第21隻
「それは……援助以上に難しいと思うが」
『公共事業として城壁の改修を行う』というナタリーの言葉に、ケヴィンは申し訳なさそうにケヴィンは告げた。
ナタリーの意見を否定するようなことはしたくないと思いつつ、どう考えても実現不可能だと思ったのだ。
あの、自分の利益にならないことには腰の重すぎる皇帝だ。
これまでアンカー辺境伯家が全面的に責任を負っていた城壁の維持管理に、わざわざ腰を上げるとは、ケヴィンには到底思えなかった。
だが、最北の城壁は何もアンカー辺境伯領だけの為にあるのではない。
この帝国全体を魔獣から守る砦のはずだ。
であれば、アンカー辺境伯家だけでなく国の公共事業として補修しても何もおかしくはない。
むしろそうすべきであろう。
皇帝が乗り気にならないのであれば、乗る気になるよう仕向ければいいのだ。
「陛下が消極的になるだろうと思う理由。それはこの改修が目に見える利益を生む類のものではないからですよね。ならば、利益を出すためにこの改修が必要だという筋立てにすれば、きっと陛下も考えを改めてくださることでしょう」
「利益……つまり、それが運河の開通による利益ということか。そうなると、陛下にも収入の一部を献上するということになるのか?」
元々、運河を建設して得ようとしていた主な収入は、船の通航料だ。
アンカー辺境伯家の単独事業であれば、当然徴収した金銭は全てアンカー辺境伯家のものである。
(城壁の改修の公共事業化のために、あえて国にそれを献上するということだろうか……)
短期的に見れば、悪くない案かもしれない。
確かにそうした条件を付ければ、皇帝も首を縦に振る可能性がある。
そうすれば城壁の改修に、ケヴィンたちは資金を投入する必要はなくなるだろう。
しかし、今後恒久的に国に金銭を献上し続けることになるであろうことを考えれば、話は別だ。
それに、これまで通り要塞を使用できなくなる可能性もある。国が資金を出す以上、皇帝が何かを要求すればそれを受け入れざるを得ないからだ。
正直に言って、ケヴィンにはそれがいい案だとは思えなかった。
承服しがたい様子のケヴィンをじっと見つめ、ナタリーは口を開いた。
「私の資産を使えば、改修工事は出来るでしょう。ですが決して、金銭的に余裕だと胡座をかいていられるほどの規模ではありません。それに永久に続けられるものでもない。改修工事が難航したり、施工後に大きな瑕疵が発見されたりしたら、最悪、運河の建設に着手する前に、資金が尽きてしまいう可能性だってあります。
運河の建設はこの領地が恒久的に金銭を得るための秘策。着手が遅くなればなるほど、収入に対して支出の過小期間が長くなります。着手すらできない可能性もある。ただでさえ、まだ何も調査出来ていないんです。もしも物理的に運河の建設が不可能なら、また他の方策を考えなければ。その方策を見つけて実施するまで、資金が続くという保証はない。私の資産と辺境伯家の予算だけで賄うということは、そうした危険性を孕んでいます。
だからこそ、国を巻き込むのです。大事なのは、陛下にこの城壁のことを我が事と思ってもらうこと、責任感を持ってもらうこと。公共事業となれば、責任は皇帝陛下にあることになります。そうなれば今よりももっと良好な管理体制が可能になるでしょうし、何か城壁に問題があれば堂々と陛下に上申することが出来るでしょう。もちろん、公共事業化するのは城壁のみ。この中央の城や防衛棟は対象外にしましょう。そこに国の予算を使うと、使い勝手が悪くて面倒ですからね」
ナタリーの説明に、ゆっくりとケヴィン頷いた。
本来的には、この城壁は公共事業として改修するべきだとケヴィンも思う。理想的な形は、城壁の所有権を国に移し、国からアンカー辺境伯家に使用権を与える方法だろう。小破修繕や日常的な維持管理はこれまで通りアンカー辺境伯家で行い、改修など大規模な工事は国が請け負う。それが健全な姿であろうとケヴィンも考えていた。
だが問題は、それを実現するために、運河の利益をあえて献上するということの方だ。
「元々考えていたのです。運河の建設による利益をアンカー辺境伯領で独占するように見えない方法を。決して利益の独占ではなく、この運河は陛下の利益にもなることだと認識してもらわなければ、せっかく成功した事業を強引に搾取される危険性がありますから」
ファンネル家は、そのことをよく知っていた。
目覚ましい成長を遂げた造船事業に「一枚噛ませろ」「国に事業を譲り渡せ」と皇帝から何度も打診があったのだ。
計画段階から関わっていたならいざ知らず、全て成し遂げた後のその打診は、搾取以外の何ものでもなかった。
ファンネル家側が難色を示すと、皇帝は爵位の没収や不当な課税など、実力行使に出ようとした。
その図々しさ、皇帝の強欲さは計り知れない。
結局、専門的知識や設備の管理の難しさ、事故等による損害の甚大さなど負の要素を強く押し出した上で、造船事業そのものではなく、岸壁の整備などに国の力を借りる……もとい、国に関わらせることを許すことにした。
岸壁の係留にかかる使用料や港への入港料を国が徴収することで、皇帝はひとまず満足している。
このことから学んだのは、ただ跳ね除けるだけでは不利益を被るだけである、ということ。
適度に要求を飲み、けれど主導権を渡さないという絶妙な塩梅が大切だ。
「なるほど……可能性は、高い、な」
苦虫を噛み潰したような顔で、ケヴィンは唸る。
運河の建設が成功し、アンカー辺境伯領が大きな利益を手にすることが分かれば、皇帝は黙っていないだろう。
自分もその利益に与ろうと、何か仕掛けて来る可能性は、かなり高いと思えた。
「まず運河の建設計画を先に皇帝陛下のお耳に入れます。元々運河の建設には陛下の承認が必要ですから、それは今までと変わりません。そこでこちらから通航料の献上の意向をお伝えしましょう。ここで、具体的な献上額の話もまとめてしまうのが良いと思います。陛下にとってこの時点では
先に利益の献上を申し出ることで、むしろ不当な額の要求を退けるということだ。
ナタリーはケヴィンから視線を外し、一つ一つ自分の考えを確認しながら言葉を紡ぐ。言葉にすることで、今まさに計画をまとめているのだ。
「後日、また謁見を申し込みましょう。城壁の改修の話をするのはこの時です。『城壁が安全な状態に保たれなければ、仮に運河を建設しても船が通らなくなる』『けれど運河の建設に資金を投入すると城壁までは回らない』『このままでは計画は白紙だ』ということを陛下のお耳に入れれば、城壁の改修にも乗り気になってくださることでしょう。もしもあまり乗り気になっていただけなければ、建設費用の補填という名目で、通航料に安全保障費を添加して徴収し、その分を国に献上すると話してもいいと思います。もちろん全額を補填する必要はありません。陛下が損をしないと思えればそれでいいのですから」
全ては話の持っていきようだ。そしてそれは、ナタリーの得意分野だった。
「それが『運河建設のための城壁改修』という意味か」
「その通りです」
「あなたは本当に……。いや。変な意地を張らずに、早くあなたに話をするべきだったな」
ケヴィンは嘆息しながら、ナタリーには敵わないと感じていた。
この短時間でそこまで考えナタリーに、驚きを禁じ得ない。
いや、むしろ驚きを通り越して感動していた。
本当に、ケヴィンにとってナタリーは、これまで会ったどんな人物よりも、鮮明な光を放っていた。
「ナタリー。詳しく聞かせてもらえるか」
「はい。もちろんです」
ナタリーは笑顔で頷く。
どうやら自身の意見がケヴィンの力になれそうだと思い、嬉しいような、誇らしいような気持ちになる。
その日、二人は夜遅くまで話し込んだ。
そして。
ナタリーは再び、皇都に戻ることを決めたのだった。
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