第23隻
「不承認!? 何故!?」
ミゲルとの婚約破棄、そしてケヴィンとの婚約。
どちらとも不承認となったことを聞いて、ナタリーは驚き焦りを感じた。
確かにいつまで経っても承認の連絡が来ないと、不審に思っていたのは確かだ。
既に
だからこそギシャール村でロレインに状況を尋ねる手紙を書いたのだ。
しかしまさか、不承認になろうとは……。
「やっぱり連絡が行き違ったのね。一昨日商会あてに文書を出したのだけど……。私も原因が分からなくて探ったのよ。それで、陛下の部屋付きメイドから話が聞けたの。どうやら、あなたを皇都に留めておくのが目的みたい」
ロレインの話はこうだった。
ナタリーはこの国で最も資産を持ち、最も経済的な影響力の大きい商会の商会長だ。
ナタリーの行う事業はすなわち、国益に繋がるほどの規模であるということ。
だがアンカー辺境伯領にナタリーが引っ込んでしまっては、その恩恵に与れない。アンカー辺境伯領には、利益を生み出すようなものは何もないから。
その点、バース子爵家は親皇派であるし、鉄道事業というまさに国益に繋がる大事業に携わっている。
ナタリーの結婚相手として、どちらが国に利益をもたらすか考えれば、結果は明白。
そう、皇帝は話していたという。
「もう! 私がどこに居ようと仕事は変わらずやるというのに!」
ナタリーは思わず声を上げた。
正直、皇帝の判断はただの印象でしかない。
鉄道事業はあくまでバース子爵が行うものであって、本来的にナタリーは関係がない。ファンネル商会からの技術提供は既に整っている話であるし、それを反故にするつもりはない。婚約破棄の手続きを取った時に、そう申し伝えていたはずだった。
ケヴィンが皇帝と対立しているならまだしも、アンカー辺境伯家ほどこの国に忠誠を誓っている貴族もいないだろう。
そうでなければ、帝国最大の軍事力を持ちながら、現在の不当な扱いに甘んじているはずがない。
いや、不当な扱いをしている自覚があるからこそ、アンカー辺境伯家に資金力という力を付けさせたくないという意図もあるのかもしれない。
「それが理由なら、ケヴィン様との婚約が認められないのはまだ分かるわ。けれどミゲルとの婚約破棄を認めない理由はなんなのかしら。私を皇都に留めたいだけなら、他の貴族との結婚を推したって良い訳でしょう?」
ナタリーは顎に手を当てて考える。
きっとそれだけが理由ではない。他にも何かあるような気がした。
「おそらくだが……ボラード伯爵が関係しているのではないだろうか」
それまで黙っていたケヴィンが、
ボラード伯爵。つまりミゲルの友人であり、サラの夫であるフィリップの父だ。
「ボラード伯爵が? 一体何故?」
「伯爵が軍事大臣であることは知っているだろう。彼は……少々厄介な人物なんだ」
ケヴィンは一瞬、ロレインを見て躊躇する。
二人はほとんど初対面に近い関係だ。信用し話してもいいか迷っているのだろう。
ナタリーは、安心してほしいというように、ケヴィンの手に自身の掌を重ねる。
ロレインはナタリーが全幅の信頼を置いている人物の一人だ。
決して不当なことをするようなことはない。そう信じている。
ケヴィンがロレインに視線をやれば、彼女もしっかりとケヴィンの瞳を見て頷いた。
(二人の信頼関係は、どうやら本物のようだ)
ケヴィンはふうと小さく息を吐き出すと、耳を澄ますような仕草をしてから、ナタリーの左手を握り返した。
「ボラード伯爵は、何よりも自分の利益を優先する男だ。スラスター騎士団が使う武具や防具、馬の類は国から現物支給されているのだが、どうにも最近質が落ちていてな。調べると、全てボラード伯爵が懇意にしている業者からの納品だと分かった。物証はないが、賄賂を受け取っている可能性が高い」
「そんな……大臣ともあろう方が?」
「国への忠誠心など皆無だ。陛下のことも、よく動く
ケヴィンがここまで辛辣に誰かを批判するのを、ナタリーは初めて聞いた。
余程ケヴィンにとって伯爵は許せない類の人間なのだろう。
立場上関わらな訳にはいかないからか、余計に不満が溜まっているのかもしれない。
「そんな伯爵のことだ。嫁の不貞行為に息子が関与していたなど、認めることはないだろう。貴族にとって不倫は大きな問題になりにくいだが、息子が関与していたとなれば批判を避けられまい。ナタリーとバース小子爵が婚約していたのは有名な話であるし、破棄したとなると原因について噂になると思ったのではないだろうか。まさか、皇帝陛下にまで働きかけるとは思っていなかったが……」
ナタリーはボラード伯爵のことをよく知らない。当然何回か会ったことはあるし、会話をしたこともある。
いつもにこやかに気さくな様子で話しかけてくる印象だけ持っている。
特段おかしな所はなかったはずだ……と考えたところで、いや、と思い直す。
感じがいいという印象とは裏腹に、ナタリーは何故か好きになれないと思った。
言ってみれば、笑顔の仮面と対峙しているような気分だろうか。
社交界では皆大なり小なり仮面を着けているのが普通ではある。けれどどうにも、何か嫌な感じがしたのだ。
ケヴィンが言った通りなのであれば、サラを切り捨てれば良いものを。ナタリーを標的にする辺り、やはり平民だからと侮られているのだろうかとナタリーは思った。
「あまり大きな声では言えないけれど、私もそうだと思います。バース子爵には陛下を動かすだけの力はありませんし」
ロレインも極力小さな声で、そう告げた。
彼女も予想していた答えだったのだろう。
確かに官僚であるロレインは、ナタリー以上にボラード伯爵と顔を合わせる機会がある。
男爵家の令嬢で、女性官僚であるロレインに、伯爵の風当たりが強いことは想像がついた。
「……どうする? ナタリー。異議申し立てを出来ることは出来るけれど……」
「……少し、情報を集めてみるわ。でも、この運河建設の届出を出すこと自体は変わらない。要は陛下に、私とケヴィン様が婚約した方が旨みがあると思わせられたら、状況は動くはずだもの」
「それもそうだな。陛下が関心を示してくださればいいが……」
「そうね。この届出の感触次第で、出方も変わるもの。驚いたわ。まさかアンカー辺境伯領に行って早々に運河の建設を考えるだなんて」
ロレインはそう言いながら、ナタリーから届出書を受け取った。
そしてパラパラと書類をめくり、中身を確認する。
しばらく目を通してから、うんと大きく頷いた。
「これは私が預かる。最大限、陛下の目に留まるよう頑張るわ。法務大臣閣下も今回の不承認には納得していらっしゃらないの。きっと協力してくださるわ」
ロレインはナタリーの手を両手で握りしめる。
まるで「大丈夫だ」と励ますように。
「頑張りましょう。やれることは全部」
そう言ってロレインは笑顔を見せ、ナタリーも笑顔で頷いた。
◇◇◇
無事に届出書を提出すると、軍事局に用があるというケヴィンと分かれ、ナタリーは一人馬車へと向かった。
事業説明のため再度皇宮に来ることになるのは、最短でも3日後。
城壁のことを考えれば一刻も早くと思うけれど、急いては事を仕損じると言うものだ。
今は一旦自宅に帰り、やるべきことをやるべきだろう。
ボラード伯爵の情報を集めるためキールに連絡を取らねばならないし、事務所の方も気になっている。運河建設の前例について図書館で調べたいとも思ったが、今はキールへの連絡が先だ。
乗ってきたアンカー辺境伯家の馬車には乗らず、皇宮の門の前に停まっている辻馬車に乗り込む。皇宮には様々な人たちが出入りするために、辻馬車が常に待機しているのだ。
しばらく馬車に揺られ、ナタリーは自宅への道を進む。
やるべきことを頭の中でまとめていれば、あっという間に着いてしまった。
思考の流れを止めないまま、馬車の扉が開き、足を踏み出す。
「ナタリー!」
御者の手を借りながら馬車から降り立った、その時。
聞き慣れた声がナタリーの耳に届いた。
もうすっかり過去のことと片付けていた、この声。
「聞いただろう! 不承認だ! 婚約破棄はなしだ!」
狂気的な笑みを浮かべたミゲルが、そこにいた。
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