サラ1

 その日、私は運命を感じた。

 絶対、この人しかいないって。



 あれはまだ、私が少女と呼ばれる頃のこと。


 その頃には既に私の体は豊満な女のそれへと移り変わっていて、けれど心はまだ少女のままだった。

 体の発達速度に心がついていかず、戸惑ってばかりだったのを思い出す。

 男性からはいやらしい視線を向けられ、女性からは冷ややかな視線を向けられた。

 もっと幼い頃は、女友達も多かった。

 けれど体が成長していくと共に、徐々にその数は少なくなっていった。

「彼があなたばかり見ている」「『お前もサラのような体だったら』と彼に言われた」

 彼女たちの婚約者がどんな言動をしようと、私には何も責任がないはずだ。

 なのに、みんなそうやって私を責めた。

 私の体が普通と違うから、私の体が男を惑わすのだと。


 それからどんどんと自分の体が嫌になっていった。

 胸やお尻がこれ以上大きくならないように無理やりきつい下着で締め付けたり、食事を抜いたりもした。

 けれど私の成長は止まらずに、私が最も忌避する姿へと成り果ててしまった。


 その頃は毎日が地獄だった。

 自分の姿を見るのが嫌で、自分の部屋から鏡を全てどかしてしまった。

 かつての女友達たちは私のことなど忘れ、おしゃれを楽しみながら恋の話に花を咲かせていた。

 そんな彼女たちが羨ましかった。

 同時に、憎かった。

 なんで私は彼女たちと同じじゃないのだろう。普通じゃないのだろう。

 そんなことばかり考えて、家に引き篭もる日々だった。

 幸運なことに、お父様のこだわりで私にはまだ婚約者がいなかったから、それでも許された。

 けれど、貴族である以上、必ず参加しなければならない行事というのはある。

 その日も、私はお父様に引きずられるようにして、久しぶりにパーティーに出かけた。


 ボラード伯爵のガーデンパーティーで、大人たちとは別に子供たちだけ集められ、お菓子や紅茶を楽しむという趣向の会だった。

 子供たちといっても、まだ一桁の年齢の子からもうすぐ成人という年齢の人まで様々で、要は「大人以外」が無理やり集められたようなものだった。

 そうなれば当然、近しい年齢の者で集まるのが自然の流れである。

 あっという間に、幾つかの塊に分かれてしまった。

 私はかつての女友達やいやらしい視線を向ける男の子たちと顔を合わせるのが嫌で、静かに庭の隅っこで体を小さくしていた。

 本当はそんなパーティー、行きたくもなかったのだ。

 けれど、次の大臣候補と目されていたボラード伯爵のパーティーだったから、お父様は休むことを許してはくれなかった。

 あわよくば、自身の娘がボラード伯爵子息であるフィリップの目に留まらないかと目論んでいたことも知っていた。

 実に無謀な目論みだ。

 その頃の私は、絶対にフィリップのような男に近づくことはなかったから。


 私には3つ上の兄がいる。

 と言っても、その頃はほぼ没交渉だった。

 現にそのパーティーの時も、さっさと私を放って兄は友人たちの輪に混ざりに行ってしまった。

 引きこもって人と交流しようとしない私のことを恥ずかしいと思っていたのか、私たちの間に一切会話はない。

 唯一顔を合わせる晩餐の席で、兄が一生懸命お父様にアカデミーのことを話している内容を黙って聞いているだけだ。

 その話の中に、フィリップが出てきたことがあった。

 彼は女の子たちにとても人気で、アカデミーに入学したばかりだというのに、既に何人もの女子生徒と噂になっていたらしい。

「女に学問など不要」というお父様の方針で、私はアカデミーに入る予定はなかったけれど、その話を聞いただけで、私の中のフィリップは要注意人物になっていた。


 確かに見た目はいい方だと思うし、物腰も柔らかく優しいと評判なようだ。

 けれど彼の女の子を見る目が、まるで愛玩動物か玩具でも眺めているかのようで、正直好きではなかった。

 だから出来るだけ体型のわからないようなドレスを着て、間違っても注目されないよう、隅の方でとにかく時間が過ぎ去るのをじっと待っていた。


「あっ!」


 後ろの方で、声が聞こえた。

 と同時に、ばしゃりと冷たい何かが頭にかかるのを感じた。

 びっくりして振り返ってみれば、先ほどまでフィリップと話していたミゲルが、グラスを持って立っていた。


「申し訳ない! うっかり躓いてしまって……! ああ大変だ、すぐに着替えないと!」


 そう言われ自分のドレスを見てみれば、肩から胸元にかけて、赤いぶどうジュースの染みでまだら模様になっている。

 髪に触れてみると、ぐっしょりと濡れている感触がした。

 触った右手の白いグローブの指先が、赤く染まっている。


「あ……いえ、大丈夫です」

「大丈夫な訳はないだろう! ちょっとフィリップ……ボラード伯爵子息に部屋を用意してもらうから待っていて」


 そう言うや否や、ミゲルはフィリップの元に走っていった。


 正直、余計なことをしないでほしいと思った。

 これでせっかく帰る理由が立ったというのに、着替えなんてしたくない。

 それに変なドレスに着替えてしまったら、この忌々しい体型が顕になってしまうかもしれない。

 それが何よりも恐怖だった。


 ミゲルが戻ってくる前に席を立とうと思ったものの、彼は予想以上に早く戻ってきた。


「さあ! こっちへ!」


 そしてミゲルに連れられて、あれよあれよという間に客間の一室に押し込められてしまった。

 もちろん、ミゲルと二人きりなんてことはなかった。

 部屋の入り口まで誘導すると、すぐにメイドと交代してミゲルは部屋を出ていった。


 用意されたドレスは、流行に疎かった私でも分かるくらい最新のもので、決してボラード伯爵夫人のものなどではなかった。

 大方、フィリップがどこぞの令嬢のご機嫌取りの為に用意していたものか何かだったのだろう。

 当時流行っていたスタイルで、上半身がぴたりと体のラインに沿い、腰の辺りからふんわりと裾が後ろに長くなっているものだった。

 下半身はともかくとして、上半身の形が嫌で嫌でたまらなかった。

 けれど純粋な謝罪の意味で用意してくれたものを無碍にするのは、貴族令嬢としての最低限のモラルが許さなかった。

 渋々、最早恐怖を抱きながら、私はそのドレスに袖を通した。

 髪にもジュースがかかってしまったが為に、メイドが濡れたタオルで髪を清めてくれる。

 顔も清められ、結局一から全てメイドたちに着替えさせられてしまった。

 化粧まで施され、メイドたちに半ば強引に鏡の前に座らせられた。

 内心、なんでこんなことにと嘆きの声を上げながら、久々に自身の姿を映した鏡を見た。


 そこには、驚いた顔でこちらを見つめている、驚くほど美しい女が居た。


 コンコン、とノックの音がした。

 その音に返事をすれば、申し訳なさそうに眉を下げたミゲルが顔を出した。


「どうだろう? フィリップからドレスを買い取ることにしたのだけれど、サイズは合っているだろ……うわあ!」


 視線を上げ、私にその目が向けられた瞬間、ミゲルは驚きの声をあげて固まった。


「びっくりした! こんなに綺麗な女性だったとは!」


 目を丸くして驚くミゲルは、本人も「思わず」というように私の姿を凝視した。

 私はもう居た堪れなくて、腕で体を隠すように抱きしめた。

 そこで、不躾に眺めすぎたと思ったのか、ミゲルは慌てて視線を逸らして顔を赤くした。


「重ね重ね申し訳ない……。 あまりに似合っていたものだから」

「そんなことある訳ないです……。変ですよね、私の体」

「変?」

「変です。他の女の子たちみたいに可愛らしくなくて……胸やお尻ばかり大きいし……あっ」


 うっかり男性にいかがわしい言葉を口にしてしまったことに気付き、自分を恥じた。

 引きこもってばかりいて、当時の私は人とあまり話す機会がなかったから、適度な距離感と話題が分からなくなっていたのだ。


 この時、私はミゲルのことを誰なのか分かっていなかった。

 フィリップと話していたから彼の友人なのだろうとは思ったが、これまで出席してきた数少ないパーティーでは見かけたことがなかったのだ。

 今にして思えば、お父様は伯爵家以上の貴族と全く交流を持とうとしないから、子爵子息であるミゲルとも会ったことがなかったのだろう。

 とにかく、この時の私はミゲルと初対面であるにもかかわらず、何故かぽろりと、自身の悩みを明け透けな言葉で伝えてしまったのだ。

 急に羞恥心が全身を駆け巡り、このまま慚死ざんしするかと思った。


「誰かにそう言われたの? 変だって」

「いえ……。でも、私の体は男性を誘惑するのだと」

「ああ、つまり嫉妬か。それを言ったのは女性だよね。あなたが綺麗だから、意地悪を言ったんだ」


 からからと笑いながら、ミゲルはさっぱりと言った。


「嫉妬……ですか?」

「そうだよ。人はそれぞれ、生まれ持った手札があるんだ。それは血筋だったり、能力だったり、色々だけれど、君のその女性的な美しさは君の手札さ。他の人が持っていない手札。持っていないから、他の人は君に嫉妬するのさ」


 まるで何か台詞でもそらじているかのように、ミゲルは言った。

 これはミゲルの婚約者であるナタリー・ファンネルの言葉なのだと、後から知った。

 まさしくナタリー・ファンネルの言葉を誦じてみせたのだろう。

 けれど、私のこの体を肯定してくれる、初めての言葉だった。


 思えば、最初からミゲルは私のことをいやらしい目で見たりはしなかった。

 純粋に、自分の不手際で迷惑をかけてしまったと謝罪し、新しいドレスに着替えた後も、そういった類の視線は一度も私に向けなかった。

 年齢に関係なく男性は皆いやらしい目を向けるか、値踏みするような視線を私に向けてきた。

 けれどミゲルは違う。

 私を、私として見てくれた。


「僕なら、その手札は存分にひけらかすな。言いたい奴には言わせておけばいい。君がその手札を嫌って一向に場に出さないのは、ひどく勿体無いよ」


 今でもその時のミゲルの表情が忘れられない。

 何も裏もない、爽やかな笑顔。


「安心して。君は美しいよ」


 私は初めて、恋に落ちる音を聞いた。



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