ケヴィン2
蹄の音が響いている。
既に陽は落ち、闇世に沈む魔獣蠢く大地は、さながら死の国のようだ。
月明かりを頼りに、城壁に沿って真っ直ぐ馬を走らせる。
騎士たちの先頭を走るケヴィンは、眉間に皺寄せ背中に冷たいものが流れるのを感じていた。
(城壁が破られただと!? 一体何故……!!)
先ほどの伝達魔道具——送信機が拾った音声を受信機に届けることができ、受信機を複数設置することで、異なる場所へ同時に音声を届けることが可能の魔道具——で聞いた騎士の言葉を思い出し、ケヴィンは内心動揺していた。
これまでこんなことは一度もなかったのだ
それこそ、この地が一つの国だった時代から。
今は西第三防衛棟に駐在していた騎士たちだけで、なんとか食い止めているはずだ。
決して魔獣をこの城壁の中に入れることは許されない。
(よりによって、最も遠い所で……)
ケヴィンは苦虫を噛み潰したような顔で、また馬に鞭を打った。
この要塞は、常に騎士たちが魔獣蠢く大地を注視している。
中央の城から西に向かって、西第一防衛棟、第二防衛棟、第三防衛棟という順に騎士たちの宿舎兼駐在所が並んでいる。
東側も同様だ。
今回報告が入ったのは西第三防衛棟、つまり最西端の棟からだということだ。
今回宴会に参加していたのは中央の城に駐在する騎士のみ。
どの区画で魔獣が現れても対処が出来るよう、中央にも多くの騎士が詰めている。
そして城壁が破られたのは、12区画。
城壁を12等分し、東から順に区画番号が付いている。
つまり、12区画は西側の、最も海に近い区画だということを示していた。
通常、中央の城から12区画までは1時間ほど。しかしそんな時間をかけてはいられなかった。
既に西第二防衛棟の騎士たちは駆けつけているだろう。第一防衛棟の騎士ももうすぐ着くはずだ。
ウルフォックは珍しい魔獣ではない。だが決して侮れない相手だ。
それでも通常であれば、ここまで焦りはしない。
だが城壁が破られたとあれば、話は別だ。
今回はウルフォックが2体。1体でも逃して南下しようものなら、この領地の人々に甚大な被害が出るのは間違いない。
万に一にも、仕留め損ねることなどあってはならなかった。
やがて、遠くに松明の光が見えてきた。
騎士たちの声と地を這うような魔獣の唸り声が聞こえる。
ケヴィンは馬を全速力で走らせながら、目を細め、徐々に見えてくる状況を観察する。
そして、騎士たちとウルフォックが激しい戦闘を繰り広げている光景を、その目が捉えた。
馬の5倍はあるだろう巨体。全身が
尖った耳に剥き出しの牙。興奮しているのか、牙の間からだらだらと涎を垂らしている。
まるで狼の化け物のような姿だ。
しかし、1体しか見当たらない。
ケヴィンぎ慌てて周囲を見回すと、もう1体の居場所はすぐに分かった。
城壁の一部が、破壊され崩れいる。
崩壊した城壁越し、その残骸の向こうに、もう1体のウルフォックと戦っている騎士たちが目に入った。
2体とも既にかなりの
とはいえ、どうもウルフォックの様子が尋常ではない。
既に致命傷を負っているだろうにも関わらず、一向に逃げる気配が見られないのだ。
興奮し、是が非でもこの先へと行こうとしているかのようだ。
そんなウルフォックに、騎士たちがじわじわと押されているように見えた。
「お前たち! よく頑張った!!」
ケヴィンは叫ぶと、馬を飛び降りた。
戦闘中だった騎士たちの顔に希望が宿り、一気に士気が上がる。
「お前たちは外側の方に加勢しろ! 私は内側に行く!」
「は!」
ケヴィンの声を受け騎士たちの指揮を取り、ウルフォックに向かっていく。
彼らの様子を横目に見ながら、ケヴィンは崩壊した城壁を素早く乗り越えると、一気に剣を鞘から引き抜いた。
城壁の内側で、騎士たちに喰らいつかんとしているウルフォック目掛け、真っ直ぐに駆ける。
地を蹴って高く飛び上がると、大きく剣を横に振るった。
ウルフォックの首筋からズシャアッと血が吹き出し、ケヴィンの顔を染める。
グオオオオと一際大きな唸りを上げ、ウルフォックはたたらを踏んでよろめいた。
ケヴィンの一太刀は深い傷を与え、ぼたぼたと落ちた血が、地面を赤黒く染める。
「まだだ!」
今度は剣を槍のように構えると、一気に喉元に突き刺す。
ウルフォックはごぽごぽと口から血を吐き出し、動きが止まった。
これを勝機と、他の騎士たちも剣を抜いて一斉に切り掛かる。
ウルフォックの皮膚は硬く、剣も銃も通さない。唯一、首筋と目だけが弱点だ。
首筋を一斉に貫かれたウルフォックは、またたたらを踏んだかと思うと、ついに、ずしんと大きな音を立てて地面に倒れた。
目を覗き込めば、もう生気はない。
顔の血を腕で雑に拭い、ケヴィンは息を吐き出した。
後ろを振り返ると、ユージーンがウルフォックの目に剣を突き立てる所だった。
もう1体のウルフォックも動きを止め、ずしんと横に倒れる。
この場から、2つの命が消えた瞬間だった。
「団長! ありがとうございました!」
「お前たちが善戦したおかげだ。よくやったな」
西第三防衛棟の騎士たちも、大きな怪我はなさそうに見える。
ケヴィンはホッと息を吐き出した。
「一体何があったんだ」
ケヴィンは近くに居た西第三防衛棟の騎士に尋ねる。
騎士は、小さく
「それが……よく分からないんです。ウルフォックが城壁に体当たりをし始めたと思ったら、急に城壁に亀裂が走って……そこから一気に……」
「城壁に亀裂が?」
魔獣が城壁に体当たりをする行為は、決して珍しいものではない。
餌を求めてか、この壁を越えようとする魔獣は多くいる。
しかしそんなことで、これまで城壁に亀裂が入ったことなど、一度もなかった。
もちろん、そうなる前に騎士団が討ち取るというのも一つの要因だ。
冬になれば、魔獣の数は今の時期の比ではない。この城壁を死守するために、騎士団たちは命を賭して戦う。
それでも。ウルフォック2体だけで城壁が崩れるとは……。
「早急に原因の究明が必要だな……」
城壁を建設したのは、もう100年以上前の話だ。
これまで補修工事は、夏の間に騎士たちが自ら行っていた。人を雇う余裕がなかったからだ。
けれどそれは、魔獣の爪で傷付いた表面を均すくらいのものだった。
ここまで城壁が崩壊してしまっては、大規模な工事を避けられない。
だが幸運なことに、今はハムモットが居る。
彼らを投入すれば、短時間で城壁を塞げるはずである。
しかし、工事自体はそれで事足りるかもしれないが、問題は原因だ。
一体何故、城壁が崩壊してしまったのか。
ケヴィンは、嫌な予感がした。
「それにしても、なぜこの時期にウルフォックが? しかも2体だけで」
ウルフォックは真冬に行動する魔獣だ。夏の間は、より北へと姿を隠している。
更には、通常ウルフォックは群れで行動する。
ケヴィンが連絡を受け取った時、他にも群れの個体が近くにいることを警戒していた。
しかし周囲にその姿は見えず、この2体だけのようだった。
「どうやら、それはこれが原因のようです」
ユージーンが倒したウルフォックの横にしゃがみ込み、そう告げた。何かを見つけたようだ。
ケヴィンは再び城壁の残骸を乗り越え、ユージーンの側に立つ。
見下ろしてみれば、ウルフォックの腹が裂かれ、中には赤ん坊が収まっていた。
既に息はないようだ。
「このウルフォックは
「なるほど……そのようだな」
それならあの興奮ようも分かると、ケヴィンは納得した。
大なり小なり、子を持つ生き物は通常より過敏に攻撃的になる。
子を守るためなら、自分の命を差し出すことも厭わない。
魔獣も人も、そこは変わりはないのだ。
「他にもこうして城壁を越えようとする魔獣が出るかもしれない。城壁を修繕するまで、この崩壊した城壁の周辺を徹底的に警備する必要がある。ユージーン、一旦この場を任せられるか」
「もちろんです」
「中央に戻り、屋敷に援軍を送るよう連絡する。このままこいつらとここを守れ。西第三防衛棟の者は、一旦持ち場に戻って休養しろ。西第二、西第一もだ。手当が必要な者は申し出るように」
手際良く指示を出し、ケヴィンは乗ってきた馬に跨る。
まず屋敷に連絡し、城壁の警備体制を組み直し、原因究明の方策を練る必要がある。
どうやら今夜は眠れそうにない。
(本当なら、ナタリーと同じ部屋で眠るはずだったが……)
残念だと考えかけて、いやこれで良かったのだと思い直す。
結婚前の男女が同じ部屋で一夜を過ごすことなど、あってはならないのだから。
(しばらく食事も、一緒に出来ないだろうか……)
『醜いだなんて思いません。伯爵様が、命を懸けて国を守った証ですから』
あの言葉を聞いた時、ケヴィンがどれだけ衝撃を受けたか、どれだけ心が震えたか、ナタリーは知らない。
自身が鏡を見ても嫌悪感を抱くこの顔を、肯定されるということがどういうことなのか。
もちろん、ユリウスやナミル、騎士たちが悪く言うことはない。
けれどそれは、絶対的な上下関係が影響していることも、間違いないと考えていた。
ナタリーは、嫌になれば出て行ってしまえばそれまでだ。
もしや何か裏があるのではないかと勘ぐりもしたが、どう考えてもナタリーの言葉以上の利益があるとは考えられない。
ナタリーはいつでも、この領地を去っていくことができる。
そんな彼女に心を預けすぎてはならないと、ケヴィンは自制する。
だがもう既に、ナタリーの笑顔が見たいと、そう思っていた。
ともすれば、今は絶望的な状態だ。
100年以上無事を貫いた城壁の崩壊は、ケヴィンにも騎士たちにもかなりの衝撃を与えている。
それでも悲嘆に暮れる気持ちにならないのは、ナタリーの存在が大きかった。
正直に言えば、ナタリーの財産が念頭にあるのも、否定できない。
けれどそれよりもっと、精神的にケヴィンの支えになっていた。
ケヴィンは中央に向かい馬を駆る。
あれほど頭から離れなかった前妻のことを、昨日から一切思い出していないことに、彼はまだ気が付いていなかった。
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