第15隻

 それから、2週間が過ぎた。

 徐々にアンカー辺境伯領の環境に慣れてきたナタリーだったが、まだ肌寒さにショールが手放せないし、城の構造も覚えられない。

 けれど、いくつか分かったこともあった。


 まず第一に、使用人たちは概ねナタリーを歓迎している、ということ。

 ナタリー自身はそれが何故だか分かっていなかったが、前妻と比較し、ナタリーがケヴィンを受け入れているということが使用人たちに好感を持たれる所以ゆえんだった。

 使用人たちはケヴィンを慕っている。誰よりもこの地のことを考え、誠実に対応してきたことをその目で見てきたからだ。

 騎士団の者たちも同じ理由でナタリーを受け入れていた。

 唯一、ベティだけがナタリーに批判的であるということだ。

 そのベティは相変わらずである。

 だが、ナミルが始終側にいるようになったおかげで、目立った嫌がらせは無くなった。

 着替えや身支度の際に相変わらず雑に扱われてはいるが、仕上がりには手を抜かないため、ナミルたちには分からないようだった。


 第二に、アンカー辺境伯家の財政状況が、想像以上に危機的な状況だ、ということ。

 ナタリーは最近、辺境伯家の帳簿の管理を始めた。

 本来は結婚してからやることではあるが、ナタリーが頼み込みやらせてもらうことにした。

 ケヴィンはしばし悩みつつも、ユリウスの監督の元、ナタリーに帳簿を見せることを承諾した。

 それだけナタリーを信頼してくれているということだろう。

 帳簿管理は商会で散々やっていたことだ。ナタリーの得意分野だと言っていい。

 そして帳簿をめくってみれば、とにかく収入が少ないということが見て取れた。

 主な財源である対魔獣用防衛費は確かに大きな額だ。しかしこれでは現状維持しか望めない。

 支出を抑えることでこれまでどうにかしてきたようだが、いつ財政破綻してもおかしくない状況だった。

 ナタリーの資産で補填すればしばらくはどうにかなるだろうが、そんな一時凌ぎではどうにもならない。

 何か抜本的に、恒久的に資金を得る方法が必要なのは間違いない。

 ナタリーにとって、それが一番の悩みだった。



「未来の奥様、今日も唸ってんのか?」

「そうよ。何か、何かないのかしら……」


 ナタリーは執務室の代わりに用意された部屋で書類を睨みつけていた。

 ナミルが欠伸でもしそうな様子で壁にもたれかかっている。

 ベティはナミルが居るからか、ただ静かに壁際に控えていた。


 この2週間、ナタリーは付き合いのある土木事業者たちに、魔獣の活用について意向を聞いてみた。

 が、やはり結果は否。

 いくら調教され安心だと言われても、そんな未知の恐ろしい生き物を受け入れるには不安が強すぎるようだった。

 予想していたことだが、やはり魔獣たちは領内で活用するしかない。

 もちろんそれだけでも領地のためにはなるが、収入の増加は見込めない。


「はぁ……」


 ナタリーはため息をつきながら、ぼんやりと壁を眺めた。

 壁には領内の地図が掛けられている。

 まるで細く間延びしたような砂時計型の土地だ。

 地図を睨みつければ何か生まれるのではと、半ば自棄を起こしてじっと見つめる。


「本当に、アンカー辺境伯領は不思議な形状をしているわよね。ここにも村があるのよね?」


 ナタリーは地図上の一点を指差す。

 北の大地と南の大地を結ぶ地峡。その名を「レセップス地峡」という。

 このレセップス地峡で陸地は最もくびれており、馬で1時間もあれば横断できる距離だ。


「まあ寒村ばっかりだけどな。一応漁村なんだが、自分たちがその日食べる分の魚くらいしか釣れない。だから家畜を飼って自給自足してる。領内でも一番貧しいとこだな」

「そうなの……」


 そんな厳しい環境でも暮らしている人々がいるのだと、ナタリーは感心する。

 と同時に、魔素が人体に影響を与えないというのも本当なのだと納得した。

 彼らは長いこと魔素の近くで生活しているということだから。


 それにしても、この辛うじて南北が繋がっているような地峡。

 ここが切れていれば魔獣との戦闘も楽になるのではないかとナタリーは考える。


(そうよ。ここに少しでも切れ目があれば船を通すことも出来るし。そうすれば西の国にも行きやすく……)


 そう考えたところでハッとする。


「ナミル!! アンカー伯爵様の所に行くわよ!!」

「おっ、おう!?」


 ナタリー逸る気持ちを抑えきれず、部屋を飛び出した。



◇◇◇



「申し訳ありません。アンカー伯爵様のお手を煩わせるつもりはなかったんですが……」

「いやいい。ちょうどこの辺りの村の様子を見に行こうと思っていた所だ」


 ポクポクと小気味いいひづめの音が響いている。

 快晴とは言えないが、それでも青空が覗く空に馬の背の揺れが心地いい。

 ただ、ナタリーは酷く緊張していた。

 ケヴィンの腕の中に居るからだ。


 地図を見て閃いたナタリーは、ケヴィンにレセップス地峡に行きたいと願い出た。

 話を聞いたケヴィンは、ナミルを連れて行けば支障はないと思いつつ、心配になり自身も付いて行く事にした。

 特に治安が悪いということもないが、地峡にある寒村は領内でも特に物寂しい雰囲気だ。

 華やかな皇都から来たナタリーにとっては、見ても楽しいものとは思えない。

 ナタリーがレセップス地峡で何を思うのか、気になったというのが大きいかもしれない。


 ケヴィンが付いてきた本当の理由を知らないナタリーは、自身の胸の鼓動を落ち着けようと小さく深呼吸を繰り返していた。

 背の高いナタリーさえすっぽりと抱えられるほどに大きな体。

 手綱を握る腕はまるで丸太のように太い。

 ミゲルはどちらかというと細身の方であったし、商会の船乗りたちとここまで接近したことはない。

 逞しい男性の胸板の感触に、どうしても意識が後頭部に集中してしまう。

 馬車で行くには道が整っていないということで馬で行くことになり、多少乗馬の心得があるナタリーでも悪路は不安だとケヴィンの馬に乗ることになったのは必然だ。

 意識する方がおかしいと、必死に景色を眺めて気を紛らわせる。

 かくいうケヴィンも、少しでも力の入れ方を間違ったら折れてしまいそうなナタリーに酷く緊張していた。

 自分の腕の中にいることで不快な思いをさせているのではないかと不安にも思う。

 ナタリーもケヴィンも、互いが互いの気持ちを知らず、ぎくしゃくと気まずい空気が漂っていた。

 そんな二人のことを、後ろから追いかけるナミルと同行の騎士たちは、歯痒くもおかしそうに眺めていた。


「それで、何故レセップス地峡に?」

「地図を見ていて思いついたのです。もしここに運河を通せたら、きっとこの領地は豊かになると」


 そう。

 ナタリーが考えたのは運河の建設だ。

 もしもレセップス地峡を開削し、東海と西海を繋ぐ運河を造ることが出来れば、圧倒的に海上輸送効率が上がる。

 国の東側から西海の国々に船で向かうためには、最新の蒸気船でも最低60日はかかる。

 しかしレセップス地峡を通っていくことが出来れば、かなりの日数を短縮することが出来るだろう。

 海流の調査が必要ではあるが、簡単に見積もって20日は短縮できそうだ。この日数の差は、物流コストを考えると大きな違いになる。

 そしてこの運河を通る際の通航料を、船から徴収する。

 魔獣蠢く北の大地と距離が近いという欠点もあるが、この地に住んでいる人々もいるのだ。一時的に通るだけであれば、通航料を払ってもなお、ここを通りたい船は多いに違いない。

 スラスター騎士団に警備してもらえば、視覚的に安全性を訴えることができるだろう。その安全保障料として、通航料に割増して料金を徴収することも出来るかもしれない。

 貿易船が日常的に運河を通り、更に食料や水の補給場、船員の休憩所を作れば、一時停泊の船も出てくるだろう。

 そうなれば、またこのアンカー辺境伯領に金が落ちる。

 今後のアンカー辺境伯領が恒久的に収入を得るためには、これ以上ない案ではないかと思えた。


 普通であれば、この発想は夢のまた夢。机上の空論でしかない。

 運河を建設した歴史はあれど、ここまでの規模のものは史上類を見ない。

 しかしこの案を思いついたのが、この帝国一の富豪であるナタリーであるということ。

 そして、魔獣の存在。

 この二つが、ただの思い付きに現実味を持たせていた。



「そんなことが、可能なのか」


 ケヴィンはまるで何か遠い国の話を聞いたかのような気分になった。全くもって、予想外の話だったからだ。

 そもそもこれまで、西海と東海を繋げようという発想すらなかったし、そうする必要性も感じなかった。

 何故ならアンカー辺境伯領は、物資を仕入れることはあっても売るものは何もない土地だからである。

 自ら貿易船を動かすことなどある訳もなく、そんな用途には気付きようもなかった。


「簡単ではありません。ですが、十分に可能だと思います。そのためにも、一度現地を見ておきたくて」


 もちろん専門家の調査は必須だ。

 けれどまずは、自分の目で確かめる。

 大きな事業を始めるなら、当然なことだとナタリーは考えていた。


「あのモルドラとハムモット、あの子たちに働いてもらいましょう。一番のネックは開削作業の経済的時間的な肥大化ですが、あの子たちが大きく貢献してくれるでしょう。人力であれば最低でも10年はかかるでしょうが、彼らがいればもっと早く達成できるのではないかしら。アンカー伯爵様。少なからず、検討してみる価値はあると思います」


 ナタリーの顔は晴れやかだ。

 帝国から隔絶されたようなこの地で、起死回生の一手を見つけたような気がしていた。

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