ミゲル4ー1

 時は少し遡る。

 ケヴィンから正式に鉄道敷設の許可を得たミゲルは、忙しい日々を過ごしていた。

 当然婚約していた頃に比べればナタリーと会う回数は減ったが、それでも一時期の塵芥ごみを見るような目で見られることはなくなった。

 もちろん仕事の付き合いとして関係を結んでいるに過ぎないのは、ミゲルとてきちんと理解している。

 けれど、一歩前進だ。

 ナタリーは徐々に気安い雰囲気に戻っていき、恋愛感情こそ感じないものの、一定の親しさを感じているように思えた。


(大丈夫だ。良い方向に向かってる。このまま徐々に信用を取り戻そう)


 ミゲルは内心握り拳を作った。

 退廃的な感情は過ぎ去り、今は前を向いている。

 瞳にも輝きが戻っていた。


(それにしても、あのケヴィンという男はどこまでも気味が悪い)


 少し前まで、ケヴィンが何かしらナタリーを脅したのではないかと考えていたが、今ではそうではないだろうことは想像が付く。

 大方、自身との婚約を破棄した後も数多の男に言い寄られないようナタリー自身が策を練ったに違いないと、事実その通りであることをミゲルは想像していた。

 確かに噂に聞くような野蛮で危ない印象は受けないが、やはり全身黒ずくめであるということと、あの顔のマスクがどうにも異様さを漂わせている。

 あのマスクの下にある恐ろしい傷跡を、ナタリーは既に見たのだろうか。

 シャンクの祭りを回る二人を見た時には、まるで恋人同士のように見えたのは間違いない。

 だが冷静に考えれば、そう断じるのは早計だ。

 ナタリーのことだ。傷跡の有無で人を判断するようなことはないだろうが、それでも年頃の娘には違いない。

 恋愛感情を抱くまでには至らないのではないか。

 そんなことをミゲルは考えていた。


 まだきっと、自分にも可能性はある。

 その思いがミゲルを突き動かしていた。


 自分でも何故そこまでナタリーに固執するのか、いっそ分からなくなっていた。

 かつて父であるバース子爵からは、「お前のそれはもう愛じゃない。ただの執着だ」とそう言われた。

 ミゲル自身、そうかもしれないとも思っている。

 けれどこの胸の中に燻る熱が、切なさが、痛みが。

 愛でないならば、一体何なのかと。

 愛でないならば、理屈が立たないと。

 だからこれはやはり、愛に違いないのだと、そう思っていた。



 ミゲルの状況は決して芳しくはなかった。

 急な鉄道事業の拡張は、いくら皇帝からの出資があろうとも楽な訳ではない。

 領地の経営は代理人に任せているから良いとして、いよいよ終わりが見えてきた炭鉱の始末も考えなければならない。

 バース子爵の体調もいまだ改善せず、子爵夫人は塞ぎ込んでいる。

 頭の痛いことばかりだ。

 だがそれも、自身の招いたこと。

 ナタリーのことを諦めることは出来なくとも、自身の責任と罪を自覚し、悔い改めることは出来る。

 ミゲルはナタリーとの関係に希望を見出しながら、必死に働く日々だった。




 そんな折だった。

 サラから連絡が来たのは。


「久しぶりね」

「ああ。その……そっちはどうだい?」


 人気のない路地裏のカフェ。

 ミゲルは周囲の視線を気にしながら、そう尋ねた。


 サラとは最後に馬車の中で会ってから、顔を合わせるどころか一切の連絡を取っていなかった。

 フィリップとも会っていないが、彼とは何通かの手紙を交わしていた。

 手紙には短い謝罪の言葉が記され、しかしそれ以上にフィリップが憔悴しているだろう様子が窺われることが気になっている。

 大臣を務めていたボラード伯爵が更迭されたことで、フィリップもかなり大変なのだろう。

 フィリップ自身も出仕している身の上である。職場での肩身も狭いだろうことは予想出来る。

 ミゲルと二人との関係は、すっかり変わっていた。


 本当は、サラとの関係は一切絶ってしまいたかった。

 しかし狂気的な熱病から覚めてみれば、サラに対する罪悪感のようなものが頭をもたげ始めたのだ。

 最後に会った日のサラの表情が脳裏にちらつく。

 客観的に見て、自分は碌でもない屑に違いない。

 もちろんサラの方から始まった関係には違いないが、それでも一時は情を交わした仲などいうのに、ここまで非情に切り捨てるほどの権利が自分にはあるのか。

 ミゲルはそんな思いを持つようになった。

 そんな罪悪感が、今回のサラからの呼び出しに、渋々ながらも足を向かわせた。

 あれほど辛辣な言葉で切り捨てたというのに、今更何をミゲルに伝えることがあるというのだろう。

 もしやこれまでの恨み辛みをぶつける為に呼び出したのかもしれない。

 けれどそれならばそれで、一度受け止める必要があるだろうと、覚悟してもいた。



「ふふふ。心配してくれるの?」


 伯爵夫人にしては些か赤すぎる唇を持ち上げて、サラが妖艶に微笑む。

 ミゲルは何だか、自分が蟷螂かまきりの雄にでもなったような心許なさを感じた。

 咄嗟に頭を振る。ともすれば、サラの雰囲気に飲まれてしまいそうだった。


「茶化すなよ」

「冗談よ。これくらい良いじゃない」


 目の前のサラをじっと見つめる。

 少し痩せただろうか。それでも自慢の体型は健在であるが、どことなく纏う雰囲気が変わっていた。

 影があるというか、これまでの性的な魔性さとはまた異なる、危険な香りとでも言うべきか。

 ミゲルが今更その雰囲気に魅了されることはないが、今の彼女に堪らなく惹かれる男も少なくはないだろう。


「それで、何か話が?」

「残念。早速本題に入るなんて無粋な真似、前はしなかったのに」

「やめてくれ」

「あら、怒られちゃった」


 サラがくつくつと笑う。

 この余裕は一体何だろうと、ミゲルは不信感を募らせていく。

 最後に会ったあの時の様子とは、似ても似つかないではないか。

 既にミゲルへの興味を失ったからだと片付けるには、瞳にいまだ熱を感じる。

 ミゲルはサラからの好意をしっかりと認識していた。

 正直何がきっかけでサラから好意を向けられたのか、ミゲルにも分からない。

 一度何故自分なのかと情事の後の気だるさで聞いたこともあるが、軽く流されてしまった記憶がある。

 けれど、サラがミゲルを愛しているのには間違いなかった。

 少なからずミゲルはそう認識していた。

 だからこそ、前回はまるで縋るようなそぶりをしていたはずだが、ミゲルには今のこの態度の理由がさっぱり分からなかった。


 思い返してみれば、サラと出会った当初はこうだったかもしれない。

 関係が深くなるにつれ、徐々に余裕が失われていったような気がする。

 ミゲルはそう思い返した。


「それがね、話があった訳じゃないの」


 どこか楽しそうに、声を弾ませてサラが言う。

 何がおかしいのか、またくつくつと笑った。


「何?」

「ただあなたの顔が見たかったの。それだけよ」


 まるで誘惑でもするように、サラは挑発的な視線でミゲルを見つめた。


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