第14隻

 翌日はここ数日のうちで、最も快晴だった。

 よく澄んだ青空が、周囲の岩山に映えて美しい。冬にはさぞ絶景だろう。


「未来の奥様、今日はちょっと珍しいところに行くぞ!」


 ナミルがまた悪戯を仕掛けた子どものような顔で笑いながらずんずんと進んでいく。ユリウスの言葉の通り、今日はナミルが屋敷の外を案内することになっている。ナタリーは厚手のケープを纏い、ナミルの後についていった。


「ま、待ってナミル!!」


 意気揚々と歩いていくナミルを早足で必死に追いかける。

 それに気付いたのかナミルは立ち止まり、ナタリーが追いついたのを確認するとまたずんずんと進み、距離が開くのを繰り返す。

 おかしいな?とでもいう様に首を傾げるナミルを、ナタリーは苦笑いで見やった。

 何を見せられるのか全く分からなかったナタリーの胸中は、一抹の不安とそれ以上の好奇心で満たされていた。



 昨日と同じように訓練場に出るのかと思いきや、騎士たちを横目に宿舎とは反対側の西側の端へとナミルは歩を進めた。

 そのまま林の中に入ったと思うと、急に視界が開け、厩舎とは異なる厳重な重い扉が設られた建物が現れた。

 ナミルが見張りの騎士たちに一言声をかける。すると重い扉が両側から引き開けられた。

 中に一歩入ると、異様な空気がナタリーの全身を覆った。肌に纏わり付くねっとりと重たい何かを感じる。

 目には見えない。しかし、何かが漂っているのは間違いがなかった。

 建物の中には真ん中の通路を挟んで両側に檻があった。ナタリーも家畜を入れる檻は見たことがあったが、それとは異なる堅牢な檻だ。

 その中には、ナタリーがこれまで見たこともないような生物が入れられていた。


「こ、これは……魔獣、ですか……?」

「ああ。こいつがこの領地の立て直しの要になる……かもしれないやつだ!」


 両手を腰に当て、ナミルは得意げにナタリーに紹介する。

 ナタリーは恐る恐る、檻に近付いて中を覗き込んだ。


 全体的にずんぐりとして、全身灰色の毛で覆われている。

 馬よりも一回りほど大きいだろうか。

 手足は短いが、顔があるであろう部分に螺旋状の凹凸のある円錐形がにょきりと生えていて、その円錐の付け根に恣意的に小さな目が付いている。

 異様なその生物は、ナタリーのことなど気にも留めない様子で、餌を探しているのか床をふんすふんすと嗅ぎ回っている。

 そんな生き物が、3匹ほど檻の中をうろうろしていた。


「こいつはモルドラという魔獣だ」


 不意に、入口から低い声が聞こえ、ナタリーは振り返った。

 そこにはケヴィンが一人で立っていた。


「あなたがここに来ると聞いてな。ここのことは、私から話した方がいいと思ったんだ」

「ケヴィン様! お仕事はよろしいのですか?」


 ケヴィンは昨日から執務室に篭って仕事をしていた。

 冬の間は魔獣との戦いに明け暮れているため、ユリウスが事務仕事を代行している。

 夏になると社交の時以外はここぞとばかりにユリウスに仕事漬けにされると、朝食の時にぼやいていた。


「ああ。ずっと室内にいては体も鈍る。ナミル、お前は少し外に出ててくれ」

「はいはい。邪魔者は退散しますよー」

「無駄口を叩くな!」


 ケヴィンがキッと鋭い視線を投げかけると、ナミルは「あー怖い怖い」と全く怖くなさそうに手を振りながら去っていった。

 ナタリーは二人を微笑ましい気持ちで眺めていたが、魔獣のグルルという声にまた視線を檻の中へと向けた。

 これまで見たこともない、禍々しい何かを感じる、この生き物。

 自然と足が震える。それが魔素のせいなのか、恐怖からなのか、ナタリーにも分からなかった。


「大丈夫だ。こいつは人を襲わない」


 ナタリーの肩に、ケヴィンの大きな手のひらがそっと置かれる。

 不思議と、ナタリーはすっと心の靄が晴れるような気分になった。

 足の震えも止まっている。言いようのない安心感に満たされていた。


「何年か前から、比較的気性が穏やかな魔獣を生け取りにして調教することを始めたんだ」


 ナタリーは目を見開いて驚いた。

 魔獣というものを見るのも初めてなら、こんな奇怪な生き物を調教できるだなんて、考えも及ばなかった。


「モルドラは、地中を自由自在に掘り進めることが出来るんだ。この小屋の床は特殊な鉱石で加工してあるから心配はないが、普通の土壌ならあっという間に掘り進めることが出来る。こっちを見てくれ」


 ケヴィンはモルドラが入れられている檻の向かい側の檻にナタリーを案内する。

 中には、また別の魔獣が5匹入れられていた。


 モルドラよりも幾分か小さい。

 栗毛色で、硬そうな毛で全身が覆われている。顔はどことなくネズミに似ているだろうか。

 つぶらな瞳とひくひくと動く尖った鼻が可愛らしくもある。

 後ろ足は小さいが、前足が異常に大きく、長い爪が両前足に3本ずつ生えていた。


「こいつはハムモットという魔獣だ。口から出す粘液で土を固めて巣を作る習性があってな。ハムモットが固めた土の強度は岩石に匹敵する。このモルドラとハムモットの能力を使って、どうにか土木工事の現場に活かせないかと考えたんだ」


 これまで魔獣の魔力を用いた魔道具の研究はされてきたが、魔獣そのものを飼い慣らし生活に利用しようという者はいなかった。

 当然だ。そもそも魔獣がどういうものか、このアンカー辺境伯家とスラスター騎士団しか知らないのだから。


「調教は成功した。こいつらは私たちの言うことを完璧に聞く。何度か領内の工事に駆り出したんだが、通常の何倍も早く終わらせることが出来た」

「なるほど……。それは確かに、帝国内でも需要があるかもしれませんね。……魔獣に対する忌避感がなければ、の話ですが」


 ナタリーは思う。それが一番の問題点だと。

 確かにこの魔獣がいれば、工事の効率は格段に上がるだろう。けれど、存在そのものが未知である魔獣を使役できるなど、人々は考えたこともない。

 魔獣は帝国民にとって恐怖の対象。恐ろしい怪異の類として認識されている。

 ケヴィンは日々魔獣と対峙しているが故に、他領の民が魔獣に対しどれほどの忌避感があるかを分かっていなかった。

 如何に土木工事の効率が上がろうと、魔獣を連れてくるということを許容できる者がどれ程いるだろうか。

 正直、辺境伯領の中でしか活用できないのではないか、とナタリーは思った。


「その、魔獣の魔素は人体に影響はないのですか?」

「ああ。問題はない。あなたは魔力と魔素についてどれだけ知っている?」

「あまり知りません。探したのですが、文献が少なくて……。魔力とは魔獣だけが持つ不思議な力のことで、魔素は魔力の素であるということだけ……」

「いや、それだけ知っていれば十分だ。魔力は魔獣が持つ超常的な力のこと。例えばモルドラは、顔の円錐形の角を高速で回転させるのだが、ただそれだけでは硬い地面は掘り進められない。魔力で角を強化していることが分かっている。魔素は、その魔力に変換される前の物質だ。魔素は魔獣の体内にあり、それを何らかの作用を起こす力に変えた状態を魔力と呼ぶ。ここに漂う魔素は、魔獣の吐いた息に含まれていたものだと考えられている。魔力に変換される前の魔素では、我々の体には影響がない。それは、この地で生きてきた私たちが証明だ。だが、本能的に魔獣以外の生き物は魔素を忌避することが分かっている。作物が育たないのも、魚が獲れないのも、そのせいだ」


 ケヴィンは淡々と説明した。

 ナタリーが皇都でいくら探しても見つからなかった事柄をスラスラと口にするケヴィンに、彼は本当にこの地で魔獣と向き合ってきたのだと思った。


「では、この中で何だか不快な感覚があるのは、その忌避感のせいでしょうか」


 かつて人間にも魔力があった時代、魔力を持つ人間と、そうでない人間との間に争いがあったということが伝わっている。

 それも、この不快感が原因なのかもしれないとナタリーは思った。


「そうだ。……気分が悪くなってきたか? そろそろ出た方がいい」


 ケヴィンに促され、ナタリーは建物の外に出る。

 瞬間、この肌寒い外気が心地いいと思えるほどに爽快に感じた。


「ありがとうございます……。ケヴィン様は、何ともないのですか?」

「ああ。騎士団の者は皆慣れている。屋外であれば魔素が分散してここまで酷くはないのだがな。……すまない。早く知らせた方が、不安が少ないかと思ったんだが……」


 心なしか、ケヴィンの声が小さくなっていく。

 確かにこの敷地内に魔獣がいるという事実と、魔獣を調教できるという事実はナタリーも知っておきたかったと思う。

 もし偶然に魔獣を見ることになったらパニックになってしまうだろうし、未知の生物である魔獣が飼い慣らせるというのは大きな安心になる。

 とはいえ、初めて感じた魔素の感覚にどっと疲労を感じた。


「ご案内いただき、ありがとうございます。ですが……少し休んでもよろしいでしょうか……」

「ああ。そうしよう」


 どこか申し訳なさそうに眉を下げ、ケヴィンはナタリーを支えて屋敷へと戻っていく。

 数歩進んだところで、ふと城壁がナタリーの目に入った。

 魔獣小屋を出てすぐ右手は、この城を囲む城壁だ。


(この城壁から、前妻の方は飛び降りたのかしら)


 一瞬、城壁から身を投げる女の幻想を思い浮かべる。

 まるで前妻の亡霊を呼び覚ましてしまったような気がして、ナタリーはすぐさま城壁を視界から追い出した。


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