第22隻

 ガヤガヤとした賑やかな雑踏を、ナタリーは懐かしい気持ちで眺めていた。

 皇都を離れて一月ひとつき半ほどしか経っていないというのに、ここで暮らしていたのがもう遠い過去のようだった。


「ああ……。何だかもう帰りたくなってきたわ」


 あの肌寒いけれど静かで穏やかなアンカー辺境伯領は、住み慣れた皇都よりもずっとナタリーの肌に合っていたようだ。



 あれから3日、ナタリーはケヴィンと共に皇都へと戻ってきていた。

 皇帝への運河建設にかかる国土改変工事に関する届出書を書き上げ、それを提出するためにゲートを使って急ぎやってきたのだ。

 ケヴィンに同行していればゲートは無料で使用できると聞いて、これからは出来る限りケヴィンに同行を頼もうとナタリーは内心決心する。

 節約できる所は節約した方がいい。大規模なプロジェクトが動き始めているのだから。


 ギシャール村で調査依頼の手紙を送った事業者たちからは、前向きな回答が返ってきている。

 実現すれば、間違いなく歴史に残る一大事業だ。

 立地的な不安はあれど、それを上回るほどの夢がある。

 この城壁の改修工事の話がうまくまとまり次第、ナタリーはすぐに動き始める心算こころづもりだ。


 ナタリーは3日かけて届出書を書き上げた。

 まだ机上論だけの漠とした内容ではあるが、届出書に添付するものとしては十分な仕上がりだろう。今後詳細計画がまとまった段階でまた届出が必要であるから、その時までに詰めればいい。

 届出書には、皇帝が食いつきそうな餌が散りばめられている。

 正しく皇帝の手に渡りさえすれば、反応するのは間違いない。


 届出書を手に、二人は皇宮へと向かった。

 この国土改変の届出も、法務大臣の管轄業務である。本来ならロレインに連絡をし時間を調整したい所だったが、今回はその時間がなかった。

 というのも、辺境伯領から手紙を送る場合、商会の事務所経由で届けることになるため、数日時間的に遅れが出てしまうからだ。

 それならいっそ直接赴き、時間が空くまで待つ方が早いとナタリーは思った。


 大規模な工事は元々皇帝の前で事業説明をする決まりである。今回の運河建設も、それに相当する規模なのは間違いない。

 届出書の提出と共に、事業説明の日程調整を依頼する手筈だ。早ければ数日で場が設けられることだろう。



「『帰りたくない』か。そう言ってくれると嬉しい」


 皇宮へと向かう馬車の中で、ナタリーの向かいに座るケヴィンは目を細めてナタリーを見つめた。

 皇都は彼にとっていつも居心地が悪い場所だ。

「北の怪物」の噂は、巷で怪談話のように尾鰭はひれが付きながら出回っている。

 それ故に、マスクをしたままであっても人々はケヴィンを恐れた。

 彼に近寄ってくるのは、怖いもの見たさの好奇心を満足させたい輩か、息子をスラスター騎士団に入団させたいと下心を持っている輩ばかりだった。

 それがナタリーと一緒に居るというだけで、こうも景色が変わって見えるのかと、不思議に思った。


 やがて馬車は皇宮へと辿り着いた。

 一つ目の門をくぐり、二つ目の皇宮騎士団が警備している門に進む。

 いつも通り皇宮へ入るための手続きを行おうと、ナタリーは馬車を降りる準備をし始めた。


「どうしたんだ?」


 ケヴィンは不思議そうにナタリーに声をかけた。

 そこでナタリーはハッとする。

 ケヴィンはあの煩雑な手続きを行わなくても、皇宮に足を踏み入れられる側の人間なのだ。


「ケヴィン様……かっこいいです」

「いきなりなんだ!?」


 唐突なナタリーの言葉に、ケヴィンはしどろもどろになる。

 思わず口から本心が出てしまい、ナタリーも口を押さえながら慌てた。

 と同時に、馬車は門の前で立哨りっしょうしている騎士の隣で止まった。

 ケヴィンは一つ咳払いをすると、窓を開け「法務局へ用が」と一言告げた。

 するとすんなりと門が開かれ、馬車はガラガラと石畳の上を進む。

 こんなにも簡単に中に入れるのかと、ナタリーは感動していた。


「そういえば、法務大臣補佐は、あなたの友人なのだな」

「ええ。ロレインのことですね」

「あの女性官僚だな。何度か手続きで会話をしたことがあるが、確かに優秀な人だった。なるほど……君の友人だということに納得する」


 この国で女性が職を持っていることは珍しい。

 それだけでなく、二人はどこか似た雰囲気を纏っていると思った。


 にこやかに会話をしながら、皇宮の入り口で馬車を降りる。

 そして真っ直ぐにロレインの居る法務局へと向かった。


 流石にそれなりの時間待たされるだろうと思っていたナタリーたちだったが、思いがけず、来訪を告げてすぐに中へと通された。


「ナタリー!! 大変なのよ! 私からの連絡は受け取っていない!?」

「ロレインどうしたの!?」


 ナタリーが部屋に入ったと同時に、ロレインは挨拶も忘れてナタリーに駆け寄った。

 普段のロレインからは想像ができないほどの慌てぶりだ。


「あ……挨拶もせずに大変申し訳ありませんでした、アンカー伯爵。非礼をお詫びいたします」

「いや構わない。一体何があったんだ」

「……伯爵様にも関わることですので、どうぞこちらへ」


 ロレインは執務室の応接スペースへと二人をいざなう。

 ナタリーとケヴィンは顔を見合わせて、素直にそれに従った。

 ロレインと向かい合う形で、ナタリーとケヴィンは応接用ソファーに腰を落とした。

 どうにも胸騒ぎがして仕方なかった。


「それで、どうしたのロレイン」


 ナタリーの問いかけに、一瞬ロレインの喉が詰まる。

 まさか、親友であるナタリーに、こんなことを伝えなければならないとは。


「……不承認になったの。二人の婚約と、バース小子爵との婚約破棄が」


 ナタリーとケヴィンは、大きく目を見開いた。

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