第28隻
カンカンカンと大きな音が響く。
この最果ての無の土地に、多くの人がひしめいている。
ケヴィンたちスラスター騎士団の面々は、こんな光景を見る日が来るとは、露ほども思っていなかった。
皇帝から不承認撤回をもぎ取ってから、早1か月。
ついに、城壁の改修工事が始まった。
あれから、ナタリーとミゲルの婚約破棄の噂は、たちまちに広がった。
不思議と一度不承認となった事実が広がらなかったのは、自身の決定を覆したことを知られたくない皇帝の、意図的な流布によるものである可能性が高い。
下位貴族や商人の独身男性たちは好機とばかりに色めき立つも、同時にアンカー辺境伯との婚約がなされたと聞き、絶望することとなった。
当然、その理由についてあらゆる憶測が飛び交った。
最も多かったのは、ナタリーの資産欲しさに、ケヴィンが力付くで婚約を結んだというものだ。
婚約破棄と同時に新たに婚約を結んでいる以上、何某か言われることは想定済みだ。
だが普通に考えれば「ナタリーとケヴィンの不貞」と言われそうなものだ。
ケヴィンの略奪だと噂されることになったのには、ミゲルが大いに関係していた。
周囲に対し、「北の怪物に婚約者を取られた」と
『北の怪物』の恋愛事情が想像出来ない人々にとって、それは納得の理由だった。
このまま放置することは出来ないと、ナタリーは別の噂を流すことにした。
嘘も脚色もない。事実だけの噂を。
情報を制すものが商売を制す。
ミゲルよりもナタリーの方が何枚も
結果、ミゲルとサラ、そしてフィリップは、社交界から白い目で見られることとなった。
元々異性関係の噂が絶えなかったサラとフィリップのことだ。然もありなんと、これまた人々の腑に落ちる話だったのだろう。
噂の対応と並行して、ナタリーとケヴィンは城壁の改修工事の必要性を国に訴えた。
城壁の強度が保たれていなければ、運河どころか帝国の存続の危機。
だが城壁の改修を行うと、運河建設が何年後になるか分からない。
どうにか国直轄工事で城壁改修をしてもらえないか、という趣旨の陳情を、皇帝の惜しい気持ちを刺激するよう情感たっぷりに書き上げた。
が、結果は否。
城壁改修は軍事大臣の管轄である。
ボラード伯爵は皇帝まで陳情を上げることなく、「正当性がない」と一刀両断に切り捨てたのだ。
もちろん、これはボラード伯爵が最北の城壁に国の関与をさせないよう意図した為だ。
これまで好き放題にやってきたというのに、一部にでも国の関与があれば、自らの悪事が露呈する危険があると思ったのだろう。
ナタリーたちも当然、それは予想していた。
陳情を上げると同時に、ボラード伯爵の横領を示す証拠を揃え、法務大臣であるドルフィン侯爵に提出したのだった。
ドルフィン侯爵は、事実なら由々しき事態だと、行政庁の全体監査を実施した。
結果、軍事局から財務局に提出された報告書は、事実と全くの別物であることが判明した。
このことから、財務大臣を始めとする財務局は無関係であること、しかし軍事局はボラード伯爵を筆頭に組織的な国費の横領が
スラスター騎士団への現物支給品に係る横領は、氷山の一角だったという訳だ。
たちまち、皇宮は大混乱に陥った。
ドルフィン侯爵が徹底的に軍事局の洗い出しを指示したことで、今回の城壁改修だけでなく、過去にも城壁の修繕費の補填や現物支給品の品質向上など、アンカー辺境伯家からの陳情を不当に跳ね除けていた事実が明るみになった。
正直に言えば、これを皇帝が知らなかったかどうかは分からない。
ともすれば、認知した上で内々に認めていた可能性もある。
だが結果的には、
『アルバート! お前は絶対後悔するぞ……!』
ボラード伯爵は、最後にドルフィン侯爵に向かってそう叫んだ。
ボラード伯爵とドルフィン侯爵は、学園の同窓生である。
それが何か関係しているのかどうかは、本人たちしか知りようもなかった。
空いた軍事大臣の座には、ドルフィン侯爵が推薦した者が暫定的に座ることになった。
高級官僚の内から優秀で誠実な者を選んだ形だ。
皇帝としては、そんな口煩い輩が来られては面倒であるはずなのだが、ドルフィン侯爵のことは蔑ろに出来ないといった所だろう。
こうしてアンカー辺境伯領の最北の城壁は、無事国直轄工事として早々に着工した。
直轄工事としての正当性はもちろん、運河が完成した際の通航料に、安全保障費の添加とその一部上納の話が皇帝の心を動かしたようだった。ドルフィン侯爵の手腕もあるのだろう。
ケヴィンの方で設計を進めていたこともあり、素早く工事まで進んでいくこととなり、今、こうして工事が進められているという訳だ。
既に夏から秋へと季節は移ろおうとしている。
秋が深まれば、魔獣の活動も活発化してくる。
それまでに出来る限りの工事を行いつつ、それ以降も工事を続けられるよう、スラスター騎士団は城壁の前面、魔獣蠢く大地に陣を構えた。
この工事の間くらい、決して魔獣に邪魔される訳にはいかない。
ボラード伯爵により提供された質の悪い武具や防具は新軍事大臣により一新され、比較出来ないほどに性能が良くなった。
「運河建設のため堅固な城壁が不可欠」という訴えにより、大砲などの大型兵器も数が増やされ、異例の事態にスラスター騎士団の面々は声を上げて喜んだ。
ユージーンなど、感動して涙する始末だ。
それだけ運河の建設には期待されているということでもある。
運河の建設も、現在は詳細な調査を進めている段階だ。
城壁にしても運河にしても、これだけの技術者や労働者が集まるとなると、国中で人手不足が起きている可能性もあるな、とナタリーは思った。
そうなれば、バース子爵が進めている鉄道事業にも影響がありそうだ。
決してナタリーは意図した訳ではない。が、想像が付かなかった訳でもない事態に、どこか悪戯が成功した時のような心持ちだった。
かくいうナタリーは、最北の要塞ではなく、アンカー辺境伯の屋敷に一人戻っていた。
要塞に居ては皇都との連絡が取りづらく、あらゆる所との連絡調整が必要な今、要塞に居ては不都合があったからだ。
ケヴィンは要塞に詰めて、騎士団の指揮を執っている。
せっかく婚約が認められ、晴れて正式な婚約者となったというのに、二人は一向に一緒に過ごすことが出来ないでいたのだった。
「ナタリー様。法務局とレセップス運河事務所、土木派遣協会から手紙が来ています」
「分かったわ。運河事務所の方から確認するから見せて」
アンカー辺境伯家の屋敷で、ナタリーは書類に埋もれていた。
執事であるユリウスが補佐をしているが、日に日に書類は増えていくばかりだ。
書類仕事はからきしだというナミルだけが、ソファーに寝っ転がり
「ナミル。あなたも何かしてはいかがですか」
「しょーがねーじゃん。俺が触ると余計にややこしくなっちまうんだから。未来の奥様は早々に諦めたみたいだぜ?」
「そうね……。ナミルは……ええ、そこでゆっくりしていてくれていいわ」
「ほらな」
「一体何をしたんですかあなたは」
軽口を叩く二人を尻目に、ナタリーは素早く手紙を確認していく。
現場の方は現在滞りなく進んでいるようだが、問題は皇宮の方だ。
大規模な公共事業に大幅な人事異動で、
引き継ぎや連絡が上手くなされないのか、既に報告したはずのことをあれやこれやと尋ねてくる日々だ。
「ああ、それからご主人様から言付けが。本日夜に、通信魔道具でお話をなされたいそうですが、宜しいでしょうか」
「まあケヴィン様が? ええ、もちろんよ!」
「ではそのように返信しておきます」
要塞と屋敷は、元々ナタリーの持っている移送魔道具や通信魔道具の大型版を使用して連絡を取り合っていた。
これまでもナタリーたちは業務に必要であれば適宜連絡を取っていたが、改めて時間が欲しいとはどういうことだろう。
「案外、ただ未来の奥様と話したいだけなんじゃないか〜?」
ナミルがニヤニヤとナタリーを揶揄うように言い、即座にユリウスに嗜めらる。
「もうナミルってば! 何か大事な話かもしれないじゃない」
ナタリーは赤くなる顔を隠すように手元の書類に目をやった。
すると、かちゃり、と音を立ててデスクにティーカップが置かれる。
目線を上げれば、ベティが淡々と紅茶を淹れていた。
ユリウスやナミルにも配っている。
(そういえば、最近のベティは何ともないわね……。少しは受け入れてもらえたのかしら?)
最初の頃のように、ベティは明からさまな敵愾心を見せることは無くなった。
かといって親しくなった訳ではなく、始終淡々と仕事をこなすからくり人形のようだ。
ユリウスやナミルは何も不審に思っていないところを見ると、普段の彼女の仕事振りと変わらないのだろう。
内心、ナタリーは首を捻った。
その夜。
ナタリーは夜着に着替えた状態でケヴィンからの連絡を受け取った。
その連絡とは、まさしくナミルの言った通りのものだった。
「その……最近会えていないから、元気なのかどうか、心配になってな」
「そうだったんですね。私は問題ありません。それよりもケヴィン様です。ずっと要塞に詰めていらして、お体に変わりはありませんか」
「ああ。これまでむしろこっちに居る方が多いくらいだからな。この時期は魔獣も少ないし、何も問題はない」
「そうですか。なら良かったです。騎士の皆さんにもお変わりは?」
「ああ何も。皆新しい武器に浮かれていてな……」
たわいも無い話が、延々と続いていく。
ナタリーは、自身の顔が緩んでいることに気付いていなかった。
自分でも気づかぬ内についにやけてしまっている。
けれど、通信魔道具に映るケヴィンの顔も、似たようなもので。
マスクで隠れて見えはしないが、口角は緩く上を向いていた。
そんな二人の姿は、まるで離れ離れの恋人たちが、久々の逢瀬を楽しむ様に似ている。
一人部屋で魔道具越しにケヴィンと対峙するナタリーは、幸せなひと時に、気付いていなかった。
扉の隙間から、ベティが憎悪に燃える瞳で、ナタリーを見つめていたのを。
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