第17隻
ナタリーたちが食事を終える頃、ナミルを始め他の騎士たちも焚き火の周りに集まってきた。
見れば、いつの間にか5つほどのテントが張り終えられている。
ナタリーたちはそのまま、騎士たちの食事にも同席することにした。
苦楽を共にしてきた仲間たちだけあって、とても和気藹々とした雰囲気だ。
「それでさ! こいつその後どうなったと思う!? フォークが歯の隙間に挟まって抜けなくなったんだぜ!!」
「やめてください副団長!! その話はしない約束ですよ!?」
ナミルが話を盛り上げ、若手の騎士たちが声を上げて笑う。
ケヴィンは笑いこそしないものの、どこか楽しそうに柔らかい雰囲気を醸し出している。
そんな彼らを眺め、ナタリーは心が温かくなるのを感じた。
彼らは本当に確かな信頼関係で結ばれているのだろうと思えた。
賑やかな食事を終え、ナタリーはテントに戻った。
ケヴィンもそれに続く。
こんな短い距離を見送ってくれなくても良いのにと、ナタリーは小さく笑った。
けれどそんなケヴィンの優しさが、とても温かい。
「今日は一日馬に乗って疲れただろう。入り口は騎士に見張らせるから、ゆっくり休んでくれ」
「ありがとうございます。お言葉に甘えて、休ませていただきます」
ナタリーの言葉に満足したのか、ケヴィンは一つ頷いて、「ではまた明日」とテントを出て行った。
一人テントに残されたナタリーは、ふうと息を吐き出してベッドに腰掛ける。
きしりとベッドが軋む音がテントの中に響いた。
このまま休もうかどうか逡巡し、やはりまだ眠れないとナタリーはランプに明かりを灯す。
トランクを机代わりに紙とインクを取り出し、ペンを走らせる。
鉄は熱いうちに打てとばかりに、付き合いのある業者への専門的な調査依頼の手紙を書き上げる。
これは間違いなく一大プロジェクトだ。いくら魔獣という切り札があろうと、事前の調査をしっかりと行わねばならない。
要塞から戻ったら、一度皇都に行って過去の運河建設時の情報を集めようと計画を立てた。
いくつかの手紙に封をした後、濃紺の紙を取り出して、キールにケヴィンの傷を治せる手立てがないか調べるよう依頼の手紙を認める。
きっちりと水で手紙を濡らすと、ナタリーは持ってきた移送魔道具を取り出した。
移送魔道具は、ナタリーの両の手のひらを横に広げたよりも少し大きい長方形をしている。
上部に本一冊分が挟まるほどの四角く深い窪みがあり、側面のスイッチを押してそこに移送したいものを窪みに差し込むと、任意の場所に送ることができる仕組みだ。
(どうかいい情報が手に入りますように……)
そう願いながら、濃紺の紙を魔道具に差し込んだ。窪みの中に空間の揺らぎが起き、みるみる手紙が消えていく。後はキールの腕と技術のある医師の存在を信じるのみだ。
魔道具のスイッチを回し商会の事務所宛に切り替えると、業者への手紙も同じように移送する。
ふと、ナタリーは思い立ってもう一枚紙を取り出し、ロレインに宛てて手紙を書いた。
一向に手続きが受理された連絡がないことに一抹の不安を覚え、状況を尋ねようと思ったのだ。
普通に考えれば、書類を提出した時点でもうケヴィンとの婚約は整ったと考えて差し支えないはずだが、何故だか嫌な予感がしていた。
ロレインへの手紙を商会の事務所あて送り終わると、ナタリーは疲労を覚えた。
明日も馬に乗るのだからもう休もうとベッドに横になる。
が、不思議なことに一向に眠気が訪れない。
気持ちが興奮して落ち着かないのだろうかと考え、ナタリーは厚手のショールを羽織り、気分転換にテントの外に出た。
「どうされましたか?」
テントの入り口には、若手の騎士が立っていた。
ケヴィンの言葉の通り警護をしていたのだろう。
「ご苦労様。少し夜風に当たりたくて。外に出てもいいかしら」
「構いませんが、念のためお供いたします」
「構わない。私が付いていく」
少し離れた所から低重音の声が聞こえた。
ナタリーが顔を向ければ、ケヴィンが立っている。
「アンカー伯爵様! どうなさったんですか?」
「あなたの様子を見に行こうとしていた所だ。眠れないのか?」
「ええ。なんだか気持ちが落ち着かないみたいで……」
「そうか。なら、少し歩こう」
ケヴィンはそう言ってマントを翻し、丘の上の方へとナタリーを促した。随分とゆっくりとした足取りだ。ナタリーの歩幅に合わせていることがよく分かる。
しばらく歩き、丘の頂上まで歩を進めた。
そこには舞台のような木造の建造物が設けられていた。大きさは大人二人がちょうど寝られるくらいで、高さはナタリーの肩くらいまでしかない。
なんらかの祭事に使うものか、物見櫓のようにも見える。
「これは村人が潮見のために使うものだそうだ」
ナタリーの疑問に気付いたのか、ケヴィンはそう告げると、潮見台の階段をトントンと小気味いい音を立てて上がっていった。
それを見たナタリーも続いて階段を登る。
途端、強い風が吹きつけ、思わずナタリーはショールを掻き抱いて目を瞑った。
ふっと、温かさがナタリーの体を包む。
不思議に思い、ゆっくり目を開けると、ナタリーの肩はケヴィンのマントに包まれていた。
「寒いだろう。着ておけ」
「そんな! これではアンカー伯爵様が寒いのでは」
「私はこれしき何ともない。もう夏だからな」
季節は初夏から夏の盛りに移ろおうとしている。
ナタリーもアンカー辺境伯家の城では寒さを感じることがなくなっていた。だがギシャール村は更に北にあるからか、海風が吹き付けるからか、肌寒いと感じていた。
それでも真冬の辺境伯領に慣れているケヴィンからすれば、確かにむしろ暖かいくらいなのだろう。
「ありがとうございます、アンカー伯爵様」
「ああ。……そういえば、それをそろそろやめないか」
「それ、とはなんですか?」
「その『アンカー伯爵様』というやつだ。ケヴィンで構わない」
あえてナタリーから視線を外してケヴィンは言う。
マスクに隠れた顔からは分からないが、耳が赤い。しかし残念ながら、月明かりの下にいるナタリーの目に映ることはなかった。
「分かりました。ではケヴィン様、と」
にこりと微笑んで、ナタリーは名前を口にした。
そこでふと、ケヴィンはナタリーの名前を呼んでいないということに気が付いた。
ユリウスは「ナタリー様」と名前で呼ぶが、ケヴィンからは「あなた」としか呼ばれたことがない。
「ケヴィン様も、ナタリーと呼んでくださいね」
「あ、ああ」
ケヴィンは口ごもる。
決して呼びたくない訳ではないが、どうにも口に出すのが気恥ずかしいと思えた。
なんとなくそんなケヴィンの様子を察したナタリーは、小さく笑みをこぼした。
呼び方一つで気恥ずかしさを覚えるケヴィンを、烏滸がましくも可愛らしいと思ってしまった。
「それにしても、美しいですね」
ナタリーは空を見上げ、大きく息を吸い込んだ。
頭上には満点の星空と、大きな月が昇っている。
見渡す限りに続く丘陵が、月に照らされて静かに佇んでいた。
この広大な自然の景色は、この地に来なければ見られなかっただろう。
波音と潮の香りを風が優しく運び、心を宥めていくようだった。
「そうだな。人はこの地を打ち捨てられた土地と言うが、私はこの景色が好きだ」
そう話すケヴィンの横顔を、ナタリーはじっと見つめる。
「……運河を通せば、この景色は変わってしまいます。それでも、本当によろしいのですか」
「確かに、今あるものは変わるだろう。けれど、それは悪いこととは限らない。私は、ここが人々で賑わっている景色も、見てみたい」
ケヴィンの言葉に、迷いは一切ない。
この地を愛しているからこそ、守れるだけの力が必要なのだと。
ナタリーにはそう言っているように感じた。
(必ず、やってみせるわ。この地と、ケヴィン様のために)
ナタリーはまた目の前の景色に視線を戻す。
月明かりの下で、固く誓った。
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