第18隻

 翌朝。

 潮見台から戻ったナタリーは、それまでが嘘のようにすぐに深い眠りに落ち、すっきりとした気分で朝を迎えた。


 ギシャール村を最後に、一切人の住んでいる気配はなくなる。最北の村とはその通りのようだ。

 昨日同様、ナタリーはケヴィンの馬に乗せてもらい、ポクポクと静かな景色を進んでいく。

 入江を過ぎ、丘を二つ越えた辺りから、どことなく体にまとわりつく不快感のようなものを感じ始めた。体感としても感じるくらいに、魔素が濃くなり始めたのだろう。

 それまでちらちらと植物を目にすることがあったが、北上すればするほどその機会も少なくなり、やがて一切の緑が消え失せた。

 どこか火山地帯に似ているだろうか。

 と言っても、火山地帯でももう少し植物を目にすることがあるだろう。

 ただ黒々とした土と石ばかりの丘陵は、この世のものとは思えない光景だった。


 やがて、何もない無の世界に、ぼんやりと何かが浮かび上がってきた。

 城壁だ。

 西から東まで、端が見えないほどに続く白い城壁。

 黒々とした大地の中で、まるでそれは天国の入り口のようにも見えた。

 城壁の途中、ちょうどナタリーの正面に、一際大きな建造物が現れる。

 これが最北の要塞だ。


 中央に角柱型の塔が聳え、その周囲をぐるりと城壁が囲んでいる。塔を囲む城壁の中央に大きな入り口が開いており、太い金属製の格子が嵌められていた。

 想像以上に大きい要塞だ。

 スラスター騎士団が皆駐留できるほどの設備があるのだから、当然とも言える。


「……思わず圧倒されてしまいました。こんなに立派な要塞だったなんて」

「ここは帝国の防衛の要だ。我が領地が一つの国だった時代から、守り続けてきた重要な要塞なんだ。この要塞と城壁があるからこそ、魔獣の侵攻を阻んでいられる」

「ええ。これまでアンカー辺境伯家の方々が、どれだけ努力されてきたのか、この要塞を見るだけでも分かる気がします」


 この果てもなく続いているように見える城壁も、地図で見ればそこまで長い訳ではない。

 それでも陸地の端から端まで、馬で3時間の距離はある。

 中央の要塞以外にも左右に3つずつ、騎士たちが生活ができる設備の整った宿舎が存在している。

 秋が深まれば、騎士団はこの要塞で寝起きすることになる。むしろこの要塞で過ごす時間の方が長い。

 スラスター騎士団にとっては、この要塞の方が本拠地のようなものなのかもしれない。


 この時期は数十人の騎士たちと、騎士たちの身の周りを世話する使用人が数人要塞に残っているのだと、ケヴィンは語った。

 夏の間、騎士たちは交代でアンカー辺境伯家の屋敷と要塞を行き来し、常にこの要塞を守っているのだ。


 突如、ギギギと大きな音を立てて鉄格子が上がっていく。

 ナタリーたちの到着を告げるため、先に向かった騎士が要塞に着いたのだろう。

 まるで城壁が大きな口を開けて飲み込もうとしているように思えて、ナタリーは体が強張るのを感じた。


「さあ、行こう」


 大丈夫だというようにナタリーの肩に手を置いてから、ケヴィンは馬の腹を蹴った。

 徐々に近づく城壁は、まるで山のような大きさだ。真下からでは、塔の頂点を見ることに苦労する。

 ぽくぽくと馬の蹄の音を響かせながら、城壁の中へ馬を進める。

 暗い城壁を抜けると、一瞬、明るさに目が眩んだ。

 目を閉じて、瞼を開ける。

 すると、そこには思わず感嘆の声を上げるような光景が広がっていた。

 石畳で舗装された広大な広場の中央に、城壁と同じ石で作られた白い城が聳えている。

 アンカー辺境伯家の城よりは小さい。それでも地方の貴族の屋敷よりは大きいだろう。

 外から見えていた角柱型の塔は、城の中央に鎮座していた。

 尖塔が四隅ににょきりと生えている。

 まるで異国に来たような、そんな高揚感がナタリーを包んだ。


「団長! よくお越しいただきました! それからおめでとうございます!!」

「ああ。ご苦労だった」


 この場の責任者らしき騎士が、素早い動きで駆け寄りケヴィンに敬礼をする。


 後ろでナミルが「お前ら元気にしてたかー?」と明るい声で声をかけている。

 久々に会った騎士たちの肩をこついて嬉しそうだ。

 このまま彼らは要塞に居た騎士たちと合流するのだろう。


 ケヴィンはさっと馬を降り、ナタリーに手を差し出した。


「気をつけて」

「ありがとうございます」

「ナ、ナタリー。彼が今この要塞での指揮官をしているユージーン・バウ隊長だ」


 ナタリーの名前を呼ぶことに一瞬戸惑いながら、ケヴィンが騎士の紹介をする。

 名前を呼ばれた騎士——ユージーンは、何故かきらきらとした瞳でナタリーを見つめていた。


「お目にかかれて光栄です! ユージーン・バウと申します!」

「ええ、よろしくねユージーン」


 ユリウスと同年代だろうか。

 ミルクティー色の髪を短く刈り上げているが、目がくりくりとしていて可愛らしくすらある。

 大きな声ではきはきと喋る様はまるで若い新人のようで、これで一隊を率いる隊長なのかとナタリーは内心驚いた。


「まずは彼女を部屋に案内したい。用意は出来ているか」

「は! こちらです!」


 美しい敬礼をして、ユージーンが広場を歩き出した。

 惚れ惚れするほどの機敏な動きである。


「一応連絡は入れておいたが、なにぶん時間がなくてあまり快適な部屋ではないかもしれないが……」

「構いません。私が急に言ったことですもの。むしろ騎士の皆さんに申し訳なかったです」


 申し訳なさそうに眉を下げるケヴィンに、ナタリーは首を振る。

 同時に、どうにもケヴィンのこの表情をよく見る気がすると思った。

 実際、ナタリーに不便なことがないようにとケヴィンは相当に気を使っている。

 この表情をするのも致し方なかった。



 ユージーンに案内され城の中に入ると、中の広さにナタリーはまた驚いた。

 壁から天井まで曲線を描いて石が組まれた回廊は、いっそ神秘的に見える。

 回廊の内側にある石をそのまま切り出したような階段を登り、3階に上がる。

 装飾の一切ない廊下を進み、ユージーンはある一つの部屋の扉を開けた。

 簡素ではあるがそれなりに広い部屋だ。右の壁際に、ベッドが2台並べて置かれている。

 左側には3人掛けのソファーと暖かそうなラグが敷かれている。

 窓が二つ、領地側を向いて設けられているが、残念ながら城壁に隠れて景色というものは何も見えなかった。


「こちらの部屋をお使いください。お二人で使用されても大丈夫な広さだと思います」

「え……?」


 ナタリーとケヴィンはきょとんとして固まった。


「二人で使用……とは?」

「あの、お二人は同じ部屋を使用されるのですよね?」


 ケヴィンの問いに、ユージーンはぽかんとした顔で聞き返す。

 それからケヴィンとナタリーの顔を交互に見て、これはおかしいぞと慌て出した。


「も、申し訳ございません!! お二人はもうご結婚されたのかと思いまして……!!」

「どうやら行き違いがあったようだな……。すまない、この部屋はナタリーが使ってくれ。私は別の部屋を使う」

「それが……団長の部屋はまだ準備ができていなくて……」


 この要塞において、団長と副団長、隊長は個室を持ち、その他の兵士は10人ごとの大部屋で寝泊まりできるよう割り当てられている。

 今回ナタリーとケヴィンは同室だろうと考えていたユージーンたちは、団長部屋では二人が寝られるほどの大きさのベッドが入らないだろうと、普段は会議室と使用している部屋に急遽ベッドを運び込んでいたのだ。

 そのため、通常の団長室は手付かずの状態で残されたままだった。


「なら、私は大部屋でも構わない」

「そんな……!! 団長に大部屋を使っていただく訳にはまいりません! なら私の部屋をお使いください!」


 ユージーンは勘弁してくれとばかりに頭をぶんぶんと振った。

 自分が個室を使い、ケヴィンが大部屋などあり得ないと必死だ。


「……あの、私はこの部屋でも構いません」

「何を言う! そんなこと許される訳ないだろう!」

「元々私が急にこちらに来ることにしたのが原因ですもの。私はソファーで寝ますから」

「そうはいかない! それならせめて私がソファーに寝よう! いやそもそも婚前に同室など……」

「ケヴィン様では相当にはみ出てしまうのでは? 騎士の皆さんに迷惑をかける訳には行きませんもの。なら私が大部屋に寝ます!」

「その方が更にまずいだろう!」


 完全に堂々巡りだ。

 これでは埒が明かないと、ケヴィンは嘆息し、ユージーンに向き直った。


「私の部屋は、明日までには準備出来そうか?」

「は、はい!」

「そうか……。ナタリー、すまない。とりあえず……今晩だけ、同じ部屋でもいいだろうか。寝方については、また後で話そう」

「……はい、分かりました」


 答えながら、ナタリーは内心ドキドキしていた。

 自身で言いながら、まさかケヴィンと一晩一緒に過ごすことになろうとは、思いもよらなかった。

 果たして、きちんと眠ることは出来るだろうか。一緒のベッドを使うことになったらどうしようかと、気が気でない。



 そんな不安など全く不要になる事態が起きることになろうとは、この時ナタリーは微塵も思っていなかった。

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