだ。

 そんなことは分かっていたし、今更傷付くことはないけれど。


 多少なり話せるようになった兄に、ミゲルが何者なのか確認した。

 そして、私は絶望することになった。

 あのファンネル商会の一人娘と婚約している、子爵子息。

 それがミゲルのことなのだと聞いた。

 引きこもっていた私でも、ファンネル商会のことは知っている。

 二人が相思相愛だということも、知っている。

 兄もいつだったか言っていたことがある。

『もしもあの平民女と結婚できれば、生涯遊んで暮らせるのに』と。

 聞けば、ミゲルの家も経済的に困窮していたところ、ファンネル嬢との婚約でどうにか家を建て直したらしい。

 ならばただの政略結婚だろうと思われるのに、二人は驚くほど仲がいいという噂だった。


 ああ。

 やはり。

 あんなに素敵な男性なのだから、婚約者の一人や二人居たっておかしくない。

 あんなに素敵な男性なのだから、きっと婚約者のことも大事にしているのだろう。


 結局あの時の好意も、単なる優しさでしかなかった。

 最初から、私とどうにかなるような相手ではなかったのだ。

 頭ではそう理解しながら、それでも感情は収まらない。

 ミゲルの婚約者は富豪と言っても平民だ。

 どうにか婚約解消をしてもらって私と婚約が結ぶことはできないか、一度お父様に相談したことがある。

 けれど、頭ごなしに否定されて怒鳴られてしまった。

 相手に婚約者が居るからではなく、ミゲルが子爵家の出だからだ。

 お父様の身分主義は相当だ。

 これはどうやっても、正攻法でミゲルに近付くことは不可能だと思い知った。


 私が外見をよく見せようと頑張ったのは、ミゲルの為でもあったのに。

 美しくなった私を見せたいと、あなたのおかげで変われたのだと伝えたいと、そう思ったからなのに。

 私は絶望し、そして自暴自棄になった。


 いつだったか、読んだ本の中で「失恋は新しい恋で癒す」と書いてあった。

 もし誰かと恋をすれば、この傷付いた心も癒えるだろうか。


 そう考えた私は、言い寄ってきた男性たちと、何度かデートを重ねた。

 誓ってそれ以上のことはしていない。

 噂が一人歩きし、私をふしだらな女だと言う人がいるのは知っていた。

 けれど私は事実そんなことはしていないのだから、誰が何を言おうと構わないと思っていた。

 何人の男性とデートを重ねても、私の心はいつまでもミゲルから離れられないでいた。



 そんな時だ。

 フィリップからデートに誘われたのは。


 フィリップは正真正銘の女好きだ。

 噂になっている私がどんなものなのか、気になったのだろう。

 正直フィリップのことは好きではなかったが、あのミゲルの友人であることは分かっていたから、あわよくばミゲルとお近付きになれないかと誘いに乗ることにした。

 その時既に、ミゲルとの出会いから数年が経っていた。

 その間、パーティーで何度かミゲルを見かけることはあったけれど、彼の隣には常にファンネル嬢が居た。

 側から見る二人は仲睦まじく、とても近付く勇気は私にはなかった。

 だからせめて、フィリップから最近の彼の様子が分からないか、あわよくばもう一度会うことは出来ないかと思ったのだ。


 フィリップとの会話の中で、さりげなくミゲルのことを聞いた。

 そして私は、自分の認識が誤っていることを知ったのだ。


『彼もね、婚約者には辟易としているらしいよ。なんだかんだ言っても金の為の結婚だからね。しかもファンネル商会の商会長が少し前に亡くなっただろう。そのおかげで結婚が延期されて、相当不満が溜まっているようだよ』


 フィリップの言葉は、私を驚愕させるには余りあるほど衝撃的だった。

 仲睦まじそうに見えたのに、彼らは金の関係でしかなかったのか。


 そう考えれば、むくむくと欲が芽生えてきた。

 金の為の致し方ない関係ならば、私にもまだ希望はあるのではないか。

 ミゲルの金銭面での問題や、お父様の身分至上主義のせいで結婚はどうにもならないとしても、せめて愛人にはなれるのではないか。

 そう思った。

 貴族にとって結婚は、自分の地位や財産を守り高めるための手段でしかない。

 本当に愛する人とは、結婚ではなく愛人関係を結ぶのが、一般的とさえ言える。


 私は悩んで、決心した。

 一世一代の決心だった。

 自分の意識を変え外見を整えようと決意した時以上に、大きな決心だったと思う。

 フィリップに、契約結婚を持ちかけたのだ。


 一生女と遊んでいたいフィリップは、さして迷わずにその条件を飲んだ。

 フィリップの父であるボラード伯爵が肯首するか不安だったが、案外とさっくり了承され驚いたのを覚えている。

 今にして思えば、ビット伯爵家は歴史はきちんとある上に力がないから、きっと自分が優位に立てるだろうとの思惑があったのだろうと思う。

 実際、その通りだった。


 そうして粛々と婚約を整えて、ついに、夢にまで見たミゲルとの再会が叶った。


『なんだフィリップ。こんなに美しい婚約者が居るなんて、羨ましいな』


 再び会った時、ミゲルは弾けるような笑顔でそう言った。

 最初はただフィリップの婚約者として紹介し、数回会ってから関係を持ちかけるつもりでいたから、ただフィリップへのお世辞の言葉だったのだろう。

 けれど、私は内心舞い上がりそうなほど嬉しかった。


 数年振りに近くで見たミゲルは記憶以上に男らしく、素敵な男性になっていた。

 ただ残念だったのは、私のことを覚えていないようだったことだ。

 あの時は今よりもずっと見窄らしかったし、名前や家名も名乗らなかったから致し方ないと自分に言い聞かせても、それでもやはり落胆せずにはいられなかった。


 けれど、フィリップを介してミゲルと会った、2回目の時。

 彼はピオニーの花束を持ってきた。


「サラ嬢に似ていると思って持ってきたんだ。渡しても構わないかい?」


 少し照れくさそうにフィリップに告げたミゲルに、私は打ち震えるほど感動してしまった。

 ミゲルが私のために花束を持ってきたということもそうだが、それがピオニーだったから。


『君はピオニーみたいな子だね。ピオニーの蕾は固く閉じていて、そのまま咲かないことも多いんだ。その固く閉じた蕾から想像も付かないほど、大きく華やかな花が咲く。かつての君はピオニーの蕾のように固く閉じていたけれど、今はまさに美しい大輪の花だよ』


 かつてデートをした侯爵子息が、そう言っていた。

 彼は単純に遊び相手として私を口説いていたに過ぎないけれど、その言葉は嬉しかったのを覚えている。

 彼は昔の私のことを覚えていたから、そう言ったのだ。


 だから、ミゲルも。

「私に似ている」というのは、つまり侯爵子息が話したのと同様に、ミゲルも私のことを覚えてくれていたのではないかと。

 その上で、美しくなったと褒めてくれたのではないかと、そう思ってしまった。

 私は本当に嬉しくて嬉しくて、思わず涙ぐんでしまった。


 実際は、そんな話ではなかった。

 ミゲルはあまり花に詳しくないようで、薔薇とそれ以外、という認識だったらしい。

 薔薇は愛情を伝える花。婚約者であるファンネル嬢にしか渡さない花。

 私に渡す花はそれ以外ならなんでもよく、たまたま目についたピオニーの華やかさが私に似ていると思っただけらしかった。


 私が勝手に深読みしただけ。

 ミゲルは何も言っていなかった。

 そもそも誰もがピオニーに同じ印象を持っている訳がないのに。

 だから、それを残念に思うのはお門違いだ。

 それでも、真実を知った時のあの落胆は忘れられない。


 ピオニーをもらった私は舞い上がり、嬉々としてフィリップにミゲルとの愛人関係の打診を早くするようにと伝えたものだ。

 最初は幸せだった。

 ミゲルを振り向かせる自信もあったし、婚約者と上手くいっていないのなら、いつか私を受け入れてもらえるだろうと思った。


 けれど、時が経てば経つほど思い知った。

 ミゲルが愛しているのはファンネル嬢。

 私とは単なる遊びに過ぎないのだと。


 そこからは、この関係がいつか終わってしまうのかと不安で仕方がない日々だった。

 そして、その時はやってくる。

 私たちの関係がファンネル嬢にバレてしまったのだ。

 ミゲルの態度は大きく変わった。

 私を突き放すようになり、酷く傷付く言葉も言われた。

 ファンネル嬢がミゲルから離れればと気が急いて、彼女の元を訪ねてしまったのは失態だった。

 結果、よりミゲルを遠ざけることになってしまった。


 そこからは、地獄だ。

 私の地獄が始まった。

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