第26隻
それから更に3日後。
ナタリーとケヴィンは、再度皇宮に向かっていた。
皇宮から、運河建設の事業説明をするようにと連絡があったのだ。
流石のナタリーも緊張してつい力が入ってしまう。
いかに帝国で最も影響力のある商会といっても、皇帝に謁見したことは一度もなかった。
「陛下に謁見するのは初めてか?」
「はい……。父は何度かあったのですが、私は初めてで……」
「心配しなくていい。いつも通りにすれば良いだけだ。私に婚約の話を持ってきた時のようにすればいいんだ」
ケヴィンにしては珍しく、冗談めかして目を細める。
彼なりにナタリーの緊張を解そうとしてのことだろう。
ナタリーにもそれが分かり、思わずふっと笑いが漏れる。
「ありがとうございます。あれくらいの勢いが必要ですよね。頑張らないと!」
胸の前に両手で拳を握るナタリーに、今度はケヴィンがふっと笑った。
近衛に案内され、重厚な扉の前に二人は立つ。
金で施された精巧な細工の扉を前に、ナタリーはこの奥に皇帝がいるのだという実感が湧いた。
ちらりとケヴィンを見れば、至っていつも通り。さすがに慣れたものなのだろう。
自分がどんな人物に婚約を持ちかけたのか、ナタリーは改めて思い知らされるような気分だった。
「ケヴィン・アンカー伯爵、およびファンネル商会商会長、ナタリー・ファンネル嬢のご到着です!」
近衛が大きな声を張り上げると、豪奢な扉が左右に押し開けられた。
扉の正面、一段高くなっている壇上に、一脚の玉座。
そこに座るその人こそが、この国の皇帝だ。
玉座まで距離があり、その表情はよく見えない。
まさに想像通りの「謁見の間」の様子に、ナタリーはすくみ上がった。
豪胆さと思い切りの良さを自負しているナタリーでさえ、その場の威圧感に飲まれてしまう。
皇帝の左手には法務大臣——名はアルバート・ドルフィン、爵位は侯爵である——とロレインを含む部下が数人、右手には、何故かボラード伯爵が立っている。
今回は国土改変工事の事業説明のために来ているはずなのだが、なぜ軍事大臣であるボラード伯爵がこの場にいるのか。
国土改変工事の管轄は法務大臣のはずである。
ナタリーとケヴィンは疑問を抱きながらも、玉座の階下で頭を下げた。
「
皇帝の声が、空気を震わせるように重たく響き渡った。
噂から軽薄で浅慮だという印象を持っていたナタリーは、自分の考えを改める。
一国の皇帝を務めるだけあって、かなりの貫禄だ。
現在四十代の半ばであるが、体はかなり引き締まって見える。
輝くように美しい金髪を後ろに撫で付け、整った顔立ちの中にアイスブルーの瞳と口髭がちょうどよく配置されている。
まさに、人々が想像するような「賢君」そのものの出立ちだった。
ナタリーも遠目には見たことがあったが、改めて近くで見ると、噂とはかけ離れているように思える。
賢君とは言い難いのはこれまでの施策で間違いないはずなのだが、ナタリーは困惑した。
「アンカー辺境伯。息災か」
「は。陛下の治世の御蔭で
「さて、お主がファンネル商会の新しい商会長だな」
「ご尊顔を拝し奉り恐悦至極に存じます。ナタリー・ファンネルと申します」
口から心臓が飛び出しそうなほどドキドキと鼓動を打つ胸を押さえながら、ナタリーは目を伏せた。
バース子爵家での花嫁修行の成果である、美しいカーテシーを披露する。
「陛下。本日はこの者たちが計画した『レセップス運河建設計画』の事業説明を行います。事前に資料をお渡ししていたかと存じますが、こちらどうぞお手元にお持ちください」
法務大臣であるドルフィン侯爵は、落ち着いたよく通る声で場の進行を行う。
粛々と概要を説明する様は、まさに皇帝に次ぐ権力者であることが窺える。
そんなドルフィン侯爵を、ボラード伯爵は冷たい瞳で見つめていた。
「お主たちは随分と面白い話を持ってきたようだな」
法務大臣の概要説明を聞くと、皇帝はにやり、と口を歪めた。
「それで、どれほどの利益が見込めるのだ?」
ああ、とナタリーは思った。
やはり皇帝は、噂通りだったのだと落胆する。
何より先に、利益の話とは。
見た目こそ賢君の出立ちであっても、結局は外面だけなのだ。
ナタリーたちが如何に自身に利益をもたらすのか値踏みしているように、外見にそぐわない下卑た笑みを覗かせた。
「はい。届出書に記載しました通り、我が領においての運河建設を計画しております。この計画はこちらのファンネル嬢が発案したものですので、彼女に説明をさせていただきと存じます」
ケヴィンが淡々と皇帝に告げる。
そしてナタリーの瞳を見つめると、頼んだぞ、というように頷いた。
「恐れながら、私が説明をさせていただきます。お手元の事業計画書をご覧いただけますでしょうか。私共の考えた『レセップス運河建設計画』ですが、実現すれば、この国の海上輸送は歴史的な転換期を迎えることになるでしょう。それどころか、他国にも影響を与えるのは間違いありません。まさに世界的な偉業となるでしょう。私の試算では、およそ10年のうちに入る収益は……」
ナタリーは淀みなく喋り続けた。皇帝の希望通り、いかに運河建設によって利益がもたらされるかに主眼を置いて語る。
ナタリーを支配していた緊張は、既にどこかに消え去っている。
皇帝が予想通りの人物だと思えば、攻略法は分かっているのだ。
すっかりいつもの調子に戻ったナタリーにとって、何も難しいことはなかった。
ナタリーの父であるファンネル准男爵は、とにかく口が上手く交渉上手な男だった。
何度か皇帝自身も、ファンネル准男爵の言葉に舌を巻いたことがある。
しかし、ナタリーも負けてはいなかった。
運河建設の重大性、有用性、実現性を簡潔に伝えていく。
話を聞きながら、皇帝は見るからに良い反応を示し始めた。
更に通航料からの一部献上の段になると、皇帝は実に満足そうに頷いた。
最早、結果は見えていた。
「ですが……一つ問題が……」
一通り語り終えた後、それまで流暢に喋り続けていたナタリーは、急に言い淀んだ。
当然、演技である。
たっぷりと間を取り、視線を皇帝から外してみせる。
「なに? 何なのだ申してみよ」
「先日、陛下から賜った不承認通知のことでございます。そもそもこの運河建設の計画は、私がアンカー伯爵様と婚約を結ぶことを前提に計画したものでございます。つまり、その婚約が認められないとなると……この計画の続行は難しいかと……」
勿体ぶった様子で、ナタリーは続けた。
ちらりとボラード伯爵を盗み見る。
一見表情を変えていないように見えるが、握りしめた拳に筋が浮いているのが見える。
ナタリーの反撃は、ここからだ。
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