第31隻

 ガヤガヤと賑やかな雑踏を、ナタリーはケヴィンと肩を並べて歩いていた。

 街中を歩くのに、そう華美なドレスを着られるわけもなく、結局ナタリーは少し小綺麗な町娘のような格好に落ち着いた。

 本当ならもう少しお洒落がしたい所だったが、そうも言ってはいられない。あくまで今日はお忍び、こっそりと街を歩くだけなのだ。

 ナタリーの顔は領民にまだあまり知られていないだろうが、ケヴィンは違う。どうしてもマスクという特徴的な服装をしなければならない為、街を歩く時はローブを被る事になる。

 そんなケヴィンの隣にやたらと綺麗な服を着た女がいれば、どうしたって目立ってしまうだろう。


 残念な気持ちを隠しながら屋敷の門を潜ったナタリーは、シャンクの街の賑わいに驚いた。

 ここまで賑やかな祭りだとは思っていなかったのだ。

 この領地で秋の豊作を祈ると言っても、正直ほとんど食物は育たないのだから、限界がある。

 普通秋の祭りと言えば収穫物で飾りつけたり、採れたての食物で作られた料理がたくさん屋台に並ぶものだが、ここではそれも出来ない。

 だからてっきり、普段よりも多少人が出ている程度かとナタリーは思ったのだが、想像以上の活気だった。

 広場にはあらゆる屋台が出て、普段は目に出来ないような肉の串焼きや魚の塩焼き、芋を蒸したものなどが売っている。きっと他領から取り寄せたものも多いのだろう。

 普段は静かに慎ましやかに暮らしている印象のシャンクの街の人々だが、この時ばかりは陽気だった。

 一年で最も食物が豊かに手に入る時期だというのもあるのだろう。他領では食物がたくさん収穫され、安く手に入れることができるのだ。


 ナタリーはこの賑わいに気付かなかった自分を恥じた。

 祭りは3日間続くが、今日はその最終日。

 いかに多忙だからと言って、これから自分が守っていく領地を直に見ずして伯爵夫人が務まる訳はない。

 そもそも運河の建設もこの領地の人々のために考えたのだ。

 目の前のことに囚われ過ぎていたと、深く反省した。


 二人は屋台を冷やかしながら、この領内産であるという蒸かし芋を購入した。

 ヤギのバターと塩を振っただけの簡素なものだが、驚くほどに美味しかった。

 芋の味はあまり濃くなく、そういう意味では他領のものに比べれば人気がないのだろうが、その分ふかふかとした食感がバターによく合っていた。


 人々が皆、笑顔で行き交っていく。

 広場の隅では、楽器を演奏している人々がいた。

 皇都で聞くような煌びやかな音楽とは違う。太鼓や弦楽器を手にしているが、どれも手作りのように見える。

 この光景を、地味だと揶揄する者もいるだろう。

 だが、誰もが笑顔なのだ。

 この忘れ去られた土地でも、人は強く生きている。

 限られたものの中でも、手に入る幸せを大切に握りしめている。

 ナタリーはそう感じた。




「少し、ここを離れようと思うのだが……待っててくれるか。隠れて騎士がついているから大丈夫だとは思うが……」


 広場の隅の階段に腰掛け、蒸かし芋を食べていると、ケヴィンがそわそわとそう言った。

 行きたいけれどナタリーが心配だという思いが溢れている。


「もちろん大丈夫です。きちんといい子に待っていますから」


 何か気になるものでも見つけたのだろうかと首を傾げつつ、悪戯っぽくナタリーは応えた。

 ケヴィンの言うように騎士が少し離れた所で護衛についているし、座っている階段は人混みから少し外れて視界のいい場所にある。

 特に問題はなさそうだ。


「すまない。すぐ戻る」


 そう言ってケヴィンはマントを翻し、本当にすぐ戻ってきた。

 余程急いだのか、あのケヴィンの息が上がっている。

 しかし、それも納得の凄まじい早さだった。


 そんなケヴィンの手には、茶色いカラー・・・の花束が握られていた。

 それだけ急いだというのに、花束は全く乱れがない。

 ケヴィンの手付きを見れば、まるでガラスを扱うかのような慎重さで、両手でそっと抱えている。

 そのギャップがおかしくて、ナタリーは少し笑った。


 スッと伸びた茎の先にくるりと立襟をしているような、凛とした佇まいが美しいカラー。

 白いものが一般的な中で、黄色やオレンジとのグラデーションになっている茶色のカラーは珍しい。

 少なくとも、ナタリーは初めて見る色だった。

 とても綺麗だが、どうして花束を買ってきたのだろうとナタリーは不思議に思った。


「あなたみたいだなと思って買ってみたんだが……やはり、薔薇の方が良かっただろうか……」


 どこか申し訳なさそうに言うケヴィンを眺めならがら、そう言えば薔薇以外の花をもらったのは初めてだと思い至る。

 当然だ。

 これまでナタリーに花を贈るのは、ミゲルしか居なかったのだから。


「いいえ、薔薇はあまり好きじゃないんです。ありがとうございます。とても綺麗だわ」

「そうなのか?」


 ケヴィンは不思議そうに首を傾げた。

 以前、ミゲルが「また薔薇の花を贈るから」と話していたのを聞き、ナタリーは薔薇が好きなのだと思ったのだ。

 ナミルからも「婚約者に花の一つも贈らない男は甲斐性なし」などと揶揄からかわれ、気にしていた所だった。

 だが急に花を買って帰るのも唐突が過ぎるし、そもそもずっと最北の要塞に詰めていてそんな機会もなかった。

 この祭りで折しも珍しい茶色のカラーを見つけ、ケヴィンは思い切ってナタリーに贈ることにしたのだ。


「この花が私に似てますか? ふふふ、私の瞳はこんなに美しくはないですよ」

「色もそうだが、そのスッと真っ直ぐ立っている様が、あなたに似ていると思ったんだ。凛として美しい」


 ケヴィンは花を見つめながら、ふっと顔を綻ばせた。


 思いがけず「美しい」と言われ、ナタリーはドキリとした。

 同時に、ミゲルの「背ばかり高くてペラペラな体」という言葉を思い出す。

 あの時の言葉は本心ではない。そうミゲルは言っていたが、不倫相手のサラを見れば、それに近い思いを持っていたのだろう。

 ナタリーはそう思い、すっかり自分の容姿に自信をなくしていた。


 それなのに、ケヴィンはナタリーを美しいと言う。

 もちろん容姿だけの話ではないのだろう。

 だが飾った言葉ではなく、つい漏れてしまったという様子のケヴィンに、ナタリーは目頭が熱くなった。


「ど、どうした!? あなたのことを私がとやかく言うのが不愉快だっただろうか!?」

「いえ! 嬉しいんです。本当に。ありがとうございます……」


 ナタリーは軽く目を擦ると、ケヴィンに満面の笑みを見せた。


「さあ! もっとお祭りを楽しみましょう! 確かこれから街の女性たちのダンスがあるんですよね?」


 笑顔のまま、ナタリーはケヴィンの腕を取る。

 これほどまでに笑ったのは、随分久しぶりだった。

 ナタリーとミゲルの関係が壊れる前、二人は仲が良かったけれど、結婚の延期やお互いの仕事ですれ違っていたのは否めない。

 だからこそ、ミゲルもサラと関係を持ったのかもしれない。

 ナタリーは自分が今、心から楽しんでいるのを感じていた。


 そんなナタリーを見て、ケヴィンも心なしか楽しそうにしている。

 どうやら花束に喜んでもらえたようだと、ほっとしてもいた。


 その後、二人は時間を忘れて祭りを楽しんだ。

 確かに皇都の祭りに比べれば、ずっと素朴だ。

 それでもこの地で生きている人々が営む生活の温かさを感じる。

 贅沢な暮らしは出来ずとも、ここの人たちは豊かだ。

 ナタリーはそう感じた。


 祭りを回る間中、ナタリーは始終笑顔だった。

 ローブとマスクで見えなくとも、ケヴィンもそうだった。

 傍から見れば、二人は完璧な恋人同士に違いなかった。









 ナタリーたちから少し離れた路地の入り口。

 賑やかな雑踏から取り残されたようなその場所には、二人をじっと見つめる青い瞳があった。


「ナタリー……何故……」


 絶望に沈む暗い声が、石畳にぽつりと落ちた。

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