第19隻
「お前たちに、私の婚約者になる女性を紹介する。ナタリー・ファンネル嬢だ」
「ナタリー・ファンネルよ。これからアンカー伯爵家と領地のために尽力するつもりよ。よろしくね」
部屋で着替えた後、ナタリーとケヴィンは再び城を出て、広場へと足を運んだ。
そこにはずらりと騎士たちが整列していた。
ケヴィンはまず、要塞に駐在している騎士たちにナタリーのことを紹介したいと場を準備したのだ。
何がどう伝わったのか既に二人は結婚したことになっていたようだし、きちんと顔を見せて状況を知らせるべきだという判断だ。
ナタリーは騎士たちの顔を見回す。
彼らの表情は変わらないが、皆一様にユージーンのようなキラキラした目でナタリーを見ている。気がする。
これはどういったことだろう。
不思議に思いながらも、とりあえず拒否反応がなくて良かったとホッとしたナタリーは、ケヴィンの横に居るナミルがニヤニヤしていることに気が付いた。
ナミルが何か、彼らに話したのだろう。
「この後、お二人のために宴会を準備しています。どうかご参加ください!」
じっとナミルを見ていたナタリーに、ユージーンが声をかけてきた。
どこかウキウキとしている。
「ありがとう。でも限られた食料で宴会だなんて、大丈夫?」
「はい! 今回追加の食料も持ってきていただきましたので問題ありません!」
「そうなの? どこにそんなもの積んでいたのかしら」
レセップス地峡の村々に食料を配った荷馬車はギシャール村で引き返して行ったし、騎士たちはそんな大荷物を持ってはいなかった。
「収納魔道具を使用しているんだ。野営の装備もそこに入っている」
ナタリーの横から、ケヴィンが答えた。
思えば、野営のテントもいつの間にか収納されていた。
勝手に荷馬車が積んで帰ったのかとナタリーは解釈していたが、確かに帰りも使う可能性があるのに持って帰る必要もない。
「まあ、そんな貴重な魔道具があったのですね」
「先々代が手に入れたものだ。当時も相変わらず金はなかったが、前皇帝陛下から賜った物の一つだそうだ。……アンカー辺境伯家に心を配ってくださった方だからな」
言外に、「今の皇帝とは違って」という言葉が滲んでいる。
今代の皇帝は、正直に言ってあまり有能とは言い難い。一事が万事、楽観視が過ぎる。
その上強欲で、自分の利益にならないことには消極的だ。
それ故か、アンカー辺境伯家を軽視している嫌いがある。
この国で重役に就いている者たちは、皇帝を上手く動かすことに秀でている者ばかりだ。
「なるほど……」
運河の建設を正式に行うためには、皇帝あて届出を行わなければならない。国土の改変を行うような大規模工事には必要なことだ。
その折には、十分に策を練っておかなければならないとナタリーは思案した。
下手に話を通して必要以上の利益を搾取されるのは、御免被りたい。
ナタリーが難しい顔をしていることに疑問を持ったのか、ケヴィンがナタリーの顔を覗き込んだ。
そこでナタリーは、自分がいつの間にか深く考え込んだいたことに気が付いた。
「あ、申し訳ありません。少し考え事を……。宴会、楽しみですね」
「そうか」
にこりと笑ったナタリーに対し、ケヴィンは目を細めて応えた。
騎士たちの宴会は賑やかで粗野だ。
普通の令嬢なら面食らうだろうが、ナタリーなら、心から楽しんでくれるのではないかと思えた。
◇◇◇
「じゃーー未来の奥様に! かんぱーーーい!!!」
ナミルの元気な発声により、騎士たちは各々酒を高く掲げる。
ナタリーも彼らと同様に酒を掲げてから、グラスに口を付けてこくりと飲んだ。
彼女が口にしたのは、メロウという果物の発泡酒。
爽やかな酸味と程よい甘さが心地よく、飲みすぎてしまいそうになる。
決して酒が弱いわけではないが、案外メロウの発泡酒は度数が高い。
気をつけなければと思いつつ周りを見渡せば、みな楽しそうにすごい勢いで酒を煽っていた。
「はい! ファンネル嬢と団長が一目で恋に落ちたというのは本当ですか!?」
一人の若手騎士がびしりと綺麗な挙手をして、酒を片手に顔を綻ばせながら聞いてくる。
ナタリーはパチパチと目を瞬かせてから、バッと顔が赤くなるのを感じた。
「な! なんですかそれ!?」
「ある夜会で団長と出会って急に婚約を決めたのですよね!?」
「しかも、その日のうちに団長の素顔をご覧になったとか!」
「聞きました! 『その傷はこの国を守ってきた証』とおっしゃたんですよね!? 全くその通りです!!」
騎士たちは次々に興奮に目を輝かせて話し出す。
彼らのあの顔はこれだったのか、とナタリーは納得した。ナミルが話を盛って聞かせたに違いない。
それにしてもこの反応。ケヴィンは騎士たちに相当慕われているらしい。
「お前たちやめるんだ。ナタリーが困っているだろう」
「なんですか団長〜? 照れてるんですか〜?」
既に3杯目のジョッキを手にしたナミルが、ニヤニヤとケヴィンの肩に腕を置いて迫っている。
それを見て騎士たちも声を上げて笑った。
ユージーンだけが「飲み過ぎですよ副団長!」とナミルのジョッキを取り上げようとしている。
どうやら面倒見の良い性格のようだ。
「違う! ナミルいい加減にしろ!」
「ちゃんと素直にならないと、未来の奥様に逃げられちゃいますよ〜?」
途端、「それは困る!」「離しちゃダメですよ!」「ちゃんと花とか贈りましたか!?」と騎士たちから声があがった。
ケヴィンが前妻に傷付き、いつまでも婚約者を決めないことを、騎士たちもみな憂いていたのだ。
ケヴィンの素顔を見てもなお彼を受け入れるナタリーは、騎士たちにとってもかけがえのない存在だった。
「あ……そういえば、ファンネル家というと、あのファンネル商会のファンネル家ですよね。蒸気船の。確か……一人娘の女性には、婚約者が居たのでは?」
一人の騎士が、ふと思い付いたことをそのまま口にした、という様子で呟いた。
しん、とその場が静まり返る。
口にした張本人は、しまったとばかりに焦って口を噤む。
騎士は男爵家の出身で、社交界の噂を耳にしたことがあったのだ。
「そうなのですか……?」
ユージーンがショックを受けたような顔で、ナタリーに問う。
この場で、本当の事情を知っているのはケヴィンとナミルだけだ。
他の者は、ケヴィンとナタリーが婚約した経緯について、詳しく聞かされていなかった。
「おい、お前失礼な」
「ケヴィン様、構いません。事実ですもの。私もそれなりに有名なんです。こういうことは避けて通れません」
ナタリーは意を決して深く息を吸い込むと、もう一度、口を開いた。
「確かに、私には婚約者がいました。ですが、彼とはもう婚約破棄をしています。彼が……彼の友人の妻と不倫をしていたので」
思いの外、胸は痛まない。最近はミゲルのことを思い出す頻度も減ってきた。
事実だけを告げるように、淡々と言葉を繋げる。
「そんな私のことを、ケヴィン様は受け入れてくださいました。至らないことは多いでしょうが、この領地のために、精一杯働くつもりです」
流石に、ケヴィンとの契約の話は出来なかった。
それでも嘘は言っていない。
再び、沈黙が落ちる。
けれどすぐに、わっと声が上がった。
「確かあちらの家はファンネル家の経済力に頼っていたはずでは? なんて不義理な!!」
「そんな奴は捨てて正解ですよ!」
「うちの団長は絶対そんなことしませんから!」
男爵家出身の騎士を始め、口々に拳を振り上げて怒り出す。
彼らは皆、心が温かい人たちだなとナタリーは思った。
「じゃあ改めて、未来の奥様にかんぱーー」
ジリリリリリリリッ————
ナミルの乾杯の発声を遮って、けたたましい音が要塞に響き渡った。
騎士たちの顔付きが瞬時に変わり、ガタタッと皆一様に席を立つ。
何が起きたのか分からないナタリーは、そんな彼らを動揺しながらきょろきょろと見回した。
『緊急、緊急! 西第三防衛棟より各位! ウルフォック2体、12区画より城壁を破壊し侵入! 繰り返す! ウルフォック2体、12区画より城壁を破壊し侵入!!』
「何!? 城壁を破壊しただって!?」
「そんな、こんなこと今まで……!!」
どこからともなく緊迫した声が響いてきたかと思うと、騎士たちが明らかに慌て出した。
先ほどまでの愉快な彼らではない。
あのナミルですら、真剣な表情で眉間に皺を寄せている。
「聞け! お前たちは私と共に西第三防衛棟まで直行する! バウ隊長、西第二、第一へ騎士の出動を指示するように!」
「は!」
「ナミルは随行班とここに待機!」
「は!」
「散!!」
ケヴィンの声と共に、騎士たちは素早い動きで部屋を飛び出していく。
先ほどまで酒を飲んで浮かれていたとは思えない俊敏さだ。
「ナタリー、あなたは部屋に戻って待っていてくれ」
「ケヴィン様! 大丈夫なのですか!?」
「ウルフォックは強敵だが、これまで何度も戦ってきた相手だ。問題ない。ナミル、ナタリーを頼んだぞ」
「任せてください!」
ナミルの普段とは異なる機敏な敬礼に、ケヴィンはしっかりと頷き返す。
そしてナタリーを安心させるように肩に手を置いて、もう一度頷くと、マントを翻してあっと言う間に去っていった。
「さあ、未来の奥様、部屋に戻ろう」
「ええ……。ねえ、本当に大丈夫なの?」
早足で部屋へと移動しながら、ナタリーは尋ねた。
あのどこからか響いた声は「城壁が破られた」と言っていた。
もしそうなら、とんでもない一大事だ。
「これまで城壁が破られたことは一度もない。けど、今対応に当たっている騎士たちも優秀な奴らばかりだ。それに団長の馬ならすぐに辿り着く。大丈夫だ」
ふざけた様子の一切ないナミルを見れば、今が如何に緊急事態なのかよく分かる。
それでもナタリーに心配をかけないよう大丈夫だと諭すケヴィンとナミルに、ナタリーは歯痒さを感じた。
金銭面では役に立つナタリーも、戦闘においては全くの役たず、むしろお荷物だ。
もし自分がここにいなければ、ナミルも戦闘に加われたのだろうと思うと、申し訳なく思った。
部屋への階段を登りながら窓から外を覗くと、ちょうどケヴィンたちが魔獣蠢く大地を馬で駆けていくところだった。
どうか無事に戻ってきますようにと、ナタリーは祈るしかなかった。
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