第33隻
「ありがとう。訪問を受け入れてくれて」
「……アンカー辺境伯領の今後に関わる話と言われれば、聞かざるを得ないわ」
アンカー辺境伯家の応接間。
ナタリーとミゲルは、互いに向き合って座っている。
4人掛けのソファーに礼儀正しく座るミゲルの姿は、ナタリーのよく知るものだった。
最後に見た時のミゲルは正直正気とは思えない様相だった。だが今ナタリーの目の前に居るミゲルは、ナタリーの記憶にあるミゲルそのもの。
綺麗に髪を整え、服装もきっちりとしている。やつれていた頬も元通りになっていた。
何より、視線や声が、これまでナタリーが見てきたミゲルだった。あの狂気じみた様子はどこにもない。
ナタリーはホッとした。
時間が経ったことで、ミゲルも落ち着いたのだろう。
そうナタリーは解釈した。
今回、ナタリーがミゲルの訪問を受け入れたのは、鉄道事業のことで「アンカー辺境伯家に」提案があると持ちかけられたからだ。
本来なら当然ケヴィンが聞くべき内容であるが、今は魔獣の活動が最も活発な時期。
流石に危険を伴うため補修工事は一旦中止しているが、工事はまだまだ途中だ。
既に補修が終了した所を再度壊される訳には行かない。
例年とは違い、城壁の前面に出て戦わざるを得ない騎士たちは、常に緊張感の中にいる。
だというのに、副団長であるナミルはナタリーに張り付いている。ベティのこともあり、ナタリーから離れるなとケヴィンが厳命したのだ。
とてもではないが、ケヴィンは屋敷に戻ってくることが出来ないでいた。
そのため、ケヴィンの代理としてナタリーが話を聞くことになった。
当然、ユリウスも同席している。
ナミルも部屋の隅に控え、以前のミゲルのように乱暴を働かないか注視しているが、今のところミゲルにそんな様子は見られない。
ナタリーはじっとミゲルを見つめた。
完全に落ち着いているとまではいかないが、元婚約者ではなく大事な商談相手を前にしているような顔だ。
ナタリーは、ほんの少しミゲルを見直していた。
「それで、提案というのは?」
「ああ。聞いたよ。運河建設計画のこと。君のことだから、ただ運河を通して通航させるだけのつもりはないんだろう?」
ミゲルはあえて質問にこたえず、質問で返した。
二人の間でよくあったことだ。
自分の提案に、自信があることの表れである。
ナタリーはくすりと笑い、受けて立つような勝気な表情を作った。
「そうね。それだけではあまりに勿体無いわ。いずれこのアンカー辺境伯領は、この帝国でも一二を争う発展した地域になるはずよ」
船を停泊させるための岸壁、船員の休泊所は絶対に必要だ。
船への補給物資を販売することも出来るだろうし、輸出入品の積み下ろし自体を運河で行うことも想定している。
運河はただ通るためにあるだけではない。
そのものが物流拠点であり、巨大な経済装置だ。
ナタリーが考えずとも、いずれ自然発生的にそういったものは集まってくることだろう。
だが最初から整備をしてしまえば、後々集まってきたものに対しても手綱を握れるというものだ。
「だろうね」
まるでナタリーの頭の中を見透かしたように、ミゲルは小さく笑った。
そして商談相手に自身の余裕を見せ付ける時同様、足を組み、膝の上で手を握り合わせる。
「君のその構想の中に、鉄道があればより良いと思わないかい」
ミゲルはそう言うと、ナタリーの前にがさりと分厚い書類を置いた。
「これは?」
「企画書だよ。南部の港とレセップス地峡を鉄道で結ぶ計画の」
「南部の港から!? そんなの、この帝国を縦断するということじゃない!」
この帝国の物流拠点は南部の港に集中している。
東部や西部の港ももちろん存在するが、地形的な不利からそこまで大きなものではないのだ。
ナタリーが把握している限り、元々の鉄道計画は南部の港町と皇都を結ぶ計画だ。
つまり、アンカー辺境伯領と皇都を鉄道で結ぶということか。
「ああそうだよ。この計画は、陛下からも賛同してもらっている」
ナタリーはさらに驚いた。
既に皇帝に事業説明を行なっているとは。
法務大臣であるドルフィン侯爵の確認も通ったということは、決して非現実的な計画ではなかったということだ。
「それは……あなたの案なのよね?」
「ああ。そうだよ。父は……今動ける状況じゃないからね」
ミゲルの言葉に、ナタリーは数か月前キールから受け取った報告を思い出した。
ミゲルの父であるバース子爵は、ミゲルが牢に一晩収容されてすぐ、心労が祟ったのか体調を崩し伏せってしまったのだ。
代わりに業務を行うべきミゲルはそれどころではなく、あわやバース子爵家は存続の危機とまでなっていた。
ところが、何があったのか3か月前、急にミゲルが様々な業務を担い始めたという。
止むに止まれず始めたのかと思っていたが、今のミゲルを見れば、その頃から正気に戻ったのかもしれない。
ナタリーはパラパラと企画書をめくる。
ざっと読む限り、よく練られた企画書だ。
かなり詳細に計画が立てられている。
「これを……あなたが?」
「ははは。驚くよね。これでも父が倒れて苦労したんだよ」
そうこぼしながら、ミゲルはどこか痛みを堪えるように目をすがめた。
確かに、これをミゲルが書いたのだとすれば、相当な苦労をして成長したのだろうことが窺える。
少なからず、ナタリーと婚約をしていた時分のミゲルには、ここまでのものは作れないだろう。
「詳細はそれを読んでほしいけれど、僕はこの山脈に穴を開けるつもりだよ」
鉄道を運河まで通すなら、最大の鬼門は他領とアンカー辺境伯領を隔絶させている原因の山脈だ。
この山脈に穴でも開けない限り、鉄道の敷設は不可能だろう。
「トンネルを掘るということ? でも……そんな資金どこから……」
ナタリーは企画書をめくる。
当然ながら、ただ線路を敷くだけでなくトンネルを掘るとなれば、莫大な資金が必要となる。
しかしそれが実現できるほど、バース子爵家に金があるとは思えない。
となると、もしや。
「もしかして……その資金をこちらに出せということ?」
確かに鉄道の敷設はアンカー辺境伯領の為になる。
皇都までの効率的な貨物の移送手段を手に入れることで、より領地は活気付くだろう。
だが、いくら何でもそれは、理想論が過ぎるというものだ。
「違うよ。資金はこちらで用意する」
「資金を、そちらで?」
「もちろん、バース子爵家で全て出す訳じゃないよ。そちらの運河事業がもっと具体的に見えてきたら、出資者も募るつもりだ」
「そうは言っても、簡単に集まるかしら……」
「それは大丈夫さ。なにせ陛下も出資なさることになっているから」
そこまで言って、ミゲルはナタリーの瞳を真っ直ぐに見た。
ちらりと、その瞳に熱がこもる。
けれどナタリーは気付かなかった。
皇帝がこの鉄道計画にも一枚噛むつもりらしいという話に驚いたからだ。
ミゲルの話ぶりだと、国としてではなく皇帝個人として出資するつもりなのだろう。ドルフィン侯爵が事業計画を通した所を見ると、皇帝の耳には事前に話を入れ、出資の意向を聞いていたのだろう。
ただ出資者を募るだけであれば、本当にその資金が集まるか不安があるが、皇帝が出資するとなったら話は別だ。
それだけ旨味が感じられる事業なのかと出資する者や、皇帝との顔繋ぎに出資する者もいるはずだ。
強力なカードを手に入れたものだと、ナタリーは感心した。
「もしかして、陛下を焚き付けたの?」
「そうだよ。バレたか」
軽口で返し、ミゲルは悪戯が発覚した子供のように笑った。
そんな二人の様子は、いつの間にか昔の二人のような気安い雰囲気に戻っていた。
「アンカー辺境伯家には、鉄道の敷設の許可と土地の借用、地域住民への説得に協力してもらいたいんだ。それに、アンカー辺境伯家にはすごいものがあるんだろう? モルドラ、と言ったっけ」
ミゲルはアンカー辺境伯家で魔獣の調教を行っていることを知っているらしい。
以前、ナタリーが魔獣の活用についていくつかの事業者に問い合わせたから、その事業者伝に聞いたのだろう。
「その魔獣を貸してくれるとありがたい。もちろん、相応の費用は支払うよ」
ミゲルは偏見なく、魔獣を工事に使用するつもりのようだ。
確かにトンネル工事にモルドラの能力はうってつけだ。その柔軟な考え方に、ナタリーは更にミゲルを見直していた。
正直、ミゲルの提案は魅力的だ。
というより、アンカー辺境伯家にはリスクはなくメリットは大きい。
受け入れない方がおかしいだろう。
「どう? ユリウス。私はいい話だろ思うけれど」
ナタリーの声かけに、それまで静かに控えていたユリウスも頷いた。
「そうですね。詳細を確認する必要がありますが、私も良い話だと思います」
企画書をパラパラとめくっていたユリウスは、かちゃりと眼鏡のブリッジを押し上げてそう言った。
むしろ、ここまでアンカー辺境伯家に有利な条件で良いのかと不審にすら思う。
「何か、他にこちらに期待することがあるのですか?」
「いいや、この話が全てさ。改めて契約書に明文化しても構わない」
ユリウスはじっとミゲルを見つめる。
確かに、こちらを騙そうという意図は感じない。果たして信じても良いものかどうか、改めて調べようと心に決めた。
「バース小子爵様、この話、前向きに検討させてもらうわ」
「良かった。そう言ってくれると信じていたよ」
「ただ決断はもう少し後ね。ケヴィン様にも意見が聞きたいし、何よりまずは肝心の運河の建設に取り掛からないと」
今はまだ基本設計の段階。これから詳細設計に入って、ついに着工だ。
着工まで、あと数か月はかかるだろう。
「構わないよ。こちらも今すぐにどうという話ではないからね。待つさ」
「ええ、よろしく」
ナタリーは、にこりと笑顔で返した。
(やったぞ。このままいけば、ナタリーとずっと関わっていられる。必死に頑張っている姿を見せれば、もしかしたら)
心の中で、ミゲルは歓喜の声を上げる。
ナタリーがどんな男性が好きなのか、ミゲルはよく知っている。
きちんと自分の仕事に誇りを持ち、努力を惜しまないような男性をナタリーは好む。
だから、もしかすると。
そんな淡い期待を持ちながら、それを表に出さないようぐっと顔に力を入れる。
期せずして、その表情はやる気に満ち溢れた事業家然としていて。
ナタリーは、そんなミゲルの本心に気付いていなかった。
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