第27隻
「ケヴィンと婚約できなければ計画は流れる」とのナタリーの言葉に、皇帝は盛大に顔を
確かについ最近、そうした決断を下したばかりだったと思い出す。
運河建設計画を語り、散々皇帝の欲を刺激した後だ。
過去の決断を悔いていることが、手に取るように分かる。
「この計画を立てた時、私の元にはまだ不承認通知が届いておりませんでした。ですので、このように届出をさせていただいたのですが……。ここまでお話しして恐縮なのですが、アンカー伯爵との婚約をお認め頂けないとなると、白紙に戻すほかないと思われます」
「うむ……そうか……」
皇帝は思案げに口髭を撫ぜた。
ナタリーは内心しめたと思った。
皇帝はかなり運河の建設に魅力を感じている。
もう少し押せば、ミゲルとの婚約破棄、ケヴィンとの婚約、この二件の不承認を撤回させられるかもしれない。
「そうだ。運河の建設を国の公共工事として行うのはどうだ? それならばお前たちの婚約は成り立たずとも良いだろう」
良いことを思い付いたとばかりに皇帝は手を打つ。
内心、ナタリーはうんざりした。
運河からの利益を全て自分のものにしようというのが丸分かりだ。
「陛下。国家事業として行うとなると、その莫大な費用による国庫への負担が懸念されます。仮に途中で事業が破綻した場合、その損失は計り知れないことになるかと。あまり得策ではないかと存じます」
皇帝の横からドルフィン侯爵が進言する。
ドルフィン侯爵は公明正大なことで有名だ。彼がそう発言したということは、事実その通りだということ。
けれどあえて進んで発言してくれるというのは、ナタリーへの加勢なのだろう。
現に侯爵の隣にいるロレインが、ナタリーにこっそりウインクして見せた。
「恐れながら陛下。私からも一つよろしいでしょうか」
これまで無言を貫いていたボラード伯爵が声を上げる。
ついに来たぞ、とケヴィンとナタリーは身構える。
これまで無言だったことがむしろ気持ち悪いくらいだ。
「そもそもこの計画、本当に実現可能なものでしょうか。計画書を見る限り、ただの絵に描いた餅のように思えますが」
随分といやらしい言い方だ。
そもそも今回の事業説明は事業着手の前段階。
「こういうことをこれから始めようと思います」と報告するということが主旨なのだ。
厳密に言えば、皇帝さえ意見を述べることはあっても着手自体を妨げることが出来ない。
皇帝による意思決定が行われるのは、次の段階。
具体的な調査を行って、事業の実現性と必要性について詳細にまとめ事業開始承認申請を行う時だ。
つまりこの時点で、具体的な資料がないのは当然のこと。
今それを言うのは、言いがかりに近い。
「失礼だがボラード伯爵。そもそも貴殿は何故ここに?」
まるでナタリーを小馬鹿にしたような様子のボラード伯爵に腹を立てたのだろう。
眉間に皺を寄せ、ごく低い声でケヴィンは告げた。
「いえね。アンカー辺境伯領というのは魔獣から国を守る要でしょう。そんな大事な土地に運河なぞ造るというものだから、私も黙ってはいられなかったのですよ。国防は私の管轄ですからね」
不穏な様子のケヴィンを物ともせずに、ボラード伯爵は飄々と言ってのけた。
さも当然だというように、肩をすくめてみせる。
皇帝の前にしては些か尊大が過ぎる態度に、ナタリーは皇帝を盗み見る。
が、さして気にしていないように見える。
どうやら普段からボラード伯爵は好き勝手にやっているのだろう。
それが許されているのは、ボラード伯爵が皇帝の望むものを与えているからに他ならない。
「いくら素晴らしい案だったとしても、実現できなければ意味がない。そうでしょう?」
尚もボラード伯爵は言い募る。
だが、ナタリーはボラード伯爵がそう指摘する可能性を考えていた。
実現の兆しだけでも示そうと、既に西海側と東海側の海抜の比較、簡単な地質調査を始め、第一次報告書を受け取っていた。
「陛下のご報告前ではありましたが、既に調査を始めております。今の所、西海と東海の海抜の差はさしてないという報告が上がってきています。つまり、運河が開通すればそのまま船を進めることが出来るということです。更に、ごく一部ではありますが、土壌調査を実施しました。結果、特段支障になるようなものは見つかっておりません」
事実、報告書ではそのように記載されていた。
そう。今の段階で、あえてこの運河建設を否定するだけの材料は何もない。
しいて言うなら、もっと時間をかけなければ確実なことは何も言えないということだろうか。
思いがけないナタリーの反撃に、ボラード伯爵は一瞬怯む。
しかしすぐに柔和に見える笑顔へと戻すと、また口を開いた。
「それは結構なことだ。しかしそもそも、君たちの婚約は既に不承認を受けている。なのにそこから前提を覆して話をするのは感心しないな。もしや陛下のご決定を軽視しているのか?」
さも「そんな不敬なことを信じられない」といった態度で冷やかす。
ボラード伯爵の腹は真っ黒に違いないとナタリーは思った。
「滅相もございません。ですが、私がアンカー伯爵様と婚約することで生まれる利益を考えれば、一言申し上げなければなりませんわ」
「陛下のお考えを私が推し量ることなど出来ようもございませんが、もしも我が領にファンネル嬢という人材が不釣り合いだという判断をなさったのだとしたら、今一度、お考え直しいただけないでしょうか」
ナタリーの言葉を継いで、ケヴィンが皇帝に訴える。
平民であるナタリーが、皇帝に物申したり望みを言うことは難しい。
それはケヴィンの役目だ。
「いやだがな。バース小子爵との婚約破棄のきっかけになった不貞というのが、そもそも間違いだという話で
「もう良い」
ボラード伯爵の言葉を遮り、皇帝が一言で黙らせる。
ナタリーが玉座に視線を移せば、うるさくて仕方がないとばかりに、手のひらで払う仕草をする皇帝がいた。
ミゲルたちの手紙による証言など、さしたる意味もない。
全てはボラード伯爵が上手く話を誘導するための小道具に過ぎなかったのだから。
皇帝にとって、ミゲルの不貞が事実かどうかなど、なんの関心もなかった。
「ならばこうしようではないか。ひとまず先の二件の不承認は撤回しよう」
運河建設の話が余程魅力的に聞こえたのだろう。一度は下した決断を、皇帝はあっさりと撤回してみせた。
ナタリーとケヴィンは喜色を顔に滲ませる。
「だが、アンカー伯爵とファンネル嬢の結婚は運河の建設が実現してからだ。もしも途中で頓挫するようなことがあれば、二人の婚約を解消するように」
喜んだのも束の間、続いた皇帝に言葉に、ナタリーは愕然とした。
余程ナタリーという駒を最大限無駄にせず使いたいらしい。
これにはケヴィンも驚きに目を見開いている。
「出来るな、法務大臣」
「……ええ。80年ほど前になりますが、解除条件付きの婚約を結んだ事例はございます」
ドルフィン侯爵はちらりとナタリーとケヴィンを見て、申し訳なさそうに眉を下げた。
皇帝にそう問われたら、彼の立場では事実を話すほかない。
だが考えてみれば、暫定的ではあってもナタリーたちの要求は全て認められたことになる。
とりあえず、今はこれで納得するしかない。
流石のボラード伯爵も、これ以上は口が挟めないようだ。
悔しげに唇を噛み締めている。
そんな伯爵を見て、ナタリーは胸がすくような気分だった。
「では、すぐに運河の建設に着手せよ。己らの結婚のためにも、真剣に取り組むように」
皇帝は、満足げに頷いた。
かくしてナタリーは、正式にミゲルとの婚約を破棄し、ケヴィンとの婚約を結ぶことに成功したのだった。
「絶対に許してたまるか……」
喜びを隠せないナタリーとケヴィンの様子を睨みつけ、ボラード伯爵は小さく独り言ちた。
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